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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市左京区

峰定寺
ぶじょうじ
京都府京都市左京区花背原地町772
Tel 075-746-0036


 大悲山峰定寺は本山修験宗のお寺で、鞍馬の北約20kmの大悲山(標高747m)の山腹にあります。平安末期の久寿元年(1154)に鳥羽法皇の勅願により観空(かんくう)が三間堂を建て、十一面千手観音像を安置したのが始まりといわれています。
 平清盛が平治元年(1159)に本堂などを建立、享保年間(1716-1736)には後西上皇の勅により、聖護院宮道祐親王が貴船成就院の元快に命じて、伽藍を再興させています。それ以後、聖護院の直末寺として今日まで続いています。
 大悲山は奈良の大峯山に対して、、「北大峯」と呼ばれ、古来より修験者の修行の場として知られました。大悲山中には屏風岩、飛石、獅子岩などの奇岩怪石がそそり立ち、「鐘掛岩」「蟻の戸渡り」などの行場が点在しています。
 桂川の源流の1つである寺谷川沿いに峰定寺の仁王門が建っています。仁王門から険しい山道を15分ほど登ったところに舞台造りの本堂が建てられています。本堂と、本堂の中にある供水所(阿伽井屋)、仁王門は国の重要文化財に指定されています。


峰定寺本堂(国重文)
 峰定寺の本堂は久寿元年(1154)に建立されました。山腹の斜面にあるため舞台造りになっています。現在の堂宇は貞和6年(1350)頃に再建されたもので、間口5間、奥行5間、単層、寄棟造り、こけら葺きで、我国最古の舞台造りといわれています。供水所(阿伽井屋)を含め明治37年(1904)に国の重要文化財に指定されています。
峰定寺本堂

峰定寺仁王門(国重文)
 峰定寺の仁王門は本堂と同じ頃の南北朝時代の貞和6年(1350)頃に再建された建物です。単層、入母屋造り、こけら葺きの三間一戸の八脚門です。明治37年(1904)に国の重要文化財に指定されています。
峰定寺仁王門



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