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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市北区

等持院
とうじいん
京都府京都市北区等持院北町63
Tel 075-461-5786


 足利尊氏は暦応2年(1341)現在の御池/柳馬場付近に等持寺を建立し夢窓疎石を迎えて開山しました。その後、等持院の別院として北等持寺をこの地に建立しました。
 尊氏の没後ここで葬儀を行いました。北等持寺は等持院と改名し、天竜寺末として夢窓門流相承の臨済宗天龍寺派の禅寺となりました。
 以後足利歴代将軍の廟所となって毎年7月15日に将軍が参詣する足利家の菩提寺となりました。応仁の乱で本寺が焼失後はこちらの等持院が本寺となったのです。
 方丈は後水尾天皇の元和2年(1616)に福島正則が妙心寺塔頭の方丈として建立した物を文政元年(1818)ここに移転再建したものです。廊下は鶯張り、襖絵は狩野興次のものです。
 霊光殿には弘法大師作と伝わる地蔵尊を本尊として、足利歴代の将軍13人の木像や石清水八幡宮豊蔵坊から遷した徳川家康の木造が祀られています。
 足利尊氏の墓もあり、京都で紅葉が一番早く色づくことでも知られています。文久2年(1863)尊王攘夷派の浪士が尊氏ら木像3体の首を抜き取って三条河原にさらしたという事件もありました。
 東庭は夢窓疎石の作庭といい、心字池を配した閑寂な庭。西庭には茶室清漣亭(せいれんてい)がひっそりと姿を見せ季節の花が彩りを添えます。この茶室は義政好みといわれ、上段一畳を貴人床、そこに坐して眺める庭の美しさは格別です。
 芙蓉池は天竜寺の曹源池とともに夢窓国師の名作の一つです。池全体が蓮形の形をなしていて中の島は蓬莱島です。


等持院撮影所跡
 1921年、マキノ省三が等持院境内に建設した京都唯一の寺内撮影所です。 マキノキネマは先駆的な時代劇映画を送りだすとともに、後の日本映画を支える人材を育成しました。 



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