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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市左京区

曼殊院
まんしゅいん
京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
Tel 075-781-5010


 延暦年間(782年〜806年)最澄が比叡山上に一宇を設け、天慶年間(938年〜947年)に是算が西塔北谷に移し、東尾坊と号したのが始まりです。天暦元年(945)に門跡寺院となりました。
 平安後期の天仁年間(1108年〜1110年)忠尋のとき曼殊院と名を改めました。後に北山へ移り、その後足利義満が御所のそばに移し、文明年間(1469年〜1487年)のとき伏見宮貞常親王の子慈雲法親王が入寺し門跡寺院となり、以後竹内門跡と称されるようになりました。
 現在地に移ったのは江戸初期の明暦2年(1656)で、桂離宮を造営した八条宮智仁親王の次男、良尚法親王が住持となったときだそうです。そのため桂離宮の美意識が息づく江戸時代初期の代表的な書院建築です。
 豊臣、徳川の援助を受けつつも、桃山文化の華やかさを皇族流に洗練させた芸術がこの時代に花開いたようです。また良尚法親王は正保3年(1646)天台座主となったなかなかの人物だったそうです。
 虎の間、大書院、小書院、庫裡は重要文化財に指定されています。建築、庭園ともに創意に満ち、狩野永徳や探幽の襖絵があり、欄間、釘隠し、襖の引手など細部の意匠にも美意識が宿っています。
 重要文化財に指定されている庫裏の奧に玄関があります。虎の間、孔雀の間、竹の間へと続きますが、虎の間には狩野永徳筆の紙本金地著色竹虎図(重文・桃山)の障壁画があります。
 重要文化財の本堂は、寄棟造りで、柿葺きの大書院という独自の様式で、小書院はさらに凝っていて曼殊院棚と呼ばれる違い棚がつけられています。
 重要文化財の大書院です。
 江戸時代初期の書院建築です。屋の仏間はもと書院の上段の間でしたが、明治初年、大書院西方にあった宸殿取り壊しのさい現在の場所に移築したものです。桂離宮の様式とよく似ているとのことです。
 「十雪の間」です。
 狩野探幽の筆です。違い棚の様式、用材ともに桂離宮と同じもので同時に作られたと見られています。
 遠州好みの枯山水の庭園です。
 庭の真に滝石があり、白砂の水が流れ出ています。滝の前の水分石から鶴島、亀島へ広がります。
 鶴島には樹齢400年の五葉松、その根元には良尚法親王の母からの贈り物の曼殊院型のキリシタン灯籠があります。
 禅的なものと王朝風のものが融合しています。総体的には公家風で極めて日本的で趣味豊かな良尚法親王の趣向を反映しているように見受けられます。



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