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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市西京区

桂離宮
かつらりきゅう
京都府京都市西京区桂御園
Tel 075-381-2029 075-211-1215


 桂離宮は桂宮家の別邸で、桂山荘と呼ばれました。創建以来火災に遭うこともなく、ほとんど完全に創建当時の姿を今日に伝えています。八条宮家(後に桂宮家と改称しました)の智仁(としひと)親王によって開かれました。後陽成天皇の弟で、江戸時代皇室に最も近い関係にあった宮家です。
 智仁親王は和歌に長じており、後に関白職を譲られる約束をもらって、天正16年(1588)に豊臣秀吉の養子となりました。しかし翌年秀吉の実子・鶴松が生まれたため、皇籍にもどり、天正18年(1590)に八条宮家を立てました。
 親王は元和元年(1615)頃に山荘の造営に着手され、数年ほどの間に簡素の中にも格調を保った桂山荘を完成させました。桂山荘は明治16年(1883)に桂離宮と改められました。桂離宮の書院の中で古書院は智仁親王によって建てられています。
 2代智忠(としただ)親王は加賀藩主前田利常の息女富姫と結婚しています。財政的に余裕もでき、桂山荘の修理や増築に力をそそぎました。慶安2年(1649)頃までに中書院、新御殿、月波楼、松琴亭、賞花亭、笑意軒などを新増築しました。
 八条宮家はその後、京極宮、桂宮と改称されて明治に至り、明治14年(1881)11代淑子(すみこ)内親王が亡くなられるとともに断絶しました。宮家の別荘として維持されてきた桂山荘は、明治16年(1883)に宮内省所管となりました。


御幸門
 御幸門(みゆきもん)は表門の先にある素朴な門です。後水尾上皇を迎えるために智忠親王が造られました。その後失われ、家仁(いえひと)親王の時に再建されています。切妻造り、茅葺の棟門形式の門です。門の手前脇にある方形の切石は「御輿石」といって、天皇が輿を下すところです。
御幸門

外腰掛
 外腰掛(そとこしかけ)は松琴亭で茶会が催される時の待合になります。間口3間、奥行1間、寄棟造り、茅葺きの建物です。深々とした屋根を皮付丸太で支えているだけの吹き放しの腰掛で、屋根裏は葭(ヨシ)を竹垂木で押さえています。北端には雪隠が付いています。
外腰掛
 外腰掛前には延段(敷石道)が池の方向へ向かって長く伸びています。自然石と切り石を巧みに混ぜたもので、古書院御輿寄前の「真の延段」、笑意軒前の「草の延段」に対して「行の延段」と呼ばれています。延段の北端には「二重升形(ますがた)手水鉢」と呼ばれる手水鉢があります。
外腰掛

蘇鉄山
 外腰掛の向いの小山には蘇鉄が植えられている「蘇鉄山」があります。薩摩島津家から献上されたと伝えられています。
蘇鉄山

洲浜
 外腰掛から松琴亭の間に洲浜(すはま)があります。黒く扁平な石が敷き詰められ、池に突き出しています。その先にある中島と石橋のつながりは天橋立に見立てたものです。
洲浜

松琴亭
 松琴亭(しょうきんてい)は池の東岸、間に小島を挟んで対岸の古書院と向かい合う位置にあります。桂離宮の中で最も格の高い入母屋造り、茅葺きの田舎風の母屋にこけら葺きの茶室を持つ建物です。屋根の妻に「松琴」の扁額が掲げてあります。後陽成天皇の筆で拾遺集の「琴の音に峯の松風通ふらし・・」から命名されています。
松琴亭
 松琴亭は、北に正面を向けた建物ですが、その南側半分は後に増築されています。そのため複雑な形の屋根となっています。一の間の正面には一間幅の床の間があります。床の内側の三方の壁は、紺と白の石畳模様の斬新な張りつけ壁になっています。この模様は二の間との境の襖(ふすま)にも使われています。
松琴亭

土橋
 賞花亭から古書院や中書院の中間に「土橋」が架けられています。優美な丸みを帯びた橋です。土橋から池に浮かぶ二つの小島や、橋、池の水面や対岸の木々の緑など広く見通せます。
土橋

賞花亭
 賞花亭(しょうかてい)は中島の頂上にあり、苑内で最も高いところに建てられています。切妻造り、茅葺きで、皮付きの柱を用いています。松琴亭と同じようにほぼ北に向いていて、暑い夏を快適に過ごす休息茶屋の様相です。竹の連子窓を通してみる景色は深山幽邃の趣きを備えています。
賞花亭

園林堂
 園林堂(おんりんどう)は本瓦葺き、宝形(ほうぎょう)造りで、正面に唐破風の向拝をつけた小堂です。池の南側にある大きな島の西端に建てられています。智仁親王と、彼から始まる「桂宮家」代々の位牌を置いていた持仏堂です。現在は安置されているものはなく建物だけが残っています。
園林堂

笑意軒
 笑意軒(しょういけん)は、池の南岸、離宮敷地の南端近くにある茶屋です。池に面した北側を正面とした寄棟造り、茅葺きの建物で、北、東、西の三方にこけら葺きの庇をめぐらしています。笑意軒という名は李白の「山中問答歌」からつけられています。「問余何意栖碧山 笑而不答心自閑」(余に問ふ何の意ありて碧山に栖むと 笑ひて答えず心自ら閑かなり)
笑意軒
  内部は襖で区切られていますが、天井は一つながりになっており、広く見せる工夫がなされています。前に敷かれた延段は「草の飛石」といわれています。「中の間」の窓からは、木立とともに田園風景が眺められます。
笑意軒
 笑意軒の戸板の引手は鉄で造られた弓矢で、戸板にはめこんであります。縁側のある口の間の腰高障子の上は、横並びに6つの丸い下地窓を設けています。下地の組み合わせをそれぞれに違えてあり、連子窓の格子の材質にも木や竹を微妙に使いわけています。
笑意軒

桂離宮書院
 桂離宮の書院は、東から古書院、中書院、楽器の間、新御殿と、雁行形に連なっています。古書院には、池に面して月見台が設けられています。智仁親王が実際に建設されたのは古書院だけだったそうです。智忠親王により中書院、新御殿が建てられました。中書院は、一の間、ニの間、三の間からなり、楽器の間は楽器などを格納していたところです。新御殿は後水尾上皇をお迎えするために増築されました。
書院

月見台
 月見台は月を鑑賞するために古書院ニの間の正面、広縁から池に突き出すように竹簀子(たけすのこ)で作られています。月だけでなく、苑内の主要な景観が一望できます。
月見台

月波楼
 月波楼(げっぱろう)は古書院に近い池辺の高みに建つ茶亭です。寄棟造り、こけら葺きで、床や長押(なげし)もない簡素な建物です。化粧屋根裏の竹の垂木が舟の底のような形に組んであります。
月波楼

御輿寄
 御輿寄(みこしよせ)は書院の玄関で、前庭は杉苔で覆われています。中門から切り石を敷き詰めた延段が御輿寄に向けて延びています。切り石の堅さのある構成で「真の飛石」と呼ばれています。石段を4段上がると一枚石の大きな沓脱(くつぬぎ)があります。6人の沓を並べられることから「六つ沓脱」と呼ばれています。
御輿寄



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