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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市北区

上賀茂神社(賀茂別雷神社)
かみがもじんじゃ(かもわけいかずちじんじゃ)
京都府京都市北区上賀茂本山町339
Tel 075-781-0011


 上賀茂神社は、正式には賀茂別雷(かもわけいかずち)神社といいます。賀茂分雷(かもわけいかずち)を祭神として祀っています。下鴨神社(賀茂御祖神社)の祭神の賀茂建角身命・玉依比売は祖父・母親にあたります。両社はともに古代氏族の賀茂氏の氏神を祀る神社で、賀茂神社(賀茂社)と総称することもあります。
 玉依比売は古くから水をつかさどる農耕の神様で、五穀豊穣を願う葵祭(賀茂祭)は両神社の例祭で、京都三大祭のひとつです。毎年5月15日に京都御所から、藤飾りの御所車にのった斎王代(さいおうだい)を中心に内侍(ないし)や釆女、葵の葉を冠にさした貴公子達500人の列が、下鴨神社から上賀茂神社へと行進します。
 山城国風土記によると賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の子、玉依比売(たまよりひめ)が瀬見(せみ)の小川で遊んでいたところ、丹塗りの矢が流れてきました。その矢をを拾い床の間に飾ったところ懐妊し、「賀茂別雷大神」と名付けたそうです。
  玉依姫の兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族が天武天皇6年(678)、氏神神社として創建し、奉斎したところから、上賀茂神社が始まったとしています。上賀茂神社は京都でも最古の古社で、延暦13年(794)、平安京遷都以降は皇城鎮護の神、鬼門の守り神、総地主の神として尊崇を受け続けてきています。
 大同2年(807)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされました。延喜式神名帳では山城国愛宕郡賀茂別雷神社として名神大社に列しています。弘仁元年(810)以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕しました。
 中世は衰退しましたが、近世に入り、豊臣秀吉が社領2672石を安堵し、徳川幕府にも引き継がれ、他に神官領2873石も与えられました。三つ葉葵の徳川家の家紋が賀茂社の神紋、双葉葵に由来していることから大切にされたといわれています。明治に入り官幣大社の筆頭とされ、明治16年(1883)には勅祭社に定められました。
 本殿と権殿は賀茂造りと云われる流造りの典型として国宝に指定されています。本殿付近の、本殿権殿取合廊、本殿東渡廊・西渡廊取合廊、透廊、渡廊、祝詞舎、塀中門、摂社若宮神社本殿、東渡廊、四脚中門、御籍屋、神宝庫、唐門、東御供所、直会所、楽所及び西御供所、幣殿、忌子殿、幣殿忌子殿取合廊、高倉殿、棚尾社などが重要文化財に指定されています。
 楼門より外側では、楼門、東西廻廊、摂社新宮神社本殿・拝殿、摂社片岡神社本殿・拝殿、片岡橋、拝殿(細殿)、舞殿(橋殿)、土屋(到着殿)、楽屋、外幣殿、北神饌所(庁屋)、玉橋、末社杉尾社本殿、末社土師尾社本殿、摂社須波神社本殿など40以上の社殿などが国の重要文化財に指定されています。古都京都の文化財として、世界文化遺産に登録されています。


上賀茂神社外幣殿(国重文)
 上賀茂神社の外幣殿は御所殿とも呼ばれます。間口5間、奥行3間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きで、寛永5年(1628)に再建され、明治13年(1880)に改修された建物です。明治36年(1903)に国の重要文化財に指定されています。外幣殿は法皇や上皇の御幸の時に使われました。現在は葵祭(賀茂祭)の時に使用されます。
上賀茂神社外幣殿

上賀茂神社楽屋・西御供所(国重文)
 上賀茂神社の楽屋(がくのや)と西御供所は間口8間、奥行2間、単層、北端は切妻造り、南端の直会所屋根をこえて入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きで、寛永5年(1628)に再建され、明治13年(1880)に改修された建物です。明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。
上賀茂神社楽屋

上賀茂神社土屋(国重文)
上賀茂神社の土屋(つちのや)は到着殿(とうちゃくでん)とも呼ばれています。間口5間、奥行2間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きで、寛永5年(1628)に再建された建物です。明治36年(1903)に国の重要文化財に指定されています。
上賀茂神社土屋

上賀茂神社舞殿((国重文)
 上賀茂神社の舞殿(ぶでん)は御手洗川をまたぐように建てられ橋殿(はしどの)とも呼ばれています。間口6間、奥行1間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きで、文久3年(1863)に再建された建物です。明治36年(1903)に国の重要文化財に指定されています。舞殿の夏越大祓(なごしのおおはらえ)の時、御手洗川に人形が流されます。
上賀茂神社舞殿

上賀茂神社細殿(国重文)
 上賀茂神社の細殿(拝殿)はニノ鳥居をくぐった所に建てられています。間口5間、奥行2間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きで、寛永5年(1628)に再建された建物です。明治36年(1903)に国の重要文化財に指定されています。細殿の前には2つの立砂あります。
上賀茂神社細殿

上賀茂神社立砂
 上賀茂神社の立砂(たてずな)は細殿の前にある円錐状の2つの砂の山です。神体である神山(こうやま)を模したもので、鬼門、裏鬼門などに「清めのお砂」をまく「清めの砂」の起源とされています。
上賀茂神社立砂

上賀茂神社楼門(国重文)
 上賀茂神社の楼門は入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの三間一戸の楼門です。寛永5年(1628)に再建された建物で、東西にそれぞれ間口9間、奥行1間、単層、切妻造り、檜皮(ひわだ)葺きの廻廊を接続させています。楼門、廻廊ともに明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。
上賀茂神社楼門

上賀茂神社幣殿(国重文)
 上賀茂神社の幣殿は祈祷殿とも呼ばれています。間口4間、奥行3間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きで、寛永5年(1628)に再建された建物です。明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。内裏炎上の際、行在所となり、三種の神器が弊殿に遷されました。
上賀茂神社幣殿

上賀茂神社本殿・権殿(国宝)、中門(国重文)
 上賀茂神社の中門は切妻造り、檜皮(ひわだ)葺きの四脚門で、寛永5年(1628)に再建された建物です。明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。この中門の奥に国宝の本殿、権殿があります。両社ともに三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)で文久3年(1863)に孝明天皇によって建て替えられた社殿です。
上賀茂神社中門

上賀茂神社御籍屋、直会所(国重文)
 上賀茂神社中門の東側には東局(ひがしのつぼね)の御籍屋(みふだのや)があり、西側には西局(にしのつぼね)の直会殿(なおらいでん)があります。ともに寛永5年(1628)に再建された建物です。明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。初詣期間中は祝詞屋の前まで入ることができます。
御籍屋、直会所

上賀茂神社末社・棚尾社(国重文)
 中門の脇に上賀茂神社の末社である棚尾社が鎮座しています。玄関守護・家を守る神様で、櫛石窓神(くしいわまどのかみ)と豊石窓神(とよいわまどのかみ)を祀っています。この2神は天石門別神(あまのいわとわけ)と呼ばれ、宮殿の門を守護した神様です。棚尾社は国の重要文化財に指定されています。
末社・棚尾社

上賀茂神社摂社・片山御子神社((国重文)
 上賀茂神社の摂社・片山御子神社は片岡社とも呼ばれています。上賀茂神社境内に24ある摂社、末社の中で第一の摂社で、上賀茂神社祭神の賀茂別雷大神の母である玉依比売命(たまよりひめのみこと)を祀っています。縁結びの神様として古来から有名で、紫式部が何度もお参りしたことでも知られています。
摂社・片山御子神社
 片山御子神社の本殿は檜皮(ひわだ)葺きの一間社流造りで、寛永5年(1628)に再建された建物です。拝殿は間口1間、奥行1間、単層、切妻造り、妻入り、檜皮(ひわだ)葺きで、本殿と一緒に再建されました。両殿とも昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定されています。
摂社・片山御子神社

上賀茂神社片岡橋(国重文)
 上賀茂神社の片岡橋は片岡社(片山御子神社)の手前に架けられています。間口1間、奥行1間、唐破風造り、檜皮(ひわだ)葺きの木造廊橋(ろうきょう)です。昭和初年(1926)に建てられた新しい橋ですが、昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定されました。
上賀茂神社片岡橋

上賀茂神社摂社・須波神社(国重文)
 上賀茂神社の摂社・須波(すは)神社は、阿須波神、波比祇神、生井神、福井神、綱長井神を祀っている延喜式神名帳にも名がある古い式内社です。本宮の前庭の守護神として祀られていて、心を静める癒しの神様ともいわれています。本社の附で、須波神社本殿は国の重要文化財に指定されています。
摂社・須波神社

上賀茂神社玉橋(国重文)
 上賀茂神社の玉橋は、楼門の前にある小さな橋です。鮮やかな朱色の橋ですが、渡ることは禁止されています。玉橋の下には御物忌川(おものいがわ)が流れ、御手洗川(みたらしがわ)と合流して「ならの小川」となります。
上賀茂神社玉橋

上賀茂神社末社・川尾社
 上賀茂神社の末社である川尾社は片岡橋の近くにあります。罪穢れを流してくれる瀬織津姫(せおりつひめ)の別名・罔象女神を祀っています。井戸や泉、灌漑用水などを守る神様です。前を流れる御物忌川を守護し、水の流れで迷いを取り除いてくれるともいわれています。御物忌川は神事に使う祭器などを洗い清める川として利用されていた清廉な川です。
末社・川尾社

上賀茂神社摂社・新宮門
 上賀茂神社の摂社である新宮神社の新宮門は、本殿の東端に位置しています。切妻造り、檜皮(ひわだ)葺きの四脚門です。正面に、新宮神社、左に山尾社が祀られています。
摂社・新宮門

上賀茂神社摂社・新宮神社(国重文)
 上賀茂神社の摂社である新宮神社の本殿と拝殿は寛永5年(1628)に再建された建物です。龍神とされる高おかみの神を祭神として祀っています。本殿は檜皮(ひわだ)葺きの一間社流造り、拝殿は間口1間、奥行1間、単層、切妻造り、妻入り、檜皮(ひわだ)葺きの建物です。昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定されています。
摂社・新宮神社

上賀茂神社摂社・奈良神社本殿
 上賀茂神社の摂社である奈良神社は上賀茂神社境内を流れる御手洗川が奈良の小川に分かれた辺りに鎮座しています。奈良刀自神(ならとじのかみ)を祭神として祀っています。奈良神社のすぐ横には北神饌所(庁屋)があり、奈良神社の拝殿が取り込まれています。
摂社・奈良神社

上賀茂神社北神饌所(国重文)
 上賀茂神社の北神饌所は庁屋(ちょうのうや)・庁舎などとも呼ばれています。間口13間、奥行4間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きで、寛永5年(1628)に再建された長い建物です。かつての神饌調進所、神への供え物を調理していた所で、奈良神社の拝殿を付属させています。神職たちが集まって重要事項を決定する会議場としても使われます。明治36年(1903)に国の重要文化財に指定されています。
上賀茂神社北神饌所

上賀茂神社校倉
 上賀茂神社の北神饌所の南側に高床式の校倉(あぜくら)が建てられています。北神饌所が神への供え物を調理していた時に、米倉として使われていました。
上賀茂神社校倉

紫式部歌碑
 上賀茂神社には紫式部の和歌の歌碑があります。紫式部が何度もお参りした片岡社(片山御子神社)での新古今和歌集に選ばれた和歌です。
 ほととぎす 声まつほどは 片岡の
     もりのしづくに 立ちやぬれまし
          
 ほととぎす(恋人)を待つ間、片岡社の木   の下に立ち、朝露に濡れていましょう。
紫式部歌碑

ならの小川の碑
 御手洗川と御物忌川は合流して、ならの小川になります。百人一首の中で従二位、藤原家隆卿が歌を詠んでいます。
  風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
       禊ぎぞ夏の しるしなりける
 祈願者の罪が祓い清められますようにと願った歌で、上賀茂神社の夏越祓(なごしはらえ)の情景を詠んだものです。
ならの小川の碑

渉渓園
 渉渓園(しょうけいえん)は平安時代末期頃の風趣に満ちた清楚な姿を伝える約500坪の庭園です。賀茂曲水宴(きょくすいのえん)が、「ならの小川」からの分水で行われます。川上から杯を流し、杯が流れてくるまでに、歌を1首詠む平安時代の行事です。
渉渓園



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