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京都の旅
木津川市
恭仁宮跡(山城国分寺跡)
くにのみやこあと(やましろこくぶんじあと)
京都府木津川市加茂町例幣(れいへい)中切(なかぎり)
木津川にかかる恭仁(くに)大橋の付近に恭仁宮跡があります。七重塔跡の礎石があり、大極殿であった金堂の礎石も残されています。昭和32年(1957)「山城国分寺跡」として、国の史跡に指定され、平成19年(2007)に史跡の指定範囲が拡大されて「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」に変更されました。
恭仁宮は天平12年(740)から4年間、聖武天皇が遷都した所です。藤原広嗣の乱などで疲弊した平城京を離れたのです。時の左大臣であった橘諸兄(たちばなのもろえ)の領地があったことで決断したようです。その後、天平16年(744)に難波京に遷都、天平17年(745)には都は再び平城京に戻されました。
天平18年(746)、平城京から移された恭仁宮の大極殿は山城国分寺の金堂となりました。南北3町(約330m)、東西2町半(約275m)の広大な寺域を有し、金堂の東側は国分寺の鎮守社である御霊神社の境内地だったそうです。
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