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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市東山

東福寺
とうふくじ
京都府京都市東山区本町15丁目778
Tel 075-561-0087


 「東福の伽藍面(がらんづら)」とまでいわれ壮観を極めた慧日山(えにちさん)東福寺は臨済宗東福寺派の本山です。嘉禎2年(1236)関白の九条(藤原)道家が菩提寺建立を発願し創建されました。延応元年(1239)に仏殿立柱が上棟され、19年の歳月をかけて建長7年(1255)に七堂伽藍が完成しました。
 寛元元年(1243)には宋での修行を終えて帰国していた禅僧・円爾(えんに)弁円(べんねん)(後の聖一国師)を東福寺第1世として招きました。円爾は後深上皇、亀山上皇をはじめ、宮廷の公卿の信仰と帰依を受け、また執権北条時頼に禅戒を授けるなど武士の間にも信仰を広げました。
 道家は奈良の東大寺、興福寺を兼ね備えた、壮大な寺院を建てることを想定し、寺名をそれぞれ一字づつ取って「東福寺」としました。道家は堂宇の完成を見ることなく建長4年(1252)に亡くなり、遺志は実経に受け継がれました。
 文永10年(1273)法堂が完成し、伽藍は整備されていきました。高さ5丈(約15m)の本尊釈迦像が安置され、寺は繁栄しました。その後、元応元年(1319)の火災で多くの堂宇が焼失し、本尊も燃え落ちました。
 建武元年(1334)、建武3年(1336)にも火災に遭い、ほとんどの建物は焼失してしまいました。室町時代に入ってから足利幕府の援助で復興が始まりました。貞和3年(1347)、仏殿が上棟されました。
 三門、僧堂、法堂などの堂宇は、その後百年近い年月を要して再建されました。現在、東福寺に残る三門、禅堂、東司などはこの時期に建てられた建物です。本尊釈迦像は14世紀半ば頃に再興しましたが、明治14年(1881)の火災で再び焼失しました。
 仏殿と法堂も、明治14年(1881)の大火の時に、方丈、庫裏などとともに焼失しました。そして昭和9年(1934)に仏殿と法堂を兼ねる本堂として再建されました。東福寺は南禅寺、天竜寺、相国寺、建仁寺、万寿寺とともに京都五山に名を連ね、360もの末寺を統括し、信仰の中心となりました。
 境内に建つ25の塔頭も名寺が多いので知られています。江戸時代には50を数えたという塔頭は明治初頭の廃仏毀釈により半分が廃絶されてしまいました。東福寺とともに京都五山の一つであった万寿寺も、現在では東福寺の塔頭となっています。
 東福寺から多くの名僧を輩出しています。五山文学の第一人者で「元亨釈書」の著者である虎関師錬、室町時代に画僧として活躍し、その後の仏画や水墨画に多大な影響を与えた吉山明兆、南禅寺開山の無関普門などが特に有名です。
 東福寺の境内にある三門、龍吟庵方丈が国宝に指定されています。禅堂、浴室、東司、二王門、月下門、六波羅門、偃月橋、三聖寺愛染堂、十三重塔、常楽庵開山堂・昭堂、客殿(普門院)、塔司寮(書院)、庫裏、楼門、鐘楼(万寿寺内)、裏門が国の重要文化財に指定されています。
 本堂と開山堂を結ぶ歩廊の「通天橋」の下を三ノ橋川が流れ、洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる渓谷を創っています。紅葉の名所となっていて、橋のなかほどにある張り出し舞台に立つと素晴らしさが実感できます。


東福寺北門
 東福寺の境内に入るには、北門、中門、南門のいずれかを通ります。東福寺北門は北大門とも呼ばれます。桃山時代に建てられた一間一戸、切妻造り、本瓦葺きの四脚門で、平成5年(1993)に京都府の有形文化財に指定されています。
東福寺北門

東福寺二王門(国重文)
 東福寺北門を入ってすぐに東福寺の二王門があります。三間一戸の八脚門で、切妻造り、本瓦葺きの建物です。慶長2年(1597)に三聖寺の仁王門として建てられ、三聖寺廃寺後は万寿寺の正門であった門です。大正13年(1924)に国の重要文化財に指定されています。
東福寺二王門

東福寺月下門(月華門) (国重文)
 東福寺境内の西側、臥雲橋のすぐ手前(北側)に月下門(月華門)(げっかもん)があります。文永5年(1268)、一条実経が常楽庵を建立した際、亀山天皇が京都御所の月華門を下賜されたものと伝えられています。一間一戸、切妻造り、檜皮葺きの四脚門で、今は普門院の総門となっています。明治35年(1902)に国の重要文化財に指定されています。
月下門

臥雲橋
 臥雲橋(がうんきょう)は通天橋、偃月橋とともに東福寺3名橋の一つに数えられ、京都府の有形文化財の指定を受けています。ここから通天橋の眺めが見事で、紅葉の時は混み合います。琵琶湖疏水へと流れる三ノ橋川の流れに沿う洗玉澗と呼ばれる渓谷に架かる橋です。
臥雲橋

東福寺日下門
 東福寺の西、臥雲橋を渡った先に日下門(にっかもん)が建てられています。切妻造り、本瓦葺きの四脚門で、京都府の有形文化財に指定されています。通常、東福寺境内には、この門から入場します。
東福寺日下門

東福寺中門
 東福寺の中門は中大門とも呼ばれています。境内北東、東福寺駅より伏見街道(本町通)を南に進み、三ノ橋川に架かる橋を渡ってすぐの所にある門です。門をくぐって参道を進むと芬陀院(雪舟寺)、天得院を経て境内東側の通用門である日下門に突き当たります。桃山時代に建てられた一間一戸、切妻造り、本瓦葺きの四脚門で、平成5年(1993)に京都府の有形文化財に指定されています。
東福寺中門

東福寺六波羅門(国重文)
 東福寺の六波羅門は南正面に立つ東福寺伽藍の最南端にある通用門です。この門より西に南門があります。六波羅探題の遺構を移築していることから六波羅門と呼ばれています。六波羅探題は、承久3年(1221)、後鳥羽上皇の「承久の乱」の後、朝廷を監視するため執権北条氏が設置したものです。
六波羅門
 六波羅門は鎌倉時代前期(1185-1274)に再建された棟門で、一間一戸、切妻造り、本瓦葺きの建物です。月下門(月華門)とともに寺内で最も古い建築物の一つで、昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されています。元弘3年(1333)、後に室町幕府を開く足利尊氏と赤松円心が六波羅探題を攻め落とした際にできたという矢疵が残されています。
六波羅門

東福寺勅使門
 東福寺の勅使門(ちょくしもん)は六波羅門のすぐ隣に建てられています。天正18年(1590)、塔頭の南明院にて建立され、明治18年(1885)に現在地へ移築された門です。一間一戸、切妻造り、本瓦葺きの四脚門で、平成5年(1993)に京都府の有形文化財に指定されています。勅使参向の際に使用されました。
東福寺勅使門

東福寺南門
 東福寺の南門は南大門とも呼ばれ、六波羅門の西に建てられています。桃山時代の建築の一間一戸、切妻造り、本瓦葺きの四脚門で、平成5年(1993)に京都府の有形文化財に指定されています。
東福寺南門

東福寺三門(国宝)
 東福寺の三門は応永12年(1405)に足利義持が再建し、現存する禅寺の三門として日本で最古最大のものです。三門とは涅槃(ねはん)に達するために通らなければならない空門(くうもん)、無相門(むそうもん)、無作門(むさもん)の境地を表す3門を意味しています。三解脱(さんげだつ)門の略です。
東福寺三門
 東福寺の三門は間口5間、奥行3間、入母屋造り、本瓦葺きです。切妻造り、本瓦葺きの山廊を付随しています。2階二重門で、上層に釈迦如来と十六羅漢を安置しています。二重門は2階建ての門ですが、楼門と違い、1階と2階の境目にも軒が出ている門です。明治30年(1897)に国宝に指定されています。
東福寺三門

思遠池
 東福寺三門の前にある放生池は思遠池(しおんち)と呼ばれています。中央に三門へとつながる石橋が架けられています。「思遠の蓮」と呼ばれる白色の蓮が花を咲かせます。
思遠池

東福寺東司(国重文)
 東福寺の東司(とうす)は禅堂の南側に建てられています。東司とは禅宗様式の「トイレ」で禅宗において七堂伽藍の一つとして重んじられています。東司として明治35年(1902)に国の重要文化財に日本で唯一指定されています。東司は室町前期のもので日本最古最大、現存する唯一の遺構です。
東福寺東司
 間口7間(35m)、奥行4間(14m)、単層、切妻造り、本瓦葺きの建物です。往時は常に500人もの雲水が修行に励み、使用したようです。通称「百雪隠(ひゃくせっちん)」ともいわれています。
東福寺東司

東福寺禅堂(選仏場) (国重文)
 禅堂は僧が座禅をする道場で、僧堂、聖僧堂、雲堂、選仏場とも呼ばれます。東福寺の禅堂は室町前期、貞和3年(1347)に再建された建物で、間口7間、奥行4間、単層、裳階(もこし)付きで、切妻造りで本瓦葺きです。正面中央に1間、背面に張出しがあり、前門、後門と呼ばれています。
東福寺禅堂
 中央戸口は板扉で、花頭窓と格子窓を並べ、上部欄間は弓欄間にしています。わが国最古で最大の禅堂で、明治31年(1898)に国の重要文化財に指定されています。
東福寺禅堂

東福寺本堂
 東福寺の本堂は大正6年(1917)に再建工事に入り、昭和9年(1934)に完成した建物です。明治14年(1881)の大火の時に、仏殿、法堂、方丈、庫裏などが焼失しました。仏殿と法堂を兼ねる本堂として再建されたものです。
東福寺本堂
 間口41.4m、奥行33.3m、高さ25.5m、重層入母屋造り、裳階付きの巨大な建物で、昭和期の木造建築としては最大級のものです。本尊の釈迦三尊像は、明治14年の火災後に塔頭の万寿寺から移されたもので、鎌倉時代の作で国の重要文化財です。また天井には堂本印象の手による蒼龍図が描かれているそうです。
東福寺本堂

東福寺経蔵
 東福寺の経蔵(きょうぞう)は宝形造り、本瓦葺きで、江戸中期の寛政5年(1793)に建てられています。境内の西側、禅堂の北側にあり、京都府の有形文化財に指定されています。蔵の中には開山した聖一国師(円爾弁円)が宋から持ち帰った千点余りの典籍や貴重な書物を収蔵しています。
東福寺経蔵

東福寺浴室(国重文)
 東福寺の浴室は境内の南、山門の東側に建てられています。間口3間、奥行4間、単層、本瓦葺きの建物で、正面は入母屋造り、背面は切妻造りになっています。長禄3年(1459)に建てられた京都最古の禅宗浴室建築の遺構で、明治40年(1907)に国の重要文化財に指定されています。 内部は正面板敷きの上に2つの蒸し風呂が並び、後方に釜と焚き口があります。
東福寺浴室

東福寺庫裏
 東福寺の庫裏は方丈に接続して東側に建てられています。寺務がすべてここで執り行われ、行事の時の食事の用意などもされます。庫裏は明治14年(1881)の大火の時に、仏殿、法堂、方丈などとともに焼失し、現在の建物は明治43年(1910)に再建された建物です。切妻を正面とする禅宗寺院の典型的な建物で、白壁に配された縦横の構架材が印象的です。
東福寺庫裏

東福寺方丈
 東福寺の方丈は、明治14年(1881)の火災で、仏殿、庫裡とともに焼失し、明治23年(1890)に再建された建物です。正面前庭には唐門が建てられていて、内部は、3室2列の6室あり、前庭のある南面には広縁が設けられています。中央の間を室中と呼び、正面は双折桟唐戸としています。
東福寺方丈

東福寺本坊庭園(国名勝)
 広大な方丈には東西南北に4つの庭が配されています。禅宗の方丈には、古くから多くの名園がありますが、方丈の四周に庭園を巡らせているのはここだけです。近代の造園家、重森三玲(1896-1975)によって昭和14年(1939)に作庭されています。「八相成道」に因んで「八相の庭」と称しました。平成26年(2014)に東福寺本坊庭園として国の名勝に指定されています。
東福寺本坊庭園

唐門
 方丈の南正面に唐門があります。明治42年(1909)に造営された門で、明治天皇の皇后・昭憲皇太后より下賜されました。向唐破風の門で、南庭「八相の庭」の枯山水庭園にも趣きを添えています。明治・大正期の唐門の代表作といわれています。
唐門

鹿児島藩招魂碑
 庫裡の奥、偃月橋の手前に「旧鹿児島藩士招魂碑」が建てられています。即宗院が6代藩主・島津氏久の菩提寺であるため通り道のここに建てられたようです。慶応4年(1868)の鳥羽伏見の戦いでは、長州藩が東福寺に布陣しました。
鹿児島藩招魂碑

東福寺偃月橋(国重文)
 東福寺の偃月橋(えんげつきょう)は東福寺の境内を流れる三ノ橋川の渓谷に架かり、塔頭の龍吟庵・即宗院に通ずる木造の橋です。「偃月」とは半月(弓張月)の意で、臥雲橋、通天橋とともに東福寺3名橋の一つに数えられています。
東福寺偃月橋
 間口1間、奥行11間、切妻造り、単層、桟瓦葺きで、上に屋根のついた廊橋です。慶長8年(1603)に再建された建物です。昭和42年(1967)に3名橋の中では唯一国の重要文化財にも指定され、「日本百名橋」の一つにも選ばれています。
東福寺偃月橋

龍吟庵方丈(国宝)
 龍吟庵(りょうぎんあん)は東福寺の塔頭の一つで、偃月橋を渡った先に建てられています。東福寺3世で、南禅寺を開山した大明国師(だいみょうこくし)こと無関普門(むかんふもん)によって開かれ、国師が病に伏してから死去するまでの間、住まいとして利用されていた所です。国師は建暦2年(1212)信濃で生を受け、東福寺開山の円爾弁円の元で修行しました。
龍吟庵方丈
  宋で10年間勉強ののち、各禅宗のお寺を参禅し、九条道家の4男、一条実経に請われ、東福寺に来ました。開山堂には国の重要文化財の大明国師坐像が祀られています。龍吟庵の方丈は室町前期の嘉慶元年(1387)に建てられたもので、応仁の乱以前の唯一の方丈建築で、現存する最古のものとして国宝に指定されています。
龍吟庵方丈
 龍吟庵方丈は間口8間(16.5m)、奥行6間(12.9m)、単層、入母屋造り、こけら葺きです。正面には両開き板唐戸の入口を設け、両端の柱間には遣戸をはめ込んでいます。書院造りに寝殿造りの名残をとどめています。平安時代の寝殿造りから、室町時代の書院造りへと移る過渡期の特徴を残しているのです。
龍吟庵方丈

龍吟庵表門(国重文)
 龍吟庵の表門は間口1間、奥行1間、単層、切妻造り、妻入り、こけら葺きの建物です。天正から慶長年間(1573-1614)に建てられたと考えられています。昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されています。方丈の東側にある庫裏は桃山時代の慶長8年(1603)に建てられ、これも国の重要文化財に指定されています。
龍吟庵表門

即宗院
 即宗院(そくしゅういん)は東福寺の塔頭で龍吟庵の隣にあります。嘉慶元年(1387)に薩摩藩の島津氏久が、東福寺第54世の剛中玄柔(ごうちゅうげんじゅう)を開山として建立しました。寺名は氏久の法名「齢岳玄久即宗院」に由来しています。薩摩藩の菩提寺として庇護され、戊辰戦争では薩摩藩士の宿所となり、西郷隆盛と清水寺の月照が密談したとされる茶室「採薪亭」跡が残されています。
即宗院

五社大明神
 東福寺の鎮守社である五社成就宮(ごしゃじょうじゅきゅう)は三門の東側に建てられています。石清水八幡・賀茂・稲荷・春日・日吉の五社を祀ることから「五社明神社」とも呼ばれています。現在の社殿は文禄3年(1594)のもので一間社流造造り、檜皮葺きです。平成5年(1993)に京都府の有形文化財に指定されています。
五社成就宮

東福寺十三重塔(国重文)
  東福寺の十三重塔は正式には「比良山明神塔」といわれます。比良の魔王(比良明神である天狗)を祀っていて、五社成就宮の近くに、康永2年(1343)に建てられました。高さ4.5m、花崗岩製の石塔で、初重に梵字が刻まれています。昭和35年(1960)に国の重要文化財に指定されています。
十三重塔

東福寺大鐘楼
 東福寺境内東側の五社成就宮近くに東福寺の大鐘楼が建てられています。経蔵近くの鐘楼と区別して大鐘楼とか、東の鐘楼と呼ばれています。鐘楼は寛文11年(1671)建立で、京都府の有形文化財に指定されています。中の梵鐘は昭和29年(1954)の刻印があります。
東福寺大鐘楼

東福寺のイブキ
 東福寺のイブキ(円柏)は国宝の三門と本殿(仏殿)との間、西寄りにあります。東福寺の開山・聖一国師(円爾弁円)ゆかりの木で、高さ16.5m、胸高の周囲3.36m、枝張りは東西10.5m、南北に8mある巨木です。江戸時代の1700年前後に土佐光高により描かれた東福寺境内図に古樹の風格が見事に描かれ、安永9年(1780)に刊行された「都名所図会」にも「開山国師、宋国より携へ来る」という記載とともに鳥瞰図の中に「唐木」として描かれています。昭和63年(1988)京都市の天然記念物に登録されました。
東福寺のイブキ

最勝金剛院山門
 東福寺境内の東に最勝金剛院(さいしょうこんごういん)の山門があります。一間一戸、切妻造り、本瓦葺きの四脚門です。最勝金剛院は臨済宗東福寺派の特別由緒寺院です。
最勝金剛院山門

最勝金剛院
 最勝金剛院は九条家一族の墓の管理するために昭和46年(1971)に再興されたお寺です。元々は東福寺の創建以前の久安6年(1150)に摂政・藤原忠通の夫人・宗子が藤原氏の氏寺である法性寺の域内の東に建立しました。広大な寺地を有していた法性寺の中でも最大の面積を有していましたが、衰退していました。
最勝金剛院

九条兼実廟(八角堂)
 九条家の祖・九条(藤原)兼実廟(かねざねびょう)が墓所が最勝金剛院にあります。「月輪殿」「後法性寺殿」とも呼ばれた九条兼実を祀る廟所です。その八角形の形状から「八角堂」とも呼ばれています。兼実は、関白、摂政、太政大臣を歴任し、東福寺を創建した九条道家の祖父にあたります。
九条兼実廟(八角堂)

九条家墓地宝篋印塔
 九条家墓地宝篋印塔は九条兼実廟所(八角堂)のすぐ南東にあります。東福寺を創建した九条道家(1193-1252)を含む九条家歴代の墓所となっています。兼実は源頼朝の推挙により摂関になり、血縁もあり、九条家は源氏と関係が深く、公武協調策の間で繁栄を極めました。
九条家墓地宝篋印塔

通天橋
 通天橋(つうてんきょう)は、偃月橋、臥雲橋とともに東福寺3名橋の一つに数えられています。本堂(仏殿)から開山堂に至る渓谷・洗玉澗に架けられた橋廊で、天授6年(1380)に春屋妙葩(普明国師)(しゅんおくみょうは)が谷を渡る労苦から僧を救うため南宋径山(きんざん)の橋を模して架けたといわれています。
通天橋

三聖寺愛染堂(国重文)
 愛染堂(あいぜんどう)は通天橋の長い歩廊の突き当りを左に折れた木立ちの中に建っています。もとは三聖寺の建物でしたが、三聖寺が廃寺後は万寿寺の建物になっていました。昭和9年(1934)の室戸台風で倒壊したため昭和12年(1937)に現在地に移築されました。
愛染堂
 愛染堂は単層、宝形造り、こけら葺きの八角円堂で、愛染明王を祀っています。唐様を主とした鎌倉末期の建築様式で、明徳2年(1391)の火災後に再建された建物と考察されています。三聖寺愛染堂として明治31年(1898)に国の重要文化財に指定されています。
愛染堂

東福寺常楽庵
 東福寺の常楽庵は中心伽藍から通天橋を渡り、回廊を進んだ北にあります。東福寺開山の聖一国師(円爾)像を安置する開山諸堂を指し、円爾が生活していた普門院がありました。京都十刹の一つで、東福寺の建立に先立って寛元4年(1246)に普門院として創建されました。現在は廃寺となっていますが客殿・庫裏・塔司寮に名が残っています。
常楽庵開山堂

東福寺常楽庵開山堂・昭堂(国重文)
 東福寺常楽庵には 開山堂・昭堂、楼門、裏門、普門院客殿、普門院塔司寮(書院)、普門院庫裏、鐘楼(万寿寺)があり、国の重要文化財に指定されています。 開山堂・昭堂(しょうどう)は文政2年(1819)に旧堂が焼失後、文政6年(1823)から7年(1824)にかけ再建された建物です。
常楽庵開山堂・昭堂
 1階部分に開山堂があり、その前にある拝所の昭堂は相の間でつながれています。昭堂の2階部分には伝衣閣と呼ばれる楼閣があり、通常の開山堂にはあまり見られない独特の形式をしています。内部には聖一国師や一条実経の像を安置しています。
常楽庵開山堂・昭堂
 開山堂は間口1間、背面2間、奥行3間、単層、宝形造り、桟瓦葺きです。昭堂は間口8間、奥行3間、単層(一部2階の伝衣閣有り)、切妻造り、桟瓦葺きです。棟の中央が切り落とされて、そこに方形造の楼閣・伝衣閣が乗っています。平成9年(1997)に国の重要文化財に指定されました。
常楽庵開山堂・昭堂
 開山堂の2階部分に造られた楼閣は伝衣閣(でんねかく)と呼ばれています。宝形造りで、こけら葺きです。鹿苑寺の金閣、慈照寺の銀閣、西本願寺の飛雲閣、大徳寺塔頭・芳春院の呑湖閣と並び「京の五閣」に数え上げられています。
伝衣閣

東福寺常楽庵楼門(国重文)
 東福寺の常楽庵の楼門は文政9年(1826)頃に再建された建物です。入母屋造り、桟瓦葺きの 三間一戸の楼門で、東廊下と西廊下が接続しています。平成9年(1997)に国の重要文化財に指定されました。
東福寺常楽庵楼門

東福寺常楽庵客殿(普門院)(国重文)
 東福寺の常楽庵の客殿(普門院)は文政6年(1823)から7年(1824)にかけ再建された建物で、開山堂の西側に隣接しています。開山した聖一国師(円爾)が常住した方丈が基になっています。間口20.0m、奥行17.4m、単層、入母屋造り、桟瓦葺きで、西面に庇がついています。寝殿造り風の外観で内部は三室に仕切られていて狩野派などによる襖絵があります。平成9年(1997)に国の重要文化財に指定されました。
東福寺常楽庵客殿

東福寺常楽庵開山堂庭園
 東福寺常楽庵の開山堂庭園は延宝2年(1674)の開山堂修理の際に作庭された庭園です。開山堂への参道を挟み枯山水庭園と池泉式の2つに分かれています。客殿側の枯山水庭園は平庭式で、築山はなく市松の砂紋上に鶴島・亀島を象った石組みを配して蓬莱山を表現しています。池泉式の方は築山風に作られ、細長い池に石橋、池中に亀島を作り、枯滝も造られています。
開山堂庭園

万寿寺
 万寿寺(まんじゅじ)は東福寺の塔頭の一つです。永長2年(1097)白河上皇が六条内裏に建てた六条御堂が始まりです。かつては天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺とともに京都五山の一つに数えられていました。その後衰微し、天正19年(1591)に現在地の東福寺北側に移転しました。
万寿寺

万寿寺鐘楼門(国重文)
 万寿寺の入口にある鐘楼門は室町期の建築で、現在は東福寺が所有しています。「東福寺常楽庵鐘楼」として、平成9年(1997)に国の重要文化財に指定されています。
万寿寺鐘楼門

盛光院
 盛光院(じょうこういん)は東福寺の塔頭の一つで東福寺第10世の直翁智侃(佛印禅師)(じきおうちかん)により創建されました。直翁智侃は鎌倉期の文永年間(1264-75)に豊後国(大分県)で万寿寺を開山、豊後に勢力を築きました。庫裡は文化5年(1808)に豊後の万寿寺の宝勝院本堂を移築したものです。
盛光院

霊源院
 霊源院(れいげんいん)は東福寺の塔頭の一つで、観応年間(1350年頃)に後醍醐天皇の皇子・龍泉令淬により天護庵という名前で創建されました。応永年間(1400年頃)に在先希譲により現在の霊源院と改められています。布の一寸地蔵さんを奉納する「くぎかけ水子供養」や石の四寸地蔵さんを奉納する「永代水子供養」で知られています。
霊源院

退耕庵
 退耕庵(たいこうあん)は東福寺の塔頭の一つで、貞和2年(1346年)に東福寺第43世住持・性海霊見(しょうかいれいけん)によって創建されました。応仁の乱で荒廃し、慶長4年(1599)に安国寺恵瓊によって再興されました。客殿の中にある茶室・作夢軒で恵瓊、石田三成、宇喜多秀家が関ヶ原の戦いの謀議を行ったといわれています。
退耕庵

龍眠庵
 龍眠庵(りゅうみんあん)は東福寺の塔頭の一つで、正平年間(1346-1369)、東福寺37世の檀渓心凉(だんけいしんりょう)によって創建されました。本堂は天正19年(1591)に毛利家に仕えた僧・安国寺恵瓊(あんこくじえけい)により再建されています。
龍眠庵

栗棘庵
 栗棘庵(りっきょくあん)は東福寺の塔頭の一つで、永仁2年(1294)に東福寺4世の白雲慧暁(はくうんえぎょう)によって創建されました。当初は洛北にありましたが、応仁の乱の後に東福寺の山内に移されました。
栗棘庵

善慧院
 善慧院(ぜんねいん)は東福寺の塔頭の一つで、大永年間(1521-28)に東福寺第207世の彭叔守仙(ほうしゅくしゅせん)が創建しました。普化正宗総本山明暗寺の尺八根本道場にもなっています。明暗寺は普化尺八の虚無僧寺の総本山でしたが、明治4年(1871)明治政府によりに普化宗を廃止させられ、善慧院に吸収された歴史があります。
善慧院

大機院
 大機院(だいきいん)は東福寺の塔頭の一つで、応永27年(1420)に九条家で初めて足利将軍から偏諱(足利義満から「満」の字)を受けた関白・九条満家(満教)が創建しました。慶長年間(1596-1615)に焼失し、(正保2年(1645)に摂政の九重道房が自宅の旧殿を移して再興しています。
大機院

同聚院
 同聚院(どうじゅいん)は東福寺の塔頭の一つで、国の重要文化財に指定されている不動明王坐像を本尊として祀っています。この像は寛弘3年(1006)に藤原道長が40歳を祝って五大堂を建立したときに中尊として安置されたものです。平安時代を代表する仏師・定朝の父である康尚の作といわれています。
同聚院

海蔵院
 海蔵院(洛東園)(かいぞういん(らくとうえん))は東福寺の塔頭の一つで、東福寺15世で南禅寺の住持も務めた虎関師錬(こかんしれん)の退隠所として創建され、正平元年(1346)、没後はその塔所となりました。境内には昭和27年(1952)に東福寺により設立された社会福祉法人「洛東園」があります。
海蔵院

一華院
 一華院(いっかいん)は東福寺の塔頭の一つで、応永年間(1394-1427)に東漸建易(とうざんけんえき)により創建されました。寺名は禅宗の祖・達磨大師が二祖・慧可に伝えたといわれる「一華五葉を開き、結果自然に成る」の句に由来しているそうです。
一華院

天得院
 天得院(てんとくいん)は東福寺の塔頭の一つで、正平年間(1346-70)に東福寺第30世の無夢一清(むむいっせい)が開創しました。慶長19年(1614)に住持となった文英清韓(ぶんえいせいかん)は豊臣秀吉・秀頼の学僧として寵遇され、方広寺の「国家安康、君臣豊楽」の鐘名を撰文しました。徳川家康の名を分断しているとして怒りを招き豊臣家滅亡のきっかけにされました。
天得院

芬陀院(雪舟寺)
 芬陀院(ふんだいん)は東福寺の塔頭の一つで、雪舟の作と伝わる方丈南庭・鶴亀の庭があることから「雪舟寺」の別名で知られています。元亨年間(1321-24)に関白・一条経通が父である内経の菩提を弔うために創建した一条家の菩提寺です。東庭は昭和を代表する作庭家・重森三玲が作庭した枯山水庭園です。
芬陀院

東光寺
 東光寺(とうこうじ)は東福寺の塔頭の一つで、応長元年(1311)に東福寺第7世・無為昭元(大智海禅師)(むいしょうげん)により開創されています。明治元年(1868)に堂宇を現在は廃寺となっている長慶院に譲り、東光寺を曹渓院に合併し現在に至っています。
東光寺

桂昌院
 桂昌院(けいしょういん)は東福寺の塔頭の一つで、元亨年間(1321-24)に雙峰宗源(そうほうそうげん)が九条家の別荘に開創し、明治期に現在地に移されたそうです。第91代・後宇多天皇の菩提所として知られています。
桂昌院

荘厳院
 荘厳院(荘嚴院)(しょうごんいん)は藤原氏の氏寺として栄えた法性寺の五大堂の一つ・灌頂院が起源です。東福寺第11世の南山士雲(なんざんしうん)により禅刹に改められ開山しました。現在は東福寺の塔頭の一つです。境内には豊臣秀吉が寄進したといわれる「双峨石」という大石があります。左右に蛙の形をしていて「蝦蟇石」とも呼ばれています。
荘厳院

願成寺
 願成寺(がんじょうじ)は在原業平の父の阿保親王(あぼしんのう)が創建した天台宗寺院「願成就院」が起源だといわれています。乾元2年(1303)に禅僧・宏海南州が臨済宗寺院として再興しました。室町時代には3代将軍・足利義満により京師十刹の一つに列され繁栄しました。応仁の乱で荒廃し、江戸中期の寛延年間(1748-51)に東福寺の塔頭として現在地に再興されました。
願成寺

光明院
 光明院(こうみょういん)は東福寺の塔頭の一つで、明徳2年(1391)に金山明昶(きんざんみょうしょう)により開創されました。昭和15年(1939)重森三玲に作庭された枯山水庭園「波心の庭(はしんのにわ)」が有名です。
光明院



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