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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市東山区

八坂神社
やさかじんじゃ
京都府京都市東山区祇園町北側625
Tel 075-561-6155


 八坂神社は「八坂さん」「祇園さん」の名で親しまれ、古くから厄除けの神さまとして有名です。全国各地に約3千もの分社を持っています。明治維新までは祇園社または感神院と称したそうです。花街の祇園がすぐそばにあるせいか、たたずまい、雰囲気とも艶やかで独特の香気をただよわせています。
 創建には諸説ありますが、上代に高麗からの帰化人・八坂氏が牛頭天王を祀ったのが初めという説もあります。八坂神社の祭神は、素戔嗚尊(すさのをのみこと)、櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、八柱御子神(やはしらのみこかみ)です。
 斉明天皇2年(656)に素戔嗚尊を祀ったのが起源で、素戔嗚尊は祇園精舎の守護神である牛頭(ごず)天王と一体視され、祇園社と呼ばれるようになりました。元慶3年(879)、陽成天皇が堀川の地十二町を神領地として寄進、藤原基経は、邸宅を寄進、道長もたびたび参詣したそうです。
 円融天皇は、天延3年(975)、走馬・勅楽・御幣を奉られ、これ以後、祇園祭が行われるようになったそうです。長徳元年(995)には、王城鎮護の社として尊崇された21社のうちの1社となり、延久4年(1072)には後三条天皇が行幸されました。
 平清盛は田楽を奉納、源頼朝は狛犬を奉納しています。足利将軍家も社領の寄進や修造を行うとともに社務執行は将軍家代々の祈祷も務めました。豊臣秀吉は母大政所の病気平癒を祈願し、焼失していた大塔を再建し、一万石を寄進しています。
 徳川家康は社領を寄進、家綱は現存する社殿を造営、数多くの神宝類を寄進しました。明治初期に八坂神社と改称され、明治4年(1872)に官幣中社に列格、大正4年(1915)には官幣大社に昇格しています。


八坂神社石鳥居(国重文)
 八坂神社の石鳥居は南の入口である南楼門の前に建てられています。高さ9.5mあり、現存する石造りの鳥居では最大といわれ、日光東照宮や鎌倉の鶴岡八幡宮とともに日本3大石鳥居に数え上げられています。正保3年(1646)に建立され、寛文2年(1662)に地震で倒壊、その後、寛文6年(1666)に再建されました。大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
八坂神社石鳥居

八坂神社西楼門(国重文)
 八坂神社の西の楼門は 本殿の西、四条通りの突き当たりに建てられています。切妻造り、本瓦葺きの三間一戸の楼門は明応6年(1497)に再建された建物です。古くは夜叉門(やしゃもん)、籠門(かごもん)と呼ばれていました。明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。楼門には、蜘蛛の巣が張る事がなく、また雨だれの跡も付かないといわれています。
八坂神社西楼門

八坂神社南楼門
 八坂神社の南楼門は本殿の南にある八坂神社の正門です。入母屋造り、重層の三間一戸の楼門です。屋根は檜皮葺きだったものを昭和56年(1981)に銅板葺きに替えています。慶応2年(1866)に火災で焼失し、明治12年(1879)に再建されたものが今ある南楼門です。
八坂神社南楼門

八坂神社本殿(国重文)
 八坂神社の本殿は間口7間、奥行6間、祇園造りで屋根は入母屋造り、檜皮葺きです。現在の建物は承応3年(1654)、徳川幕府4代将軍の徳川家綱によって再建された建物です。日本最大級の神社神殿といわれ明治44年(1911)に国の重要文化財に指定されています。平成14年(2002)に40年ぶりに修復しています。
八坂神社本殿
 本殿は平安時代に神殿と礼堂(拝殿)を仏教建築様式で一体化させたもので、祇園造りと呼ばれます。本殿と拝殿を1つの入母屋屋根で覆っています。京都御所の紫宸殿を模して建てられたといわれ東側には小さな御車寄(玄関)があります。本殿の下に竜穴があり、神泉苑や東寺まで通じているという言い伝えが残っています。
八坂神社本殿

八坂神社舞殿
 八坂神社の舞殿(ぶでん)は本殿のすぐ南にあり、舞踊などの各種奉納行事や結婚式などが行われます。沢山の提灯は、祗園の御茶屋や料亭から寄進されたものです。祇園祭の際には3基の神輿が置かれ儀式が行われます。幕末の慶応2年(1866)の火災で焼失し、現在の建物は明治36年(1903)に再建された建物です。
八坂神社舞殿

八坂神社蛭子社社殿(国重文)
 八坂神社の境内には末社の蛭子社(えびすしゃ)があります。北向きに社を構えていることから「北向蛭子社」とも呼ばれています。こけら葺きで、間口3間、奥行3間の流造り、両側と背面に庇を付けています。現在の社殿は江戸前期の正保3年(1646)に建てられたもので、明治44年(1911)に国の重要文化財に指定されています。
八坂神社蛭子社

八坂神社悪王子社
 八坂神社の境内には摂社の悪王子社(あくおうじしゃ)があります。八坂神社の祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒魂(あらみたま)を祀っています。悪王子町などから、明治10年(1877)にここに遷座されたものです。
八坂神社悪王子社

八坂神社美御前社
 八坂神社の境内には末社の美御前社(うつくしごぜんしゃ)があります。宗像三女神である市杵島比売神(いちきしまひめ)・多岐理比売神(たぎりひめ)・多岐津比売神(たぎつひめ)を祀っています。素戔鳴尊が天照大神と誓約された時、素戔鳴尊の持っていた十挙剣を振りすすいで生まれたといわれています。
八坂神社美御前社

八坂神社忠盛灯籠
 八坂神社の境内には忠盛灯籠(ただもりとうろう)があります。平清盛の父・平忠盛ゆかりの燈籠です。忠盛が祇園女御の許に赴く白河法皇の供をして付近を通った時、鬼のようなものが見えたことから討ち取るよう命じられました。正体を見定めてと生け捕りにしてみると、蓑をまとい油壺と松明を持ち灯籠に灯りを献じようとしていた祇園社の僧だったそうです。
八坂神社忠盛灯籠



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