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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市上京区

京都御所
きょうとごしょ
京都府京都市上京区京都御苑3


 京都御所は明治維新まで天皇の住まわれたところで、京都御苑の中央北寄りにあります。築地塀で囲まれ、南北約450m、東西約250mの方形で、11万平方mの面積があります。建礼門、建春門、朔平門、宜秋門、清所門、皇后門の6つの門があります。
 桓武天皇は延暦3年(784)に都を奈良の平城京から京都の長岡京へ移し、さらに延暦13年(794)平安京に遷都しました。現在の京都御所は、土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)といわれる里内裏の一つで、元弘元年(1331)光厳天皇がここに即位してから明治2年(1869)まで皇居として使われてきました。
 その間、度々火災に見舞われ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などにより再建されてきました。江戸時代だけでも慶長(1613)、寛永(1642)、承応(1655)、寛文(1662)、延宝(1675)、宝永(1709)、寛政(1790)、安政(1855)と8回も再建されています。
 慶長と寛永の時は旧殿を取り壊しての建て替え、それ以外は火災焼失による再建となっています。特に寛政の再建の時は、裏松光世による平安内裏の考証を多く取り入れた復古様式にしています。現存の内裏は幕末の安政2年(1855)に、寛政内裏の様式をほぼ踏襲して再建されたもので、安政内裏と呼ばれています。


京都御所・清所門
 清所門(せいしょもん)は西側の中央付近にあります。御所の勝手口といえる門で御台所御門ともいわれています。皇子女の参内初めに使われました。一般公開の時の入口になり、特別公開の時は出口となってます。
京都御所・清所門

京都御所・建礼門
 建礼門(けんれいもん)は御所正面入口の正門で南にあります。素木、切妻造り、檜皮(ひわだ)葺き、柱間1間の四脚門です。天皇や国賓の来場や一般公開など、特別な行事の時のみ使用されます。軒下の金色の建具や透かし彫りが施され、気品あふれる厳かな門です。
京都御所・建礼門

京都御所・宣秋門
 宣秋門(ぎしゅうもん)は西側の一番南にあります。切妻造り、檜皮(ひわだ)葺きの四脚門です。唐門ともいわれ、宮、摂家、親王、門跡、公家などが参内する際に使われました。葵祭りはここから出発します。
京都御所・宣秋門

京都御所・皇后門
 皇后門(こうごうもん)は京都御所の西側の北に建てられています。後宮の通用門として用いられた門です。屋根は本瓦葺きです。築地の瓦には菊の紋章が焼き込まれています。
京都御所・皇后門

京都御所・建春門
 建春門(けんしゅんもん) は京都御所の東側に建てられています。向唐破風の屋根を持つ四脚門です。勅使の出入りに用いられましたが、明治以降は皇后陛下や皇太子殿下の御門とされ、また外国の首相にも使用されています。
京都御所・建春門

京都御所・朔平門
 朔平門(さくへいもん)は京都御所の東側に建てられています。皇后が使われた正門です。朔平門外の変で有名です。文久3年(1863)尊王攘夷を唱える過激派公家として知られた姉小路公知(右近衛少将、国事参政)が、朔平門外の猿ヶ辻で覆面をした刺客3人に暗殺された事件です。当時の中央政局に大きな影響を与えました。
京都御所・朔平門


京都御所・御車寄
 宜秋門を入ってすぐ南に、玄関にあたる御車寄(おくるまよせ)があります。昇殿を許された者が正式に参内する時の場所です。牛車などを寄せられるように建物よりせり出しています。屋根は檜皮(ひわだ)葺きで、優雅な反りをなしています。
京都御所・御車寄

京都御所・諸大夫の間
 御車寄のすぐ南側に諸大夫の間(しょだいぶのま)があります。ここは、正式な用向きで参内した者の控の間となっています。襖の絵にちなんで格の高い順に「虎の間」「鶴の間」「桜の間」となっています。「虎の間」は岸岱(がんたい)筆による虎が描かれ「公卿の間」ともいわれます。
京都御所・諸大夫の間
 「鶴の間」は狩野永岳(えいがく)筆による鶴が描かれ「殿上人(てんじょうびと)の間」ともいわれます。「桜の間」は原在照(はらざいしょう)筆による桜が描かれ「諸大夫の間」といわれます。本来はこの部屋が諸大夫の間といわれたのですが、今では3つの部屋の総称として使われています。
京都御所・諸大夫の間

京都御所・新御車寄
 諸大夫の間のすぐ南側に新御車寄(しんみくるまよせ)があります。大正4年(1915)、大正天皇の即位礼に際して、天皇皇后両陛下のための玄関として建てられたものです。 その後、昭和天皇や今上天皇(現在の天皇陛下)もご利用されています。 
京都御所・新御車寄

京都御所・月華門
 新御車寄の東側に月華門(げっかもん)があります。門の内側には紫宸殿があり、月華門を含む朱塗りの梁や柱の回廊は、紫宸殿を取り囲むように配置されています。
京都御所・月華門

京都御所・承明門
 回廊の南中央に承明門(じょうめいもん)があります。承明門を入るとそこには紫宸殿があります。外側には建礼門があります。三戸からなっていて、中央は天皇陛下専用になっているそうです。
京都御所・承明門

京都御所・日華門
 回廊の東面にあり、月華門と相対しているのが日華門(にっかもん)です。扉が開けられていますが、本来は御即位、立后、立太子その他の厳儀の時のみに開かれたそうです。
京都御所・日華門

京都御所・春興殿
 紫宸殿の東側、日華門を出だところに、春興殿があります。檜造り、銅板葺きで、反りのない向拝を付けています。大正天皇の即位礼の時に建てられたもので、三種の神器を奉安し、ここで賢所大前の儀が行われました。現在は武具が収蔵されています。
京都御所・春興殿

京都御所・宜陽殿
 紫宸殿の東側に隣接して宜陽殿(ぎようでん)があります。天皇累代の楽器や書籍などの歴代の御物を保管する納殿として用いられました。西庇に左近衛陣座が置かれ、そこで陣定(摂関を座長とする朝議)が盛んに行われたそうです。後に陣定の会場は紫宸殿につながる軒廊へと移っていきました。
京都御所・宜陽殿

京都御所・紫宸殿
 安政2年(1855)に再建された紫宸殿は京都御所で最も格式の高い正殿です。天皇の即位式をはじめ、各種儀式が執り行われます。大正天皇や昭和天皇の即位礼もここで行われました。入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺き、寝殿造りの高床式宮殿建築です。間口約37m、奥行約26.3m、高さ約20.5mの純木造平屋建ての建物です。
京都御所・紫宸殿
 正面に18段の階段があり、四方に高欄を付けた簀子(すのこ)を廻らしています。紫宸殿手前には、向かって右には左近の桜、左に右近の橘が配置されています。階段の上の中央が、高御座(たかみくら)つまり玉座で、天皇の席です。その東(向かって右)に皇后の御座の御帳台(みちょうだい)があります。
京都御所・紫宸殿●

京都御所・清涼殿
 紫宸殿の北西に隣接するように清涼殿があります。紫宸殿と同じ入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺き、寝殿造りで、床は低く、内部の間仕切りも多くなっています。清涼殿は御常御殿が建てられるまでの長い間、天皇の日常生活の場として使用されていました。四方拝、小朝拝、叙位、除目(じもく)、官奏などの公事も清涼殿で行われました。
 中央のカーテンのような蔀(しとみ)で囲まれた部分が母屋です。母屋の南5間が昼御座(ひのおまし)、北側が夜御殿(よんのおとど)、南廂が殿上(てんじよう)の間となっています。殿上の間には蔵人(くろうど)や公卿などが伺候(しこう)し、奉仕しました。西廂には御湯殿上(おゆどののうえ)、御手水間(おちょうずのま)などがあります。
京都御所・清涼殿

京都御所・漢竹と呉竹
 清涼殿の東庭に、向かって左に漢竹(かわたけ)、右に呉竹(くれたけ)が植えられています。それぞれ源氏垣という木製のすかし垣で囲まれています。枕草紙には呉竹が、徒然草には漢竹と呉竹が登場します。
京都御所・漢竹
 徒然草には、「呉竹は葉細く、河竹(かはたけ)は葉広し。御溝(みかは)に近きは河竹、仁寿殿(じじゅうでん)のかたに寄りて植ゑられたるは呉竹なり」と書かれています。「呉竹は葉が細く、河竹は葉の幅が広い。清涼殿の前庭を流れる御溝に近くあるのは河竹で、仁寿殿(今は存在しません)の方に寄って植えられているのは呉竹です。」
京都御所・呉竹

京都御所・滝口
 清涼殿の北側に滝口という場所があります。ここは御溝水(みかわみず)の落ちるところだったので、滝口とよばれていました。平安、鎌倉時代、この場所に蔵人所に属して禁中の警備にあたっていた武士が詰めていました。そのため、滝口の武士と呼ばれました。
京都御所・滝口

京都御所・小御所
 小御(こごしょ)所は紫宸殿の北東、御池庭に面して建てられています。入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺き、寝殿造りの建物です。母屋は3室に仕切られ、畳を敷き詰めて天井を張った書院造り風になっています。蔀(しとみ)は半蔀で上部を外側に釣り上げ、下部ははめ込み式になっています。
京都御所・小御所
 皇太子の元服の儀式や、天皇が将軍や諸侯と対面する場所で、慶応3年(1867)王政復古の大号令が発せられた後の「小御所会議」にも使われました。昭和29年(1954)に鴨川の花火大会の花火が落下して焼失しました。現在の建物は昭和33年(1958)に再建されたものです。
京都御所・小御所

京都御所・蹴鞠の庭
 小御所と御学問所の間の四角い庭を、蹴鞠(けまり)の庭、または鞠懸(まりかがり)と呼んでいます。この場所で鹿の革で作られた鞠を何人かの貴族が落とさないように足で蹴る遊びが行われました。
京都御所・蹴鞠の庭

京都御所・御池庭
 小御所と御学問所の前に、御池庭(おいけにわ)があります。大きい池を中心とした回遊式庭園です。前面には洲浜(すはま)があり、その中に飛石を配して舟着きに導いています。樹木の中に欅橋が架けられ、さまざまな景色を楽しめます。

京都御所・御学問所
 小御所の北側に御学問所があります。入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺き、書院造りの建物です。格子の蔀(しとみ)に代えて舞良戸(まいらど)という引戸で四囲を閉ざす所や、床や違い棚を備えている所は書院造りの本髄に近い造りです。天皇の学問のために使われた建物ですが、臣下との対面する行事の時にも使用されたそうです。
京都御所・御学問所

京都御所・御常御殿
 御常御殿(おつねごてん)は御学問所の北側に位置します。京都御所の中で最も大きな御殿です。入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺き、書院造りで、内部は15室あります。 天皇の日常のスペースとして使われた建物です。 平安遷都当初、天皇のお住まいとして仁寿殿がありましたが、以後長く清涼殿がそれに当てられました。
京都御所・御学問所
 やがて清涼殿も居住様式の変化に対応できなくなってきました。豊臣秀吉の行った天正の造営で御常御殿が別棟で設けられました。現在の建物は安政2年(1855)に再建されたもので、実用性のある機能的な造りで、剣璽(けんじ)を奉安する「剣璽の間」など格式のある間も備えられています。
京都御所・御常御殿

京都御所・御内庭
 御常御殿の東側に御内庭(ごないてい)があります。御池庭のような大きな池は無く、曲折した小川を中心に土橋や石橋を架けた、趣向を凝らした庭です。江戸時代初期に作庭され、中期に改修されているようです。
京都御所・御内庭

京都御所・御三間
 御常御殿の西隣に御三間があります。 上段、中段、下段の三間よりなる建物で南と西に御縁座敷があります。この御三間では涅槃会(ねはんえ)、茅輪、七夕や盂蘭盆(うらぼん)などの宮中内の儀式が行なわれ、内々の御対面にも使われたそうです。
京都御所・御三間



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