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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市左京区

永観堂(禅林寺)
えいかんどう(ぜんりんじ)
京都府京都市左京区永観堂町48
Tel 075-761-0007


 永観堂は、浄土宗西山禅林寺派総本山で、正式名称は聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)無量寿院(むりょうじゅいん)禅林寺といいます。斉衡2年(855)空海の弟子である真紹(しんしょう)が藤原関雄の山荘を密教道場に改めたのが始まりで、貞観5年(863)に清和天皇より禅林寺の勅額を賜りました。
 2世の宗叡は清和天皇の帰依厚く、3世真如法親王は平城天皇の皇子、5世寛如は宇多天皇の皇孫敦固親王の子と、朝廷との結びつきが深く寺運も隆盛しました。その後一時衰えましたが、平安時代の末、承暦年間(1077-1081)に三論宗の学匠として名声を得ていた永観が入山しました。
 永観は境内に東南院を建て、三論および浄土の念仏を広め、寺を中興しました。毎日1万遍の念仏を称え、後には6万遍もの念仏を称えたといわれています。東五条の悲田院の近くの薬王寺に阿弥陀像を安置して、病人救済などの慈善事業も盛んに行いました。この頃から禅林寺は永観堂と呼ばれるようになったようです。
 その後、治承年間(1177-1181)に高倉天皇の勅により法然に帰依した静遍(せいへん)が12世になりました。法然は禅林寺に住したことはありませんが、静遍は法然を11世にしています。法然の高弟の証空(西山上人)は、静遍の後を継ぎました。
 証空の門弟の浄音の時代、浄土宗西山派(小坂流)の本山の基礎を固めました。その後、応仁の乱により堂舎が焼失しましたが明応6年(1497)、後土御門天皇の命により再建され、以後、遂次諸堂が建てられ、現在の伽藍となりました。
 東山のふもとに建つ閑静な古刹は「もみじの永観堂」として知られています。約3万平方mの境内には、東山を背景にした池泉廻遊式の庭園があり、古今集でも詠まれるほど紅葉がきれいな所として有名です。
 本尊の阿弥陀如来像は「みかえり阿弥陀」と呼ばれています。左後方を振り返っためずらしいもので、京都6阿弥陀の一つにされています。また絹本著色山越阿弥陀図(やまこしあみだず)と、金銅蓮華文磬などの寺宝は国宝に指定されています。


永観堂総門
 永観堂の総門は天保11年(1840)の建築で、鹿ヶ谷通りに面しています。堂々とした切妻造り、本瓦葺きの一間一戸の四脚門です。城郭の外門などに多く見られる高麗門と呼ばれる形式です。正面左右の二本の本柱に切妻の屋根をかけ、これと直角に控柱を本柱の背後に立てて切妻屋根をかけています。
永観堂総門

永観堂中門
  永観堂の中門は延享元年 (1744)に建てられたと思われます。切妻造り、本瓦葺きの、一間一戸の四脚門で、薬医門(やくいもん)形式です。本柱の後方に控え柱を立て、その上に女梁・男梁をかけ、切妻屋根をのせています。中門は京都府の有形文化財に指定されています。
永観堂中門

永観堂唐門(勅使門)
 永観堂の唐門(勅使門)は文政13年(1830)に再建された門で、京都府の有形文化財に指定されています。天皇の使いを迎える時に使われました。檜皮葺きの入母屋造りの四脚門で、木鼻には「獏」(ばく)が置かれ、雲龍や唐草の彫刻が施されています。
永観堂唐門

唐門盛り砂
 唐門の内側は釈迦堂の前庭になっていて、白砂を小判形に盛って市松模様をあしらった盛り砂が作られています。勅使はこの盛り砂を踏んで身を清めてから参内したそうです。
唐門盛り砂

悲田梅
 悲田梅(ひでんばい)は釈迦堂(方丈)の前庭にあります。永観は、この梅の実を悲田院の役割を果たしていた薬王寺 (廃寺) に収容されていた貧しい病人に与えました。いつしか悲田梅という名が付いたそうです。現在も小さな実をつけるそうです。
悲田梅

永観堂釈迦堂
 永観堂の釈迦堂は方丈にあたります。室町時代の永正年間(1504-1521)に後柏原天皇によって建立されたと伝えられています。現在の建物は寛永4年(1627)に再建されたものです。室内の襖絵などは慶長期の作品も残されています。
永観堂釈迦堂
 釈迦堂は禅宗寺院の方丈と同形式の6間取りで入母屋造り、桟瓦葺きです。正面に釈迦如来、向かって右に文殊菩薩、左に普賢菩薩の釈迦三尊像が安置されています。鮮やかな襖絵のある本格的な書院造りです。釈迦堂は京都府の有形文化財に指定されています。
永観堂釈迦堂

永観堂御影堂
 永観堂の御影堂はすべて欅が使われ、内陣須弥壇には宗祖法然上人が祀られています。永観堂の中では一番大きい建物で、大正元年(1912)に再建されています。仏説無量寿経の阿弥陀四十八本願に因んで、48本の丸柱を使用しています。
永観堂御影堂

永観堂阿弥陀堂
 永観堂の阿弥陀堂は本堂にあたります。間口7間、奥行6間、単層、入母屋造り、本瓦葺きの大きな建物で、正面に3間の向拝が付けられています。元は慶長2年(1597)に大坂の四天王寺に建立された曼荼羅堂で、慶長12年(1607)に豊臣秀頼の命でこの地に移築されました。内部は極彩色で飾られ、格天井には「百花」が描かれています。
永観堂阿弥陀堂
 阿弥陀堂には国指定重要文化財の像高77cmの本尊の阿弥陀如来が安置されています。平安時代末期の作で、首を左に傾け、振り向いた姿をしているので「みかえり阿弥陀」と呼ばれ親しまれています。阿弥陀堂は京都府の有形文化財に指定されています。
永観堂阿弥陀堂

永観堂水琴窟
 永観堂にある水琴窟は阿弥陀堂と開山堂の通路の間に設けられています。井戸の上に竹が敷かれ、ここに水が落ちると琴管楽器のような涼やかな音色を聴くことができます。
永観堂水琴窟

臥龍廊
 水琴窟から開山堂へ向かう廊下は臥龍廊(がりゅうろう)と呼ばれています。山の斜面に沿って木を組み合わせた廊下です。起伏が激しく龍が臥しているような様からこの名前がつけられています。
臥龍廊

永観堂開山堂
 臥龍廊を登った先に開山堂が建てられています。堂宇の先には派祖西山国師霊廟と刻まれた石碑が建ち、赤い鳥居の上には多宝塔へ続く参道があります。
永観堂開山堂

永観堂多宝塔
 永観堂の多宝塔は境内でもっとも高い140段の石段の上に、昭和3年(1928)に建てられています。上部は円形、下部は方形の二重塔です。五重塔のように屋根の上の心柱に九輪と水煙が付けられています。多宝塔からは京都市内が一望できます。
永観堂多宝塔

三鈷の松
 御影堂の横に三鈷(さんこ)の松があります。葉先が3つに分かれていることからこの名がつけられています。三鈷とは三叉の金剛杵(こんごうしょ)(密教で煩悩を破砕し菩提心を表す金属製の法具)を指します。智慧、慈悲、真心を表し、この松葉を持っていると3つの福が授かり、財布に入れておくとお金が貯まるといわれています。
三鈷の松

永観堂鐘楼
 永観堂の鐘楼は宝永4年(1707)の建立で、京都府の有形文化財に指定されています。鐘楼は本瓦葺き、方一間吹放ちです。梵鐘は寛保3年(1743)に鋳造されたもので、第二次大戦の時に供出されましたが無事戻された鐘です。毎夕4時に鐘が撞かれています。
永観堂鐘楼

永観堂画仙堂
 永観堂にある画仙堂は大正3年(1914)に日本画家・鈴木松僊(しょうせん)の発願で建てられました。堂内には松僊が描いた天龍図があるそうです。
永観堂画仙堂

永観堂庭園
 永観堂の庭園は釈迦堂(方丈)の前に広がっています。捕らえた魚などを殺さずに放す放生会(ほうじょうえ)を行うための池である放生池(ほうじょうち)を中心に、東山を借景にした池泉廻遊式の庭園です。松や楓の老樹が多く紅葉の名所にもなっています。弁天島には歌人で尼僧の太田垣連月が寄進した弁天社があります。
永観堂庭園



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