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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市左京区

鞍馬寺
くらまでら
京都府京都市左京区鞍馬本町1074
075-741-2003


 鞍馬寺は松尾山金剛寿命院と号し、昭和24年(1949)までは天台宗のお寺でした。今は鞍馬弘教総本山となっています。本尊は尊天と称し、毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊であるといいます。本堂にあたるものは本殿金堂と呼ばれます。
 鞍馬寺は宝亀元年(770)に鑑真和上の高弟であった鑑禎(がんてい)上人が毘沙門天を本尊として祀ったのが始まりです。延暦15年(796)に藤原伊勢人によって堂塔伽藍が建立され、京都北方の守護神として人々の信仰を集めました。
 寛平年間(889-897)、東寺の僧・峯延(ぶえん)が入寺し、鞍馬寺は真言宗に転じました。寛治5年(1091)には白河上皇が参詣、承徳3年(1099)には関白藤原師通が参詣するなど信仰が広がりました。天永年間(1110-1113)、天台座主・忠尋(ちゅうじん)が入寺し天台宗に復しています。以後、鞍馬寺は長く青蓮院の支配下にありました。
 鞍馬寺は寛弘6年(1009)や大治元年(1126)の火災で度々罹災しましたが、朝野(ちょうや)の信仰が厚く、また糺ノ森(ただすのもり)で鞍馬寺塔婆勧進猿楽を催したりして復興してきました。江戸時代には10院9坊を持つ大寺院になっています。
 文化9年(1812)に一山炎上する大火災に遭い、明治政府の廃仏毀釈で院坊は廃され、衰退しました。昭和20年(1945)には火災で本殿などが焼失しています。今ある堂宇はいずれも近年再建された建物ですが、仏像などの文化財は無事残され、国宝、重要文化財に多数指定されています。
 鞍馬寺には源義経の遺跡が残されています。源義朝の子で、母は常盤御前、源頼朝の異母弟です。幼名は牛若丸、遮那王丸、源九郎。平治の乱で義朝が敗れ、母とともに平宗清に捕えられましたが、平清盛により助けられ鞍馬寺に預けられました。鞍馬で成長し藤原秀衡の庇護を受けた後、平家を滅ぼしましたが頼朝の威に屈した秀衡の子泰衡に襲われ衣川館で自刃しました。


鞍馬寺仁王門
  鞍馬寺の仁王門は山門でもあります。明治44年(1911)に再建された建物です。左側の扉1枚だけ寿永の頃(1182-1184)のものが残されています。両側に立つ仁王尊像は運慶の嫡男、湛慶の作と伝えられています。仁王門は俗界から鞍馬山の浄域への入口となっています。
鞍馬寺仁王門

鞍馬寺普明殿
 鞍馬寺の普明殿(ふみょうでん)は智慧の光を象徴する毘沙門天像が奉安されています。ケーブル山門駅にもなっていて、多宝塔駅に行くことができます。昭和32年(1957)に鞍馬山ケーブルが敷設、鉄道事業法による許可を受けた鉄道としては唯一、宗教法人が運営しているケーブルです。
鞍馬寺普明殿

鞍馬寺放生池
 鞍馬寺の放生(ほうじょう)池は普明殿の右手奥にあります。この池は、 生き物を逃がしてそのいのちを救うこと、亀や魚をこの池に放ち、善行功徳を積み、滝に打たれて修行する場所です。滝の周りの石組は江戸時代のままの姿を残しています。
鞍馬寺放生池

魔王之滝
 放生池、吉鞍稲荷社を過ぎると魔王之滝があります。太古から鞍馬山は護法魔王尊の力に満ちた場所だったそうです。護法魔王尊は650万年前に、人類救済の使命を帯びて金星から降臨したそうです。滝の上の小さな祠の中には護法魔王尊が祀られ、滝の下には魔王之碑と刻まれた石碑が置かれています。
魔王乃滝

由岐神社
 鞍馬寺の中に由岐神社(ゆきじんじゃ)があります。鞍馬寺の鎮守社でしたが、現在は鞍馬の町の産土神です。大己貴命と少彦名命を主祭神として「由岐(靫)(ゆき)大明神」と称し、京都御所の中に祀られていました。「由岐」は、武具である「靫」を天皇の病や国難の時に神前に献じて、平穏を祈ったことから名付けられています。
 天慶元年(938)に都の大地震、天慶2年の平将門の乱勃発で世情不安が広がりました。朱雀天皇の詔により、由岐大明神は天慶3年(940)御所の北方鎮護のため鞍馬に遷宮されました。そのときに鞍馬の里人が京の鴨川に生えていた葦で松明を造り神霊を迎えました。
 これが例祭の鞍馬の火祭の始まりです。広隆寺の「牛祭」、今宮神宮の「やすらい祭」とともに京都3大奇祭の一つで、京都市登録無形民俗文化財です。本殿と拝殿は慶長12年(1607)に豊臣秀頼によって再建されています。拝殿は国指定重要文化財です。慶長期の石灯籠も残されています。

由岐神社拝殿(国重文)
 由岐神社の拝殿は建物中央に石段が通る珍しい建物の構造で、荷拝殿(にないはいでん)、又は割拝殿(わりはいでん)という造り方です。「御香宮(ごこうのみや)神社拝殿」や「許波多(こはた)神社拝殿」などもこの方式です。
由岐神社の拝殿
 拝殿は間口6間、奥行2間、単層、入母屋造り、中央通路唐破風造り、檜皮葺きの建物で、慶長12年(1607)に豊臣秀頼によって再建されています。拝殿は明治40年(1907)に国の重要文化財に指定されています。
由岐神社の拝殿

由岐神社本殿
 由岐神社の本殿は貴重な桃山建築で、拝殿と同時期の慶長12年(1607)に豊臣秀頼によって再建されています。御祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を祭神として祀り、相殿には八所大明神が祀られています。
由岐神社本殿

由岐神社狛犬
 由岐神社の狛犬は、国の重要文化財に指定され、現在は京都国立博物館に寄託されています。昭和41年(1966)に、狛犬の原型を拡大し入魂したものが造られ、ここに再現されています。
由岐神社狛犬

由岐神社大杉
 由岐神社本殿前の石段脇に神木の大杉がそそり立っています。樹齢は600年近いといわれ、京都市の天然記念物に指定されています。幹周は6.42m、高さは49mあるそうです。他に杉が2本、カゴノキ1本が京都市の天然記念物に指定され、大杉社という小さな祠が護っています。
由岐神社大杉

義経公供養塔
 鞍馬寺にある義経公供養塔は、川上地蔵堂と道を挟んで向かい合っています。このあたりは東光坊跡といわれ、牛若丸の師・東光坊阿闍梨蓮忍の弟子禅林房阿闍梨覚日のいたところです。牛若丸が7歳から10年近く住んでいたため牛若丸学問所跡とも呼よばれています。義経公をしのんで、昭和15年(1940)に建立されました。
義経公供養塔

鞍馬寺川上地蔵堂
 鞍馬寺の川上地蔵堂(かわかみじぞうどう)には牛若丸の守り本尊である地蔵尊が祀られています。牛若丸が住んでいた東光坊跡に義経公供養塔とともに昭和15年(1940)に建立されました。
鞍馬寺川上地蔵堂

愛と光と力の像「いのち」
 鞍馬寺の義経公供養塔の上に愛と光と力の像「いのち」が建てられています。この像は、鞍馬山の本尊である尊天(大宇宙生命・宇宙エネルギー・宇宙の真理)を具象化したものです。像の下部に広がる大海原は一切を平等に潤す慈愛の心であり、光かがやく金属の環は曇りなき真智の光明、そして、中央に屹立する山は、全てを摂取する大地の力強い活力を象徴しています。
愛と光と力の像「いのち」

鞍馬寺双福苑
 鞍馬寺の九十九折参道にある朱塗りの双福橋ふきんは双福苑と呼ばれています。天に聳える杉の「玉杉大黒天(たますぎだいこくてん)」と、福徳の神である「玉杉恵比寿尊(たますぎえびすそん)」の祠があります。それらを結んでいるのが双福橋です。
鞍馬寺双福苑

鞍馬寺中門
 双福橋を渡ってさらに九十九折参道の山道を登っていくと鞍馬寺の中門に着きます。勅使門(ちょくしもん)とも呼ばれる朝廷の勅使の通る門でした。参道入口の仁王門の脇に建てられていたものを現在地に移築しています。中門をくぐると、本殿金堂までは石段と敷石の道が続きます。
鞍馬寺中門

貞明皇后行啓御休息跡
 皇后陛下行啓御休息蹟と刻まれた石碑があります。大正13年(1924)に大正天皇夫人の貞明(ていめい)皇后が徒歩で行啓の際、休息された場所です。
貞明皇后御休息跡

巽の弁財天社
 鞍馬寺本殿金堂の手前の石垣の下に「巽の弁財天社」(たつみのべんざいてんしゃ)が建てられています。本殿の巽の方向にあるので巽の弁財天社と呼ばれ、弁財天を祀っています。学芸・福徳・智恵・財宝・伎芸を授ける神として信仰されています。ここには水琴窟が付設されています。
巽の弁財天社

鞍馬寺転法輪堂
  鞍馬寺の転法輪堂(てんぽうりんどう)は先祖に感謝の祈りを捧げる道場で、1丈6尺の阿弥陀仏が安置されています。重怡上人(じゅういしょうにん)が平安時代に、13年間堂内に籠り、毎日12万遍の弥陀宝号を唱え続け、6万遍の弥陀宝号を書いて法輪に納めたといわれています。
鞍馬寺転法輪堂

鞍馬寺寝殿
 鞍馬寺の寝殿は転法輪堂の向かいにあります。大正13年(1924)に木曽の御料林の檜を下賜され、平安時代の寝殿造りで建立されました。貞明皇后さまが行啓された時に休息された所です。昭和41年(1966)に一部増改修され、今は毎年8月に開催される如法写経会の道場となっています。
鞍馬寺寝殿

鞍馬寺本殿金堂
 鞍馬山信仰の中心道場は本堂と呼ばず、神社とお寺を一緒にしたような「本殿金堂」といわれます。本尊として千手観世音菩薩、毘沙門天王、護法摩王尊の三尊尊天を祀っています。地下は宝殿と呼ばれ、三尊尊天像を中心に信徒の清浄髪が祀られています。
鞍馬寺本殿金堂
 本殿金堂前の広々とした前庭の石畳は「金剛床(こんごうしょう)」と呼ばれます。鞍馬山の教えの理想、内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものと一体化することを表現しているそうです。本殿金堂は昭和46年(1971)に再建された鉄筋コンクリート造りの建物です。
鞍馬寺本殿金堂

阿吽の虎
 本殿金堂前の左右に阿吽の虎が置かれています。虎は毘沙門天の使いの神獣とされています。鑑真和上の高弟・鑑禎(がんてい)上人が鬼に襲われた時、毘沙門天に助けられました。現れたのは寅の月、寅の日、寅の刻であったといわれています。
阿吽の虎

閼伽井護法善神社
 本殿金堂の東側に閼伽井護法善神社(あかいごほうぜんじんじゃ)があります。水の神様です。千年ほど昔に、修行中の峯延上人(ぶえんしょうにん)を襲った大蛇のうち、雄蛇は斃されて「竹伐り会式」の由来となり、雌蛇は本尊に捧げるお香水を永遠に絶やさぬと誓い、ここに祀られました。
閼伽井護法善神社

光明心殿
 本殿金堂の西側に光明心殿(こうみょうしんでん)があります。天狗姿の護法魔王尊を祀るといわれ、悪魔降伏・災禍伐除などの護摩供を行う道場です。大地の力・護法魔王尊とは、650万年前に人類救済の使命を帯びて金星から天降ったといわれています。
光明心殿

本坊・金剛寿命院
 光明心殿の西に本坊・金剛寿命院(こんごうじゅみょういん)があります。鞍馬寺寺務所や鞍馬弘教宗務本庁が置かれています。玄関前の「瑞風庭(ずいふうてい)」は、奥の院に護法魔王尊が降臨する様子を表現しているそうです。
本坊・金剛寿命院

与謝野鉄幹歌碑
 霊宝館の手前に与謝野寛(鉄幹)の歌碑があります。
  「遮那王が背くらべ石を山に見て 
      わが心なほ明日を待つかな」
                      寛
与謝野鉄幹歌碑

与謝野晶子歌碑
 与謝野鉄幹歌碑の隣に与謝野晶子の歌碑が建てられています。
 「何となく君にまたるるここちして
     いでし花野の夕月夜かな」
                  晶子
与謝野晶子歌碑

冬柏亭
 霊宝殿の前、奥之院参道入り口の横に冬柏亭(とうはくてい)があります。昭和5年(1930)に建てられた与謝野晶子の書斎です。東京荻窪にあったものを昭和18年に門下生であった岩野氏宅に移され、昭和51年(1976)に岩野氏の好意で、ここに移築されました。
冬柏亭

霊宝殿(鞍馬山博物館)
 霊宝殿(鞍馬山博物館)には国宝の毘沙門天三尊像などの仏像、寺宝、自然の標本などが収蔵されています。また鞍馬弘教を開宗した信楽香雲管長は与謝野晶子の直弟子で、大正時代から交流があったことから、与謝野鉄幹・与謝野晶子の遺品等を展示した記念室もあります。
霊宝殿

息つぎの水
 息つぎの水は鞍馬山で牛若丸(源義経)が修行する途中、のどを潤したとされる湧水です。東光坊から奥の院へ兵法の修行に明け暮れたといわれています。
息つぎの水

背比べ石
 背比べ石は、奥之院への参道(山道)の頂上にあります。奥洲へ下る牛若丸(源義経)が、鞍馬山と名残りを惜しんで、この石と背比べをしたといわれています。
背比べ石

木の根道
 木の根道(きのねみち)は、背比べ石の左手の道を少し上がった所にあります。この辺りは岩盤が地表近くまできているので木の根が地中深く入り込むことが出来ず、地表に露出した状態になっています。ここで牛若丸が跳躍の修行をしたという言い伝えが残されています。
木の根道

大杉権現社
 木の根道の奥に大杉権現社(おおすぎごんげんしゃ)があります。大杉権現社は、樹齢千年に近い杉の巨木で、「護法魔王尊影向(ごほうまおうそんようごう)の杉」として古くから尊崇され、多くの人々の信仰を集めました。昭和25年(1950)の台風で中ほどから折れ、現在は根幹を残すのみです。
大杉権現社

僧上ガ谷不動堂
 僧正ガ谷(そうじょうがだに)不動堂は謡曲の鞍馬天狗が牛若丸と出会ったといわれる所です。堂内には伝教大師(最澄)が刻んだと伝えられる不動明王が安置されています。向かいに、義経堂があります。
僧上ガ谷不動堂

義経堂
 義経堂には源義経が遮那王尊として祀られています。義経は藤原秀衡をたよって奥州に落ち延びました。秀衡が亡くなるとその子・泰衡は頼朝の圧迫にまけて義経を攻め、義経は衣川の館で文治5年(1189)に自害しました。義経の魂が幼少を過ごした鞍馬山に戻り、遮那王尊として護法魔王尊に仕えていると信じられています。
義経堂

奥之院魔王殿
 奥之院魔王殿には魔王尊が祀られています。650万年前に、人類救済の使命を帯びて金星から降臨したといわれます。現在の建物は昭和20年(1945)に焼失後、再建された堂宇です。
奥之院魔王殿



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