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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市伏見区

伏見稲荷大社
ふしみいなりたいしゃ
京都府京都市伏見区深草薮之内町68
Tel 075-641-7331


 伏見稲荷大社はお稲荷さんの愛称で呼ばれ、もっとも京都人に馴染み深い神社の一つです。商売繁盛・五穀豊穣・開運の守護神として古くから庶民の信仰を集め、全国に4万近くある稲荷神社の総本社です。
 伏見稲荷大社は、和銅4年(711)に渡来人で山城の豪族・秦伊呂具(はたのいろぐ)が稲荷山の三ヶ峰に宇迦之御魂(うかのみたま)(下社)、佐田彦大神(中社)、大宮能売(おおみやのめ)大神(上社)の3柱の神を祀ったのが起源といわれています。
 伊呂具は稲を植えて栄え、心がおごって餅を的に矢を放ったところ、餅は白鳥と化し稲荷山の三ヶ峰に飛び去り、秦氏も衰えたため、白鳥の舞い降りた三ヶ峰に上中下の社を建てたのだそうです。弘仁7年(816)には現在地に社殿が移されたようです。
 平安時代には東寺の鎮守社となり、延喜式の名神大社に列しました。天慶5年(942)には正一位が与えられ、稲荷信仰が庶民の間に広がっていきました。枕草紙にも登場する稲荷詣は、千年以上たった今でも何ら変わりなく続いています。
 ふだんから参詣人の絶えない伏見稲荷ですが、お正月には商売繁盛を願ってたくさんの人が初詣に訪れます。稲荷神が稲荷山を降りたといわれる2月の初午の日には初午祭が催され賑わいます。千本鳥居と呼ばれる鳥居のトンネルが1万本近く続いているのは壮観です。
 伏見稲荷大社は主祭神がおらず、創建の時の3柱のほか、田中大神と四大神(しのおおかみ)の2柱を合わせた5つの神様を平等に祀っています。神殿はすべて5つに分かれている相殿で、神輿も5基あり、5地区の氏子が自分たちの神輿を担ぐのです。


伏見稲荷大社楼門(国重文)
 伏見稲荷大社の二の鳥居をくぐると楼門があります。大きな鮮やかな朱塗りの楼門です。天正17年(1589)、豊臣秀吉が生母・大政所(おおまんどころ)の大病平癒を祈願して再建した建物です。その甲斐あって大政所は元気になったそうです。
伏見稲荷大社楼門
 楼門は三間一戸、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの楼門(2階のある門で、下層には屋根がない建物)で、平成26年(2014)に国の重要文化財に指定されています。楼門内の左右にjは随身(随神)が安置されています。また楼門の前には狛犬ではなく、宝珠と鍵をくわえた一対の狐の像が置かれています。
伏見稲荷大社楼門

伏見稲荷大社南北廻廊(国重文)
 伏見稲荷大社の南北廻廊は元禄7年(1694)に建てられた廻廊です。間口5間、奥行1間、単層、切妻造り、檜皮(ひわだ)葺きで、楼門の南北にそれぞれ接続して建てられています。平成26年(2014)に国の重要文化財に指定されました。
伏見稲荷大社南北廻廊

伏見稲荷大社外拝殿(国重文)
 伏見稲荷大社の外拝殿(げはいでん)は舞殿とも呼ばれ、楼門の奥に建てられています。江戸末期の天保11年(1840)に建てられた建物で、2月の節分祭の時、ここから豆がまかれます。間口5間、奥行3間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きです。平成26年(2014)に国の重要文化財に指定されています。
伏見稲荷大社外拝殿

伏見稲荷大社内拝殿
 伏見稲荷大社には拝殿は2つあります。外拝殿と内拝殿です。内拝殿は一般のお参りに使われ、内拝殿の奥に本殿が鎮座しています。元禄7年(1694)の造営の時に、本殿に付け加えられた朱塗の唐破風の向拝を、昭和36年(1961)に本殿から切り離し、拝殿としています。
伏見稲荷大社内拝殿

伏見稲荷大社本殿(国重文)
 伏見稲荷大社の本殿は、応仁の乱で焼失後、明応3年(1494)に再建された建物です。打越し流造りと呼ばれる五間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きで、明治42年(1909)に国の重要文化財に指定されています。本殿としては大型で、屋根の前面は優美で長い曲線を描いています。
伏見稲荷大社本殿

伏見稲荷大社権殿(国重文)
  伏見稲荷大社の内拝殿の左奥、本殿の横に本殿より一回り小さい権殿(ごんでん)があります。仮殿(かりどの)とも呼ばれ、本殿を修築している時に、御神体を仮に奉安する建物です。五間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きで、江戸前期の寛永12年(1639)に建てられています。平成26年(2014)に国の重要文化財に指定されています。
伏見稲荷大社権殿

伏見稲荷大社神楽殿
 伏見稲荷大社の神楽殿は明治15年(1882)に能楽殿として建てられました。ここでは、祈祷に訪れた人々のために毎日のように神楽が奉納されています。神楽女の舞や、神鈴や琴、笛の優雅な音が境内に鳴り響きます。
伏見稲荷大社神楽殿

伏見稲荷大社御茶屋(国重文)
 伏見稲荷大社にある御茶屋は仙洞御所にあった古御殿の建物です。寛永18年(1641)に、当時、院の非蔵人として仕えていた当社祠官羽倉延次が、後水尾院より拝領し、移築したものです。
伏見稲荷大社御茶屋
 御茶屋は江戸前期(1615-1660) の建物で、間口7.6m、奥行7.9m、単層、入母屋造り、上部桟瓦葺き、腰廻檜皮(ひわだ)葺きの建物で、玄関車寄が付いています。7畳の主室は、床、付書院、違棚がある書院造りで、床柱や漆塗りの框(かまち)などは数寄屋風です。昭和2年(1927)に国の重要文化財に指定されています。
伏見稲荷大社御茶屋

東丸神社
 東丸(あずままろ)神社は荷田春満の旧宅の隣にあり、荷田春満を祭神として祀っています。春満が没して175年後の明治16年(1911)に創建されました。春満は江戸時代の国学の四大人(賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤・荷田春満)の一人です。学徳にあやかろうと受験生に人気があります。
東丸神社

荷田春満旧宅
 荷田春満(かだあずままろ)の旧宅が伏見稲荷大社の境内にあります。本名は羽倉信盛といい、神社の社家で御殿預りを務める羽倉主膳の次男です。賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤とともに江戸時代の国学の四大人といわれ、万葉集僻案抄、春葉集などを残しています。荷田春満旧宅は国の史跡に指定されています。
荷田春満旧宅

末社玉山稲荷社
 末社玉山稲荷社は玉山稲荷大神を祀っています。稲荷大社から宮中鎮守として勧請され、修学院村の玉山に移りました。明治7年に伏見稲荷大社の権殿に仮遷座され、翌年に伏見稲荷の末社となり現在に至っています。
末社玉山稲荷社

伏見稲荷大社白狐社(国重文)
 伏見稲荷大社の境内社である白狐社は 元禄7年(1694)に建てられました。一間社春日造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)を祭神としています。命婦は狐の霊を意味し、稲荷大神が夫婦狐を眷属(けんぞく・神の使者)にし、妻の方が祀られています。平成26年(2014)に国の重要文化財に指定されています。
伏見稲荷大社白狐社

伏見稲荷大社奥宮(国重文
 伏見稲荷大社の千本鳥居の参道の手前に奥宮があります。三間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きで、桃山時代の造立です。平成26年(2014)に国の重要文化財に指定されています。
伏見稲荷大社奥宮
 奥宮には三室の内陣があり、三戸前であることから「三社殿」とも呼ばれます。創建当時の伏見稲荷大社は、下社・中社・上社の三社からる三社別殿だった名残りの社殿で、上社あるいは上社に深い由緒をもつ建物です。
伏見稲荷大社奥宮

千本鳥居
 千本鳥居は現世から神がいる幽界への関門として建てられたといわれています。願い事が叶った御礼の意味から、鳥居を奉納する習慣が江戸時代に始まり、近世に盛んになりました。一の鳥居から稲荷山の頂上近くまで、1万本近くの朱塗りの奉納鳥居がトンネル状にびっしりと立ち並んでいます。
千本鳥居

奥社参拝所
 奥社奉拝所は、奥の院、命婦社とも言われています。昔はここが中社だった可能性が強いそうです。テレビアニメの「いなり、こんこん、恋いろは」にも登場しました。
奥社参拝所

おもかる石
 おもかる石は奥社奉拝所の横にある一対の石灯籠の上にある空輪の部分です。この石を持ち上げたときに軽く感じれば願い事が叶い、重く感じれば叶わないといわれています。
おもかる石

山口誓子句碑
 伏見稲荷大社の神楽殿の前に山口誓子の句碑が残されています。
   早苗挿す舞の仕草の左手右手
 山口誓子は京都市出身の俳人で高浜虚子に師事し、水原秋桜子、高野素十、阿波野青畝とともに「ホトトギス」の「四S」と呼ばれました。
山口誓子句碑



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