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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市東山区

法観寺(八坂塔)
ほうかんじ(やさかのとう)
京都府京都市東山区八坂上町388
Tel 075-551-2417


 八坂神社と清水寺の間ぐらいに法観寺の五重塔があります。通称「八坂の塔」と呼ばれ、京都を代表する場所になっています。霊応山(れいおうざん)法観寺は臨済宗建仁寺派のお寺で、五重塔のほかは太子堂、薬師堂があるだけです。
 寺伝によれば、聖徳太子が如意輪観音の夢のお告げにより建立したと伝えられています。他説には朝鮮から渡ってきた狛人(こまびと)八坂造(みやつこ)が創建したという説あります。古くは八坂寺といわれ、四天王寺式伽藍が建ち並び、延喜式七ヶ寺の一つに数えられるほど栄えたそうです。
 創建当初の塔は治承3年(1179)に祇園社と清水寺との争いで焼失し、建久2年(1191)、源頼朝によって再建されました。仁治元年(1240)には、建仁寺8世済翁証救(さいおうしょうきゅう)が入寺して、真言宗から禅宗の臨済宗に改めたそうです。
 法観寺は正応4年(1291)、落雷により焼失し、後宇多天皇の援助により、延慶2年(1309)、北條貞時、山内円成尼により再興されました。永享8年(1436)に再び焼失し、永享12年(1440)に足利義教(よしのり)によって、五重塔が再建されました。応仁・文明の乱(1467-1477)では五重塔以外の堂宇が焼失したそうです。

法観寺五重塔(国重文)
 法観寺の五重塔は室町中期の永享12年(1440)に足利義教によって再建された三間五重の塔婆です。高さ46mで、本瓦葺きです。塔内には大日如来を中心とする五智如来像5体(大日、釈迦、阿しゅく、宝生(ほうしょう)、弥陀(みだ))が安置されています。須弥壇の下には創建時のものと思われる飛鳥時代の古い松香石(凝灰岩の一種)の大きい中心礎石が残されているそうです。五重塔は明治30年(1897)に国の重要文化財に指定されています。
法観寺五重塔



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