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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市伏見区

藤森神社
ふじのもりじんじゃ
京都府京都市伏見区深草鳥居崎町609
Tel 075-641-1045


 藤森神社は京阪電鉄の藤森駅と黒墨駅の間にあります。周辺は第二次世界大戦以前は陸軍第16師団司令部が置かれていたため現在の国道24号線は「師団街道」と呼ばれていた場所です。司令部跡地は京都教育大学になり、藤森神社の森に続いています。
 藤森神社の社伝では神功(じんぐう)皇后が新羅出兵から凱旋し、纛旗(とおき、軍中の大旗)と、兵器を納めたのが起源となっています。深草一帯の豪族・紀氏(きし)一族の産生神として、信仰を集め、奈良時代には、早良親王が篤く崇敬したといわれています。
 藤森神社は古くからの神社で、中世には深草郷内にあった真幡寸(まはたき)社、藤尾社、塚本社などが合祀され、たくさんの祭神が祀られています。本殿中央には素盞鳴命、別雷命、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰の7神が祀られています。
 東殿には、天武天皇と舎人(とねり)親王が祀られています。舎人親王は日本書紀の編者で、日本で最初の学者といわれ、学問の神として知られています。西殿には、非業の死を遂げた早良(さわら)親王、伊豫(いよ)親王、井上(いがみ)内親王などが祀られています。
 本殿背後東にある摂社八幡宮本殿は応神天皇を祀り、西にある摂社大将軍社は、磐長(いわなが)姫命を祀っています。2社ともに国の重要文化財に指定されています。5月5日の「藤森祭」では、京都市無形民俗文化財の駈馬(かけうま)神事が行われ、馬上の妙技が披露されます。


藤森神社本殿
 藤森神社の本殿は東殿、中殿、西殿の3つがあります。中殿は正徳2年(1712)に中御門天皇より下賜された宮中内侍所(ないしどころ)の建物で、現存する賢所(かしこどころ)では最も古い建物だといわれています。本殿前には旧御所賢所の名で国の重要文化財の看板が掲げられています。
藤森神社本殿
 東殿は、天平宝字3年(759)に藤尾の地に舎人親王を祀る神社として創建されたもので、元は藤尾社と称していました。永享10年(1438)に藤森神社に合祀されています。西殿は、延暦19年(800)に早良親王を祀る神社として塚本の地に創建され、文明2年(1470)に藤森神社に合祀されました。
藤森神社本殿

藤森神社八幡宮本殿(国重文)
 藤森神社の摂社である八幡宮本殿は一間社流造り、こけら葺きの建物です。室町時代後期の明応3年(1494)に室町幕府の第6代将軍の足利義教によって造営されたといわれています。明治39年(1906)に大将軍社社殿とともに国の重要文化財に指定されています。
藤森神社八幡宮本殿

藤森神社大将軍社社殿(国重文)
 藤森神社の摂社である大将軍社の社殿は一間社流造、こけら葺きの建物です。室町後期の応仁、文明、長亨、延徳、明応、文亀、永正、大永、亨禄、天文、弘治、永禄、元亀年間(1467-1572)の間に造られました。京都南面の守護神で古来方除けの神として信仰されています。明治39年(1906)に国の重要文化財に指定されています。
藤森神社大将軍社社殿

藤森神社拝殿
 藤森神社の拝殿は、中央に通路がある割拝殿の形式です。切妻造り、平入、トタン葺きで、唐破風の向庇があり、四面吹き放しになっています。重量感のある屋根に比べ、それを支える柱が細く、宮廷建築の特長を残しています。
藤森神社拝殿

藤森神社旗塚
 藤森神社の旗塚(はたつか)は本殿の東にあり、いちいの切株が祀られています。神功皇后が新羅出兵から凱旋し、纛旗(とおき)といわれる軍旗の中で一番大きな旗を納めた所といわれています。このいちいは「いちの木さん」と呼ばれ、参拝すると腰痛が治ると信じられ、新撰組の近藤勇も参拝したといわれています。
藤森神社旗塚

神鎧像
 藤森神社の藤森祭は菖蒲の節句発祥の祭として知られています。各家に飾られる武者人形には、藤森の神が宿るといわれ、その象徴として神鎧像が建てられています。菖蒲は尚武に通じ尚武は勝負に通じるといわれ、勝運をよぶ神として崇められています。
神鎧像



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