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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市伏見区

宝塔寺
ほうとうじ
京都府京都市伏見区深草宝塔寺山町32
Tel 075-641-1859


 深草山(じんそうざん)宝塔寺は日蓮宗のお寺で、京阪本線深草駅近くにあります。藤原基経(もとつね)が発願し、嫡子の藤原時平(ときひら)が昌泰2年(899)に開いたた極楽寺が宝塔寺の前身とされ、源氏物語にも出てくる古刹です。
 鎌倉時代末期の延慶年間(1308-1311)に、極楽寺の住持であった良桂と、京都で布教中の僧・日像は法論を行いました。良桂は日像に帰依し、日像を極楽寺に迎え、真言律宗から日蓮宗に改宗したそうです。極楽寺は京都での日蓮宗の初期の拠点となりました。
 その後、日像は、元亨元年(1321)に後醍醐天皇より寺領を賜り、妙顕寺を創建しました。そして妙顕寺は綸旨を賜わり勅願寺となりました。日像は康永元年(1342)に妙顕寺で亡くなりましたが、極楽寺で荼毘に付され、遺言で極楽寺に葬られました。
 応仁元年(1467)に起こった応仁の乱で荒廃し、長らく再建されませんでした。天正18年(1590)に妙顕寺12世日尭の弟子の日銀によって再興されました。この時に、寺名を現在の「宝塔寺(寶塔寺)」に改称したということです。

宝塔寺総門(国重文)
 宝塔寺の総門は旧奈良街道に面して建てられています。室町時代の中期に建てられた門で寶塔寺四脚門として明治39年(1906)に国の重要文化財に指定されています。間口3.2m、高さは5.2m、切妻造り、本瓦葺きの四脚門です。多宝塔とともに、応仁の乱などの戦火を免れてきています。
宝塔寺総門

宝塔寺仁王門
 宝塔寺の仁王門は宝永8年(1711)に第18世・日実が松平紀伊守信庸の援助を受けて再興した建物です。丹塗りで、天井には250枚ものボタンの花の絵が描かれています。右側の密迹金剛像は仏師康揩の作、左の那羅延金剛は康圃の作で寛文10年(1670)に造られています。
宝塔寺仁王門

宝塔寺本堂(国重文)
 宝塔寺の本堂は寄進された方広寺大仏殿の余材を使って慶長13年(1608)に建てられたといわれています。日蓮宗本堂としては京都最古の建物で、間口7間、奥行7間、単層、切妻造り、本瓦葺きで、正面に3間の向拝を付けています。吹放しの外陣や内部の柱を高く小屋裏までのばす構造技法に近世の特色がみられます。
宝塔寺本堂
 本堂の中には本尊の十界曼荼羅、釈迦如来立像、その左右に木像の日蓮上人、日像上人像が祀られています。寶塔寺本堂として昭和59年(1984)に国の重要文化財に指定されています。平成15年(2003)に、本堂の解体修理を完成させています。
宝塔寺本堂

宝塔寺多宝塔(国重文)
 宝塔寺の多宝塔は京都市に現存する多宝塔の中で最古のものです。室町時代の中期の永享10年(1438)以前に建てられています。下層は片3間、上層は円形、下層の屋根は本瓦葺きで、行基葺きといわれる丸瓦がある特殊な葺き方です。寶塔寺塔婆(多宝塔)として明治39年(1906)に国の重要文化財に指定されています。
宝塔寺多宝塔



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