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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市東山区

泉涌寺
せんにゅうじ
京都府京都市東山区泉涌寺山内町27
Tel 075-561-1551


 泉涌寺は真言宗泉涌寺派の総本山です。仁和寺、大覚寺などとともに皇室ゆかりのお寺として知られ、御寺(みでら)と呼ばれています。本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏です。
 泉涌寺は、平安時代に弘法大師によって営まれた草庵・法輪寺に始まるという説と、斉衡3年(856)、左大臣藤原緒嗣(おつぐ)が神修(しんしゅう)上人に帰依して法輪寺を創建したという説があります。法輪寺はのちに仙遊寺と改められたそうです。
 建保6年(1218)、宋から帰朝した月輪(がちりん)大師(俊じょう)が宇都宮信房(うつのみやのぶふさ)から寄進を受け、嘉禄2年(1226)に伽藍が完成しました。その際、境内に霊泉が湧き出たので泉涌寺と改めたそうです。
 鎌倉時代の貞応3年(1224)、後堀河天皇により皇室の祈願寺と定められました。東山三十六峰の南端にあたる月輪山の山麓に広がる寺域内には、後堀河天皇、四条天皇の陵墓が築かれました。江戸時代には後水尾天皇以下、幕末の孝明天皇に至る歴代天皇が山内に葬られています。


泉涌寺大門(国重文)
 泉涌寺の大門は泉涌寺の山号「東山」(とうぜん)の額を掲げているので「東山門」とも呼ばれています。桃山時代に造営された御所の内裏の門を慶長年間(1596-1615)に移築したものです。切妻造り、本瓦葺きの四脚門で、昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
泉涌寺大門

泉涌寺仏殿(国重文)
 泉涌寺の仏殿は応仁の乱などで焼失し、寛文8年(1668)に徳川家綱の援助で再建された建物です。仏殿は一重もこし付きの入母屋造り、本瓦葺きの大きな建物で、大工は中井主水(正知)が担当しました。中井家は桃山江戸時代に京都での建築の元締で、主要建築を多く造営しました。正知はその三代目に当たります。
泉涌寺仏殿
 仏殿は正面中央に両開きの棧唐戸、左右両端に花頭窓があります。内部には禅寺風の土間があり、柱、窓、組物、天井など典型的な禅宗様です。本尊は運慶作と伝わる釈迦・阿弥陀・弥勒の三世仏です。過去(釈迦)、現在(阿弥陀)、未来(弥勒)が、三世にわたって平和と幸福を祈ります。
泉涌寺仏殿
 仏殿の天井の竜の図と本尊背後の白衣観音図は狩野探幽が描いています。古明誉筆の大涅槃図は、国内随一の巨大作で、毎年3月14日から16日に公開されます。泉涌寺の仏殿は唐様建築の代表作で、昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
泉涌寺仏殿

泉涌寺舎利殿
 泉涌寺の舎利殿は仏殿の背後に建てられています。慶長年間(1596-1615)、京都御所の建物を移築改装したものといわれています。間口5間、奥行4間、単層、一重もこし付き、入母屋造り、本瓦葺きの建物です。釈迦の仏牙舎利を奉安する堂宇です。
泉涌寺舎利殿
 月輪大師が熱願した仏牙舎利(釈迦の歯)を、弟子の湛海律師が安貞2年(1228)に南宋慶元府の白蓮寺からもらい受けここに安置しています。舎利殿には、韋駄天像、月蓋(がつがい)長者像(ともに国重文)も祀られています。平成13年(2001)に京都府の有形文化財に指定されています。
泉涌寺舎利殿

泉涌寺御座所
 泉涌寺の御座所は明治15年(1882)に火災により焼失しました。明治天皇は文化15年(1818)に造営された京都御所の皇后宮の御里御殿を明治17年(1884)ここに移築させました。天皇陛下や皇族方の御休所として使われています。平成13年(2001)に京都府の有形文化財に指定されています。
泉涌寺御座所
 御座所は間口は南面16.8m、北面17.8m、奥行は東面11.8m、西面9.9m、単層、入母屋造り、桟瓦葺きの建物です。西に御車寄があり、これに続く1棟は6室に別れ、南側は西から侍従の間、勅使の間、玉座の間、北側は西から女官の間、門跡の間、皇族の間となっています。
泉涌寺御座所

泉涌寺勅使門
 泉涌寺の勅使門は天保12年(1841)の火災で焼失し、弘化2年(1845)に再建された門です。普段は閉じられており天皇陛下や皇族方、勅使が訪れた時に使用されます。
泉涌寺勅使門

泉涌寺霊明殿
 泉涌寺の霊明殿は天智天皇と光仁天皇から昭和天皇に至る歴代天皇・皇后の位牌を安置しています。明治15年(1882)の火災で焼失し、明治17年(1884)に明治天皇によって再建された尊牌殿です。入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの宸殿風建物です。
泉涌寺霊明殿

泉涌寺貴妃観音堂
 泉涌寺の貴妃観音堂は大門をくぐった左手にあります。六羅漢像の中央に安置されている聖観音像(国重文)は湛海律師が南宋から持ち帰ったもので、玄宗皇帝が亡き楊貴妃を偲んで造らせたと伝えられる美しい木像で、楊貴妃観音と呼ばれています。
泉涌寺貴妃観音堂

泉涌寺心照殿
 泉涌寺の心照殿は楊貴妃観音堂に接して建てられている宝物館です。泉涌寺や塔頭に所蔵されている皇室ゆかりの宝物、寺に伝わる仏像、仏画、仏典といった貴重な文化財を公開しています。
泉涌寺心照殿

泉涌寺浴室
 泉涌寺の浴室は元禄年間(1688-1704)の建物で、明治30年(1897)に現在地へ移築されています。間口東面3間、西面4間、奥行5間、単層、切妻造り、妻入、本瓦葺きです。床下で湯を沸かし、蒸気をまわす蒸し風呂形式で、平成13年(2001)に京都府の有形文化財に指定されています。
泉涌寺浴室

泉涌寺・泉涌水屋形
 泉涌寺の泉涌水屋形は、泉涌寺の寺名の由来となった清泉を覆う屋形です。寛文8年(1688)に再建された建物で、平成13年(2001)に京都府の有形文化財に指定されています。間口2間、奥行正面1間、背面2間、単層、入母屋造り、妻入、こけら葺きで、正面軒唐破風が付いています。
泉涌水屋形

雲龍院(国重文)
 泉涌寺の塔頭である雲龍院は泉涌寺派の別格本山です。文中元年(1372)に後光厳法皇が竹巌聖皐律師を招いて菩提所として建立されたのが始まりです。その後、歴代天皇が行幸されています。後円融天皇は勅願として如法写経会を始められ、この法会は現在まで続いています。
雲龍院
 雲龍院の本堂は正保3年(1646)頃の建物で、間口13.8m、奥行12.9m、単層、入母屋造り、こけら葺きで、1間の向拝が付けられています。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
雲龍院

来迎院
 泉涌寺の塔頭である雲龍院は空海(弘法大師)の創建と伝えられています。わが国最古の荒神坐像(国重文)があり、本尊に阿弥陀如来を祀っています。境内の一角に赤穂義士・大石良雄が建てた茶室「含翠軒(がんすいけん)」があります。扁額「含翠」は良雄の筆によるものです。
来迎院

善能寺
 善能寺(ぜんのうじ)は、泉涌寺の塔頭で二階堂とも呼ばれました。本尊の阿弥陀如来像を祀っています。境内にある祥空殿は昭和46年(1971)、北海道で遭難した航空機「ばんだい号」犠牲者遺族・谷本氏が、犠牲者の冥福と航空機事故の絶無を願いを寄進したものです。
善能寺



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