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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市東山区

六道珍皇寺
ろくどうちんのうじ
京都府京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595
Tel 075-561-4129


 大椿山(だいちんざん)六道珍皇寺は建仁寺の塔頭で「六道さん」と呼ばれています。平安・鎌倉時代には東寺に属して盛えましたが、その後衰退し、室町前期の正平年間(1346-1370)に建仁寺の僧・良聡(りょうそう)によって再興され、臨済宗に改宗しています。
 この付近は死者を鳥辺野(とりべの)へ葬送する時の野辺送りの場所で、「六道の辻」と呼ばれ、この世とあの世の境といわれていました。本堂の裏にある井戸は、昼は嵯峨天皇、夜は閻魔大王に仕えた小野篁(おののたかむら)が冥土へ通った入り口だといわれています。
 境内には閻魔・篁堂があります。小野篁(802-852)は平安初期の公卿で歌人、文学者です。小野妹子の後裔(こうえい)で歌人、漢詩人として名高い峯守の子です。漢詩文「令義解(りょうのぎげ」の撰修に参画。遣唐使の副使に任命されましたが拒否したため隠岐に流されたこともありました。
 京都のお盆は、六道珍皇寺の「精霊迎え」から始まるそうです。鐘楼の「お迎え鐘」をつくと、鐘の音が冥土まで響き渡り、響きに応じて精霊がこの世に呼び寄せられるそうです。「六道まいり」といってお盆に先祖の霊を迎えるため鐘をつくのだそうです。


六道珍皇寺閻魔・篁堂
 六道珍皇寺の閻魔・篁堂には小野篁が自ら彫ったとされる閻魔大王像と等身大の小野篁像が祀られています。江戸時代に造られた小野篁立像は右手に笏しゃくを持ち、等身大で衣冠束帯姿です。「今昔物語」をはじめとする色々な説話集に小野篁が冥官として閻魔大王の補佐役をしていた話しが語られています。
六道珍皇寺閻魔・篁堂

小野篁冥土通いの井戸
 六道珍皇寺には小野篁が亡き母に会うための冥土(めいど)通いの井戸が残されています。また、夜になるとこの井戸をくぐってあの世に行き、閻魔大王に仕えていたともいわれています。
小野篁冥土通いの井戸



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