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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市左京区

無鄰菴
むりんあん
京都府京都市左京区南禅寺草川町31
Tel 075-771-3909


 この菴は明治大正の元老、山県有朋の別荘です。明治27年(1894)から29年(1896)の間に建てられました。庭園は有朋自ら設計、監督して7代目小川治兵衛が作庭しました。
 庭園は、曲線を描いて疏水の水を引き入れた見事な池泉廻游式です。明治時代の代表的な庭園の一つに数えられています。
 山県有朋は天保9年(1838)、萩藩中間有稔の長男として生まれました。19歳の時、久坂玄瑞の紹介で吉田松陰の松下村塾に入門、以後攘夷運動に奔走しました。
 文久3年(1863)奇兵隊に入隊、軍監となり、下関で英仏蘭米四ヶ国連合艦隊と交戦、高杉晋作挙兵に参加し、第二次長州戦争でも活躍、戊辰戦争には官軍の参謀として北越方面に転戦しました。明治2年(1869)欧州を視察し帰国後兵部少輔・兵部大輔となり、大村益次郎なきあとの軍政に尽力し、徴兵令を制定して国軍の基礎を作りました。
 陸軍卿・陸軍大将・元帥などを歴任、明治政府の中心的存在となりました。政治家としては、二次にわたり内閣を組織しその前後に参議・枢密院議長などにもなりました。伊藤博文亡きあと最大の発言力をもつ元老として、軍や政界に重きをなした人物でした。
 建物は簡素な木造2階建ての母屋、藪ノ内流燕菴を模したといわれる茶室、南西隅に洋館があります。
 この部屋で明治36年(1903)4月21日、元老山県有朋、政友会総裁伊藤博文、総理大臣桂太郎、外務大臣小村寿太郎が集まり日露戦争開戦直前の外交方針を決める無鄰菴会議が行われました。



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