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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市左京区

下鴨神社(賀茂御祖神社)
しもがもじんじゃ(かもみおやじんじゃ)
京都府京都市左京区下鴨泉川町59
Tel 075-781-0010


 下鴨神社は賀茂川と高野川が合流する「糺(ただす)の森」にあります。京都で最も古い神社の一つで、正式には賀茂御祖(かもみおや)神社といいます。古代豪族賀茂氏の氏神社で、賀茂分雷(かもわけいかずち)を祭神としている上賀茂神社と合わせて賀茂神社(賀茂社)と総称されていました。
 下鴨神社の祭神は、農耕を広め民生の安定に努めた賀茂建角身命(かもたけのつみのみこと)とその娘の玉依媛命(玉依比売命)(たまよりひめのみこと)です。賀茂建角身命は西本殿に、玉依媛命は古くから水をつかさどる農耕の神様で、東本殿に祀られています。
 下鴨神社は朝廷の尊崇も厚く、「源氏物語」をはじめ数々の文学に登場しています。山城国風土記によると玉依媛命が瀬見の小川で遊んでいたところ、丹塗りの矢が流れてきました。その矢を拾い床の間に飾ったところ賀茂分雷を懐妊したそうです。
 玉依媛命の兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族が天武天皇6年(678)に氏神神社として創建し、奉斎したところから賀茂社の歴史が始まっています。
 延暦13年(794)、平安京遷都以降は皇城鎮護の神、鬼門の守り神、総地主の神として朝廷の崇敬を集め、伊勢神宮に次ぐ大社となりました。大同2年(807)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされ、葵祭(あおいまつり)として現代まで続いています。
 葵祭は五穀豊穣を願う祭りで、毎年5月15日に執り行われます。京都御所での儀式の後、藤飾りの御所車にのった斎王代(さいおうだい)を中心に内侍(ないし)や釆女、葵の葉を冠にさした貴公子達500人の列が、下鴨神社から都大路を上賀茂神社へと行進します。
 「糺(ただす)の森」は、樹齢200年から600年にもなる老樹が茂り、昔は神々の審判の場であったといわれています。古代の山城国(京都府)の原野として、国の史跡に指定されています。下鴨神社は古都京都の文化財として、平成6年(1994)には世界文化遺産にも登録されています。
 国宝の東本殿と西本殿を中心に25棟の社殿が建ち並んでいます。祝詞舎、幣殿、東西廊、東西御料屋、叉蔵、四脚中門、東西楽屋、中門東西廻廊、預り屋、西唐門、舞殿、神服殿、橋殿、細殿、供御所、大炊所、楼門、楼門東西廻廊などが国の重要文化財に指定されています。
 また、末社・印璽社本殿、摂社・出雲井於神社本殿、摂社・三井神社本殿(東社・中社・西社)、 摂社・三井神社拝殿、摂社・三井神社棟門、摂社・三井神社東西廊下、末社・一言社本殿2社、末社・二言社本殿2社、末社・三言社本殿3社、末社・岩本社本殿、末社・橋本社本殿など、附を含め国の重要文化財に指定されています。


下鴨神社大炊殿(国重文)
 大炊殿(おおいどの)は大炊所とも呼ばれ、神饌のための御料を煮炊き、調理する所です。酒殿、魚貝類鳥類を調理する贄殿(にえどの)がありましたが、応仁・文明の乱で焼失しています。間口5間、奥行3間、単層、切妻造り、本瓦葺きで 寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物です。明治36年(1903)に国の重要文化財に指定されました。
下鴨神社大炊殿

下鴨神社御井(国重文)
 御井(みい)は神饌の御水や若水神事などの祭事が行われる所です。井戸の井筒を井戸屋形、上屋(うわや)を井戸屋と呼び、全体を御井と称しています。毎年12月12日に御薬酒神事と若水をくむ古代様式の神事が行われます。御井は大炊殿の附で国の重要文化財に指定されています。
下鴨神社御井

下鴨神社・摂社三井神社棟門(国重文)
 下鴨神社の摂社である三井神社の棟門は寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物です。切妻造り、檜皮(ひわだ)葺きの一間薬医門で、東西にある廊下(間口4間、奥行1間、単層、両下造り、檜皮葺き)とともに、昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定されています。
三井神社棟門

下鴨神社摂社・三井神社拝殿(国重文)
 下鴨神社の摂社である三井神社の拝殿は間口2間、奥行1間、単層、入母屋造り、妻入、檜皮(ひわだ)葺きで寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物です。正面には本殿の東社、中社、西社があり、東には西唐門、西には三井神社境内社の諏訪社、小杜社、白鬚社が鎮座しています。3つの境内社と拝殿は昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定されています。
摂社・三井神社拝殿

下鴨神社摂社・三井神社本殿(国重文)
 下鴨神社の三井神社の摂社である三井神社の本殿は3殿あり、東社は伊賀古夜日売命(いかこやひめのみこと)、中社は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、西社は玉依日売命(たまよりひめのみこと)を祀っています。
摂社・三井神社本殿
 本殿は3殿ともに檜皮葺きの一間社流造りで、寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物です。延喜式内に「愛宕郡 三井神社」として名を連ねる古社です。「山城国」の「風土記」に、「蓼倉(たてくら)の三身社(みいのやしろ)」と記述されています。三井神社本殿は昭和42年(1967)に3殿ともに国の重要文化財に指定されています。
摂社・三井神社本殿

下鴨神社中門・廻廊(国重文)
 下鴨神社の中門は本殿、弊殿に入るための門です。切妻造り、檜皮(ひわだ)葺きの四脚門で、寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物です。東側に東楽屋、西側に西楽屋があり中門の廻廊が接続しています。廻廊は東西にあり、間口折曲り14間、奥行1間、両下造り、檜皮葺きで、 中門・廻廊ともに明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。
下鴨神社中門

お白石
 古来、下鴨神社の社有地に住む人々は糺の森に面した鴨川の河原にに出向き、神々の降臨を仰ぐに相応しい石を見つけ、式年遷宮が行われる度に石を取り替えていました。その後、21年の遷宮ごとに御垣内の石を一旦持ち出し、3年のお清めを終えた後に御垣内に戻すようになりました。清めを終えた石はお白石と呼ばれます。
お白石

下鴨神社楽屋(国重文)
 下鴨神社の中門の東側に東楽屋(がくや)があり、西に西楽屋があります。間口3間、奥行1間、単層、切妻造り、檜皮(ひわだ)葺きで寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物です。楽屋は行事の際に雅楽を演奏する場として使われました。2つの楽屋とも、明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。
下鴨神社楽屋

下鴨神社預り屋(国重文)
 下鴨神社の預り屋(あずかりや)は、葵生殿(あおいでん)という結婚式を挙げることができる建物になっています。間口5間、奥行3間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きで、寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物です。預り屋として、明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。
下鴨神社預り屋

幣殿(国重文)・東本殿(国宝)・西本殿(国宝)
 下鴨神社の幣殿は玉依媛命、賀茂建角身命に供物を捧げる場所で、奥にあるふたつの本殿と渡り廊下で結ばれています。間口7間、奥行2間、単層、入母屋造り、檜皮葺きで、正面中央に軒唐破風が付けられています。寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物で、明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。
下鴨神社幣殿
 幣殿の奥に国宝の東西の2つの本殿が建てられています。御簾や柱などに阻まれ本殿全体を見ることはできず、撮影も禁止です。東本殿と西本殿は檜皮葺きの三間社流造りで、文久3年(1863)に式年遷宮で再建された建物です。東本殿には玉依媛命、西本殿には賀茂建角身命が祀られています。昭和28年(1953)に国宝に指定されました。
下鴨神社幣殿

下鴨神社末社・印璽社(国重文)
 下鴨神社の西本殿と叉蔵の間に印璽(いんじ)社が建てられています。印璽とは、印鑑、判子のことで、印鑑・契約守護の神様として信仰されています。古くから祀られている社殿で、本社の附(つけたり)で、国の重要文化財に指定されています。
末社・印璽社

下鴨神社叉蔵(国重文)
 下鴨神社の叉蔵 (またぐら)は西本殿の西側に建てられています。間口3間、奥行3間、入母屋造り、妻入、本瓦葺きの校倉で、社宝を安置しています。寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物で、昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定されています。
下鴨神社叉蔵

下鴨神社御料屋(国重文)
 下鴨神社の御料屋(ごりょうや)は幣殿を入った東端と、西端に2つあります。神饌の準備や盛り付けを行う社殿で、2つの社殿とも間口4間、奥行3間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きです。寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物で、明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。
下鴨神社の御料屋

下鴨神社西唐門(国重文)
 下鴨神社の西唐門は檜皮(ひわだ)葺きの一間一戸向唐門です。欄間にぶどうの紋様が彫刻されているところから「葡萄門」とも呼ばれ、寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物です。附指定の左右の透塀を含め、明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。
下鴨神社西唐門

下鴨神社言社(国重文)
 下鴨神社の中門を入った弊殿前に「言社(ことしゃ)」とよばれる7つの小祠が鎮座しています。「大国さん」「えとの守り神」と呼ばれ、7つのお社が十二支の生まれ年の守護神を祀っています。一言社2社、二言社2社、三言社3社が鎮座し、一言社前の透塀も含め、本社の附(つけたり)で、昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定されています。
下鴨神社言社

下鴨神社供御所(国重文)
 下鴨神社の供御所(くごしょ)は西鳥居と出雲井於神社の間に建てられています。間口9間、奥行3間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物です。明治36年(1903)に国の重要文化財に指定されています。
下鴨神社供御所
 供御所の内部は東、中、西の三間に分かれています。東の間は神饌を調理する間、贄殿(中の間)は魚介鳥類を調理する間、待所(西の間)は神官など参集し、直会(なおらい)、勧盃の儀などを行う間になっています。
下鴨神社供御所

摂社・出雲井於神社本殿(国重文)
 下鴨神社の摂社・出雲井於神社(いずもいのうへのじんじゃ)は延喜式内に「愛宕郡 出雲井於神社」として名を連ねる古社です。神武天皇2年に「葛野主殿県主部」とある氏族が祖神として奉斎した社で、地主神である須佐之男命を祀っています。井於(いのへ)とは、川のほとりのことで、出雲郷の鴨川のほとりに坐す神社という意味です。
摂社・出雲井於神社
 出雲井於神社本殿は檜皮(ひわだ)葺き、一間社流造りの建物です。寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物で、昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定されています。この神社の周囲にどのような木を植えても、柊葉のようにギザギザになることから比良木社(柊社)とも呼ばれているそうです。
摂社・出雲井於神社

下鴨神社神服殿(国重文)
 下鴨神社の神服殿はもとは御神服の奉製をする御殿でした。天皇の行幸の時には玉座となり、御所被災の時は、臨時の御座所になります。間口5間、奥行4間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建されています。明治36年(1903)に国の重要文化財に指定されています。
下鴨神社神服殿

下鴨神社舞殿(国重文)
 下鴨神社の舞殿(まいどの)は、楼門と中門の間に建てられています。間口4間、奥行3間、単層、入母屋造り、妻入、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建されています。御所が災害に遭われたとき、臨時の内侍所と定められている建物です。
下鴨神社舞殿
 葵祭(賀茂祭)の当日、ここ舞殿で勅使が祭文を神に捧げるほか、日本最古の歌舞といわれる「東游(あずまあそび)が奉納されます。舞殿は明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。
下鴨神社舞殿

下鴨神社橋殿(国重文)
 下鴨神社の橋殿(はしどの)は舞殿と細殿の間の、境内を流れる御手洗川の上に建てられています。間口4間、奥行3間、単層、入母屋造り、妻入、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建されています。御蔭祭のときご神宝を奉安するのに使われる社殿です。
下鴨神社橋殿
 葵祭(賀茂祭)の神事のとき、ここで神楽や倭舞が奉納されます。また天皇行幸のときなどに、公卿や殿上人の控え所として使われました。御手洗川の上に橋のように懸けられているので橋殿といわれています。
下鴨神社橋殿

下鴨神社細殿(国重文)
 下鴨神社の細殿(ほそどの)は橋殿の東隣りにあります。間口5間、奥行2間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きで、1間の向拝が付けられています。寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物で、歌会、茶会などが行われる社殿です。
下鴨神社細殿
 平安時代の下鴨神社の「神殿記」に「細殿」の記述があり、歴代天皇の行幸、上皇、法皇、院、関白などの賀茂詣の時に、歌会などが行われています。
下鴨神社細殿

下鴨神社楼門(国重文)
 下鴨神社の楼門は南の入口に建てられています。入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの三間一戸の楼門です。高さが13mある朱塗りの堂々とした門で、寛永5年(1628)頃、式年遷宮で再建された建物です。東西に回廊が接続し、西回廊の剣の間は、葵祭の時、勅使が剣を解く所です。楼門、回廊ともに明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。
下鴨神社楼門



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