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京都の旅と歴史
京都の旅    京丹後市

縁城寺
えんじょうじ
 京都府京丹後市峰山町橋木873
Tel 0772-62-0957


 発信貴山(はしきざん)縁城寺は、京丹後市の旧峰山町の橋木地区にあります。養老元年(717)、インドの高僧である善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)が紫雲が立ち昇るの見てここが霊地と悟って入山し、梵天帝釈の二童子から授かった千手観音像を安置したのが始まりといわれています。
 宝亀2年(771)には光仁天皇の勅願寺となり堂宇が建てられました。延暦14年(795)には桓武天皇より「縁城寺」の寺号を賜わりました。弘法大師は自筆の「発信貴山」の山号額を残されたそうです。その後衰退しますが、永延2年(988)、一条天皇の勅願寺となり再興されました。
 仁王門より金堂の間に7ヶ院、25坊を擁し奥丹後随一の信仰祈願の名刹として賑わったそうです。文中3年(1374)、火災のため焼失しましたが、復興されました。しかし、貞享2年(1685)と天保14年(1843)にも火災に遭い多くの堂宇を失いました。現在の本堂は嘉永元年(1848)の再建です。
 明治4年(1871)廃藩置県にともなう寺領荘園の召し上げと、廃仏毀釈で衰退しました。昭和2年(1927)の丹後震災で、勅使門、仁王門、庫裏が全壊しました。正平6年(1352)の銘がある宝篋印塔と、10世紀後半に造られた木造千手観音菩薩立像は国の重要文化財に指定されています。


縁城寺金堂
 縁城寺の金堂は嘉永元年(1846)に再建されたものです。丹後震災や豪雪によって倒壊の恐れがあり、多くの丸太を使って屋根を支えています。昭和2年(1927)に倒壊した仁王門の仁王像や、千手観音菩薩立像が安置されています。
縁城寺金堂

縁城寺宝篋印塔(国重文)
 縁城寺には南北朝時代の宝篋印塔が建てられています。正平六年佛子行秀の刻銘があり、正平6年(1352)に造られています。下方に切石積の大基壇があり、蛤座など三段の基壇を乗せています。高さは313.9cmにもなります。昭和30年(1955)に国の重要文化財に指定されています。
縁城寺宝篋印塔

縁城寺多宝塔
 縁城寺の多宝塔は初層しかありません。天保3年(1832)に建てられましたが、昭和2年(1927)の丹後震災で相輪が折れました。さらに昭和38年(1963)年のサンパチ豪雪で二層目が倒壊しました。そのため初層に銅板の切妻屋根を載せた応急修理の建物になっています。
縁城寺多宝塔



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