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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市東山区

豊国廟
ほうこくびょう
京都府京都市東山区今熊野阿弥陀ケ峰


 豊国廟は日枝神社前の参道を東に進んだつきあたり(京都女子学園・大学の奥)、阿弥陀ケ峰(標高196m)の山頂にあります。慶長3年(1598)に63歳で他界した豊臣秀吉の遺体は翌年、遺言で阿弥陀ヶ峰に葬られ、頂上に祠廟が建てられました。
 後陽成天皇から正一位豊国大明神の神階と神号を賜り、壮大な社殿では、毎年盛大な祭礼(豊国祭)が取り行われました。しかし元和元年(1615)に豊臣は滅亡し、廟は徳川により打ち壊されてしまいました。
 明治30年(1897)、秀吉の三百年忌に再建され、墳上に高さ10mの巨大な五輪塔が建てられました。社殿は、明治13年(1880)、旧方広寺大仏殿の地に、豊国神社として再建されています。階段下左手には豊臣秀頼の子・国松丸と秀吉側室・松丸殿の五輪塔があります。


国松丸五輪塔
 国松丸の五輪塔は松丸殿の五輪塔の左に建てられています。国松丸は豊臣秀頼の側室の子で、千姫をはばかり、生後すぐに若狭京極家に預けられ、砥石屋弥左衛門の養子となりました。大坂冬の陣で大坂城に入城し、夏の陣で城外で捕らえられ六条河原で斬首されました。享年8歳でした。
国松丸五輪塔

松丸殿五輪塔
 松丸殿は浅井長政の姪で、若狭守護・武田元明に嫁ぎました。本能寺の変後、明智光秀に味方した夫は殺害され、京極高次の取り成しで秀吉の側室にされました。出家後、処刑された秀頼の子・国丸松の遺骸を引き取り、帰依した誓願寺(中京区)に埋葬しました。その後、豊国廟に国松丸の墓とともに移されました。
松丸殿五輪塔



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