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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市伏見区

御香宮神社
ごこうのみやじんじゃ
京都府京都市伏見区御香宮門前町174
Tel 075-611-0559


 御香宮神社は近鉄京都線の桃山御陵駅の東側にあります。初めは御諸(みもろ)神社という名の神社でした。平安時代の貞観4年(862)に、境内から水が湧き出し香りが四方に漂いました。この水を飲むと病気も治ったことから、清和天皇より「御香宮」の名を賜りました。
 御香宮神社は式内社で、伏見地区の産土神です。神功皇后を主祭神とし、夫の仲哀天皇、子の応神天皇ほか6神を祀っています。神功皇后の神話における伝承から、安産の神として信仰を集めてきました。室町時代には伏見荘の鎮守となり、伏見宮家の保護も受けてきました。
 豊臣秀吉は天正18年(1590)願文と太刀(重要文化財)を献じてその成功を祈りました。そして伏見築城に際し、城内に鬼門除けの守護神として勧請し、社領300石を献じました。その後、徳川家康は慶長10年(1605)、旧地に戻し、本殿を造営しました。
 家康が伏見城に滞在中に尾張、紀伊、水戸の藩祖と、秀忠の娘千姫が誕生したことで、御香宮神社は徳川家の産土神となりました。家康は社殿を造営し、水戸藩祖の頼房は伏見城の大手門を移して表門とさせ、紀伊藩祖の頼宣は拝殿を造営しています。
 慶応4年(1868)正月、伏見鳥羽の戦いではここ御香宮神社に新政府軍(薩摩軍)の本営が置かれ、伏見奉行所に立て篭もった旧幕府側と対峙しました。御香宮神社は伏見奉行所を見下ろすような位置にあったため、薩摩軍の正確な砲撃で伏見奉行所は焼け落ちました。幸いにして御香宮神社は戦火を免れました。
 御香宮神社の本殿と表門は国の重要文化財に指定され、拝殿は京都府指定有形文化財です。3基ある神輿は千姫神輿と呼ばれます。家康の孫千姫の初延祝いに奉納されたもので、日本一重い神輿として有名です。小堀遠州が奉行所内に作庭した庭園は昭和32年(1957)に御香宮神社に移されています。


御香宮神社本殿(国重文)
 御香宮神社の本殿は慶長10年(1605)、徳川家康の命により京都所司代・坂倉勝重を普請奉行として着手造営された建物です。大型の五間社流造り、桧皮(ひわだ)葺きで、3間の向拝が付けられています。本殿は昭和60年(1985)に国の重要文化財に指定されています。
御香宮神社本殿
 頭貫(かしらぬき)、木鼻(きばな)や蟇股、向拝の手挟(たばさみ)には彫刻が施され、極彩色で飾っています。背面の板壁には五間全体にわたって柳と梅の絵が描かれています。全体の造りや、細部の装飾も豪壮華麗で桃山時代の特色を良く表しています。
御香宮神社本殿

御香宮神社拝殿
 御香宮神社の拝殿は家康の10男・紀州徳川家藩祖の徳川頼宣(よりのぶ)が寛永2年(1625)に造営した建物です。間口7間、奥行3間、入母屋造り、本瓦葺きの割拝殿形式の建物です。正面軒唐破風は手の込んだ彫刻で飾られ、蟇股や大瓶束(たいへいづか)には鯉の瀧のぼりなどが彫られています。この拝殿は京都府の有形文化財に指定されています。
御香宮神社拝殿

御香宮神社表門(国重文)
 御香宮神社の表門は家康の11男・水戸徳川家藩祖の徳川頼房(よりふさ)が元和8年(1622)に伏見城の大手門を移して寄進した門です。三間一戸、切妻造り、本瓦葺きの薬医門で、明治39年(1906)に国の重要文化財に指定されています。
御香宮神社表門
 伏見城の大手門だけあって桃山時代の立派な門です。雄大な木割、豪壮な構えは目を見張るものがあります。正面にある蟇股には、中国古来の代表的な親孝行の物語「二十四孝」の彫刻が彫られています。江戸時代に浄瑠璃や芸能に多く取り入れられました。両妻の板蟇股も作品価値が高く、桃山時代を代表する意匠です。
御香宮神社表門

桃山天満宮
 桃山天満宮は御香宮神社近くにあった蔵光庵という寺の鎮守社でした。伏見城築城の際、庵は移築されましたが、天満宮はその地に残され、前田利家が菅原道真を先祖としていたことから崇敬されました。伏見城廃城後は荒れ果てましたが、天保12年(1841)に新たに社殿が建てられました。そして昭和44年(1969)に御香宮神社境内に遷座し、宮司は両社を兼務しています。
桃山天満宮

御香宮絵馬殿
 御香宮の絵馬殿は北野天満宮、八坂神社に匹敵する建物です。間口4間、奥行2間、切妻造り、本瓦葺きで、宝暦5年(1755)に建てられています。文久3年(1863)に西岡天極斎が奉納した算額や、天和3年(1683) 山本宗信が奉納した算額などが飾られています。絵馬が百面以上飾られた時もあったそうです。
御香宮絵馬殿

御香宮参集館
 御香宮の参集館は昭和9年(1934)に月桂冠の寄付により建立されました。伏見地区の集会所として、日本酒関連のイベント会場として使われています。参集館の傍らにある椿は「おそらく椿」と呼ばれています。初代伏見奉行の小堀遠州が「おそらくこれに勝る椿は他にない」と言ったことから名づけられました。
御香宮参集館

御香宮御香水
 御香宮本殿の脇にある御香水は清和天皇より賜った「御香宮」の名の由来になる水です。源泉は枯れたため近年になって掘削されたもので、日本百名水に選ばれています。伏見の七名水の一つで、家康の9男・義直、10男・頼宣、11男・頼房はこの源泉が産湯になりました。
御香宮御香水

伏見義民之碑
 境内には伏見義民之碑が建てられています。 天明5年(1785)、時の伏見奉行・小堀政方の悪政に、文殊九助、丸屋九兵衛、麹屋伝兵衛、伏見屋清左衛門、柴屋伊兵衛、板屋市右衛門、焼塩屋権兵衛の7人が直訴しました。幕府は奉行を罷免、7名は、獄中で相次いで病死しました。碑文は勝海舟、題字は三条実美の書です。
伏見義民之碑

伏見城残石
 桃山天満宮社殿の横に石が積み上げられています。伏見城の石垣に使用された残石が今でも残されています。
伏見城残石

御香宮のソテツ
 御香宮のソテツは御香宮神社の本殿の前にあります。慶長10年(1605)、本殿が創建された時に植えられたと伝えられています。樹高4.5m、最大幹周囲1.5mで、雄雌株があり、京都市の天然記念物に登録されています。ここのソテツは冬でも覆いなしで冬を越すそうです。
御香宮のソテツ



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