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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市伏見区

法界寺(日野薬師)
ほうかいじ(ひのやくし)
京都府京都市伏見区日野西大道町19
075-571-0024


 東光山法界寺は真言宗醍醐派の古刹で、日野薬師とも呼ばれています。醍醐寺の南方に位置し、宇治市との境界に近い伏見区日野にあります。平安時代後期の永承6年(1051)、出家した日野資業(すけなり)が山荘に、薬師如来を安置する堂を建てたのが法界寺の始まりとされています。
 日野は平安時代、遊猟地として知られ、日野氏の先祖 藤原の北家の荘園がありました。弘仁13年(822)に藤原家宗が慈覚大師最澄が刻んだという薬師如来を賜り、祀っていました。資業はこの小像を胎内に収めた薬師如来を造り本尊として祀りました。この木造薬師如来立像は秘仏で、国の重要文化財に指定されています。
 その後、平安後期の阿弥陀信仰の高まりや末法思想の普及で、法界寺にも阿弥陀堂が建てられました。当時は観音堂、五大堂など多くの堂塔が建ち並んでいましたが、現存するのは阿弥陀堂のみです。平安時代後期の法界寺には、5体の丈六の阿弥陀如来像が存在していたそうです。
 阿弥陀堂と11世紀末頃に造られた木造阿弥陀如来坐像は国宝に指定されています。また本堂の薬師堂は明治になってから伝燈寺から移築され、国の重要文化財に指定されています。秘仏の木造薬師如来立像、木造十二神将立像、阿弥陀堂内装飾画、阿弥陀如来並坐像、飛天図などが国の重要文化財に指定されています。


法界寺阿弥陀堂(国宝)
 法界寺の阿弥陀堂は鎌倉時代前期(1185-1274)の建物です。間口5間、奥行5間、単層、宝形造り、檜皮葺きで、もこしが付けられています。承久3年(1221)の兵火で焼失後、まもなくして再建されたと考えられています。阿弥陀堂は昭和26年(1951)に国宝に指定されています。
法界寺阿弥陀堂
 屋根には宝珠露盤を置き、屋根の勾配はゆるやかで外観は軽妙温雅です。もこしの部分は壁や建具を入れず吹き放ちで、身舎の正面は5間とも蔀戸(しとみど)です。内部には国宝の本尊阿弥陀如来坐像を安置し、本尊を囲むように四天柱が立ち、間仕切りはありません。阿弥陀如来の周囲を人々が歩いてめぐりながら念仏を唱える常行三昧堂の形式になっています。
法界寺阿弥陀堂

法界寺薬師堂(国重文)
 法界寺の本堂である薬師堂は明治37年(1904)に奈良県斑鳩町竜田の伝燈寺本堂を移築した建物です。棟札から室町時代の康正2年(1456)の建築だと判明しています。間口5間、奥行4間、単層、寄棟造り、本瓦葺きです。内部は格子によって内外陣に区切られています。内陣が格天井、外陣が折上格天井になっています。
法界寺薬師堂
 本尊の秘仏・薬師如来立像は平安時代後期の作で、高さ88cm、桜材の寄木造りで、国の重要文化財に指定されています。胎内には慈覚大師最澄が刻んだという薬師如来が入れられているそうです。薬師堂は密教道場にふさわしい重厚な建物で、明治42年(1909)に国の重要文化財に指定されています。
法界寺薬師堂



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