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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市伏見区

鳥羽離宮跡
とばりきゅうあと
京都府京都市伏見区竹田
Tel 075-601-4168(安楽寿院)


 鳥羽離宮は平安時代後期に白河上皇の院政開始の象徴として造営された広大な御所と御堂、苑池からなる離宮です。東西1.5km、南北1km、池も含めると30万坪にもなるといわれています。造営は応徳3年(1086)にはじまり、南殿・北殿・泉殿・馬場殿などが完成しました。
 御殿は伏見区の竹田・中島・下鳥羽一帯に広がって建てられ、14世紀頃まで譲位後の院御所として使用されました。安楽寿院から城南宮、鳥羽離宮公園一帯は平安時代末期の院政の中心地、鳥羽離宮の跡地になります。
 鳥羽離宮の各御所には白河上皇や鳥羽上皇によって仏堂が造営されました。南殿には証金剛院、北殿には勝光明院、泉殿には成菩提院、東殿には安楽寿院、田中殿には金剛心院があり、安楽寿院のみが残っています。
 安楽寿院の西側には、本御塔の鳥羽天皇陵や新御塔の近衛天皇陵があります。両塔は創建当時は三重塔でしたが、慶長元年(1596)の慶長伏見地震で倒壊しました。新御塔は慶長11年(1606)に豊臣秀頼により多宝塔として再建されています。院政の終焉とともに衰退し、中世の兵火や鳥羽伏見の戦で官軍薩摩軍の本営となったため、わずかに残された遺跡が当時を想像させてくれます。

安楽寿院
 安楽寿院は鳥羽離宮の東殿にあたる場所にあり、鳥羽上皇によって保延3年(1137)に創建されました。荒廃していたのを慶長年間(1596-1615)に豊臣秀頼により復興しました。現在の庫裡は塔頭前松院であった建物で、境内に接して鳥羽天皇と近衛天皇の陵があります。
安楽寿院

安楽寿院五輪塔(国重文)
 安楽寿院の五輪塔は昔は敷地内であった少しはなれた老人ホームの前に建てられています。高さ3m、鎌倉後期の弘安10年(1287)の銘がある五輪塔で、昭和30年(1955)に国の重要文化財に指定されています。
安楽寿院五輪塔

安楽寿院三尊石仏
 安楽寿院の三尊石仏は三宝荒神祠の前にあります。三尊石仏は3つあり、右が釈迦三尊、左が薬師三尊です。中央にあった阿弥陀三尊像は京都国立博物館に寄託されています。平安時代に造られた松香石の石仏で、鳥羽離宮内にあった成菩提院跡から江戸時代に発見されています。
安楽寿院三尊石仏

近衛天皇陵
 安楽寿院の南に新御塔の近衛天皇陵があります。正式には安楽寿院南陵近衛天皇陵といい宮内庁が所管しています。中世の天皇陵は寺院の御堂に遺骨を納めるのが通例だったようで、古式の残る貴重な陵墓です。慶長元年(1596)の大地震で新御塔が倒壊し、慶長11年(1606)に豊臣秀頼によって再建された建物です。
近衛天皇陵

鳥羽天皇陵
 本御塔の鳥羽天皇陵は安楽寿院西側にあり、正式には鳥羽天皇安楽寿院陵として宮内庁が管理しています。慶長元年(1596)の大地震で新御塔とともに倒壊し、慶長17年(1612)に仮堂が建てられました。そして幕末の元治元年(1864)に本瓦葺き、宝形造りの仏堂として再建されています。
鳥羽天皇陵



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