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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市東山区

建仁寺
けんにんじ
京都府京都市東山区大和大路四条下ル4丁目小松町584
Tel 075-561-0190


 祇園の繁華街近くにある東山(とうざん)建仁寺は、臨済宗建仁寺派の大本山です。建仁2年(1202)将軍源頼家の帰依を受けた明庵栄西(みょうあんえいさい・ようさい)禅師が宋の百丈山にならって建立した、京都最初の禅寺です。当時の寺域は鴨川の東、南は五条通り、北は四条通りにいたる広大な敷地だったそうです。
 寛元・康元年間の火災などで境内は荒廃しましたが、正嘉元年(1258)、東福寺開山の円爾弁円(えんにべんえん)が10世として入寺し、境内を復興させ、禅も盛んとなりました。
 正元元年(1259年)には宋の禅僧で建長寺開山の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が11世として入寺し、禅の作法、規矩(禅院の規則)が厳格に行われ、純粋に禅の道場となりました。室町幕府により中国の制度にならった京都五山が制定され、至徳3年(1386)には第3位に列せられ、五山禅林文学の中心として繁栄しました。
 戦乱と幕府の衰退により再び荒廃しますが、天正年間(1573−1592)に東福寺退耕庵の安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が方丈や仏殿を移築して復興し、豊臣秀吉、徳川幕府から保護を受けました。明治に入り政府の宗教政策により臨済宗建仁寺派としての分派独立し、その大本山となりました。
 勅使門(国重文)、放生池、三門、法堂(仏殿)、方丈(国重文)・庫裏が禅寺の型どおり一直線にならんでいます。約10万平方mの境内には、他にも開山堂、安国寺塔、鐘楼、摩利支天堂、塔頭などが点在し、寺観も名刹らしく整っています。
 建仁寺は寺宝を多く所蔵しています。国宝に指定されている風神雷神図もその一つで俵屋宗達の代表的な作品です。京都の豪商・打它公軌(うだきんのり/糸屋十右衛門)が建仁寺派の妙光寺再興の記念に宗達に描かせたもので、その後、妙光寺から建仁寺に寄贈されました。(現在は京都国立博物館に寄託されています)


建仁寺勅使門(国重文)
 建仁寺の勅使門は寺の南側正面、八坂通りに面しています。平清盛の嫡男・重盛の六波羅の門を移したとも、平教盛の館門を応仁の乱後に移築したともいわれています。様式的には鎌倉時代後期(1275-1332)の建築とみられています。
建仁寺勅使門
 建仁寺勅使門は切妻造り、銅板葺きの四脚門です。かってはこけら葺きだったようです。柱や扉に矢の痕があり、矢の根門とか、矢立門と呼ばれています。勅使門は明治35年(1902)に国の重要文化財に指定されています。
建仁寺勅使門

建仁寺三門(望闕楼)
 建仁寺の三門は仏道修行の悟りを示す「空門」「無相門」「無作門」の3つの門を表しています。また「御所を望む楼閣」という意味で「望闕楼」(ぼうけつろう)と名づけられています。建仁寺、南禅寺の住持であった瑞巌龍惺(ずいがんりゅうせい)(1384‐1460)の「春眺」の詩の中に「望闕楼高くして帝城に対す」と記されています。
建仁寺三門
 建仁寺の三門には釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が祀られています。三門は静岡県浜松市(旧浜名郡雄踏町)の安寧寺から大正12年(1923)に移築された建物で、江戸時代末期の建築です。
建仁寺三門

建仁寺法堂
 建仁寺の法堂(はっとう)は「拈華堂(ねんげどう)」とも呼ばれ、仏殿(本尊を安置する堂)と法堂(講堂にあたる堂)を兼ねています。明和2年(1765)の建立で、本尊釈迦如来座像と脇侍迦葉尊者・阿難尊者が祀られています。空白だった天井に平成14年(2002)、創建800年を記念して小泉淳作筆の「双龍」が描かれました。
建仁寺法堂

建仁寺方丈(国重文)
 建仁寺の方丈は文明19年(1487)に広島の安国寺に建立された建物です。安国寺恵瓊が慶長4年(1599)に建仁寺に移築しました。東側には大玄関があり、本坊とつながっています。襖と風投ヤとで仕切られていて、仏間、書院、室中、礼の間、檀那の間、衣鉢の間があります。
建仁寺方丈
 方丈は間口27.6m、奥行20.7m、単層、入母屋造り、銅板葺きです。四周に広縁を巡らせ、広縁は幅が一間半と広く、落縁付で西縁まで続いています。 天井は二重折上格天井で、正面広縁境には三口の桟唐戸を備えています。明治32年(1899)に国の重要文化財に指定されています。
建仁寺方丈



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