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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市左京区

真如堂(真正極楽寺)
しんにょどう(しんしょうごくらくじ)
京都府京都市左京区浄土寺真如町82
Tel 075-771-0915


  真如堂は天台宗の別格本山で、洛東の神楽岡に建てられています。正式には鈴聲山(れいしょうざん)真正極楽寺と号し、真如堂とは本堂の名です。真如堂の建立は古く永観2年(984)です。比叡山延暦寺の常行堂の阿弥陀如来像を、神楽岡の東にあった一条天皇の母である東三条女院(藤原詮子・円融天皇女御)の離宮に、安置したのが始まりです。離宮の跡は現寺地の東北に当り「元真如堂」といわれています。
 正暦3年(1079)、戒算を開山とした寺になり、同5年(1081)に一條天皇の勅願寺となりました。不断念仏の道場として浄土宗の開祖である法然上人や、浄土真宗の開祖である親鸞聖人など多くの念仏行者や民衆の信仰を集め、伽藍も整備されて繁栄しました。
 しかし応仁の乱では東軍の陣が布かれたため兵火で諸堂宇は全焼し、荒廃しました。文明17年(1485)、足利義政が再興しましたが、その後、幾たびか火災に遭い、寺地も変わりました。元禄6年(1693)、現在地に移り、再興を果たしました。
 現在の堂舎は宝永2年(1705)に再建されたものが中心になっています。約4万2千平方mの広い境内には国指定重要文化財の本堂をはじめ、総門、三重塔、鐘楼堂、元三大師堂、開山堂、薬師堂、鎌倉地蔵堂など40もの堂宇と子院8院が建ち並び別格本山の寺格をそなえています。
 国の重要文化財に指定されている本尊の阿弥陀如来像は、慈覚大師が刻んだといわれています。平安時代(藤原朝)の名作で、日本3大如来像の一つとされています。また寺宝の大仏師運慶の発願になる法華経6巻は国宝に指定されています。
 浄土宗の重要な仏教行事である「お十夜」は真如堂から始められました。10月6日から10日10夜の間、念仏勤行を修する儀式です。永享2年(1430)、平貞経・貞国父子らが真如堂に籠ったのが最初です。今でも真如堂では11月5日から15日まで十夜念仏が執り行われています。


真如堂総門
 真如堂の総門は江戸時代初期の元禄8年(1695)に再建された門です。真如堂の西側の神楽岡(吉田神社)の神々が夜参拝する際につまずかないように敷居をなくしています。総門は「赤門」と呼ばれて親しまれ、京都府の有形文化財に指定されています。
真如堂総門

真如堂本堂(国重文)
  真如堂の本堂は享保2年(1717)に再建された建物です。京都市内の天台宗寺院の本堂では最大規模を誇り、国の重要文化財に指定されています。本堂正面に掲げられた「真如堂」の大額は、享保11年(1726)に宝鏡寺宮から寄付されたものです。7間4面の総欅、入母屋造り、本瓦葺きのどっしりとした重量感のある建物です。
真如堂本堂
 本堂内部は外陣(げじん)と、内陣(ないじん)、内々陣に分かれています。内陣は金箔の天蓋や瓔珞(ようらく)で厳かに飾られ祈祷や修行の場になっています。内々陣の須弥壇(しゅみだん)には本尊の阿弥陀如来が祀られています。内陣左脇の仏間には、中央に文殊菩薩像、両脇に天台大師像と伝教大師像が祀られています。
真如堂本堂

真如堂三重塔
 真如堂の三重塔は多宝塔を祀った本瓦葺きの三重塔婆で、約30mの高さがあります。江戸時代の文化14年(1817)に再建された建物です。紅葉とも新緑とも、雪景色でも写真映えのする趣深い古塔です。三重塔は京都府の有形文化財に指定されています。
真如堂三重塔

真如堂元三大師堂
 真如堂の元三(がんざん)大師堂は霊験あらたかな高僧である元三大師良源を祀る大師堂です。元禄9年(1696)に再建された堂宇で「京洛十八大師めぐり」の第3番札所になっています。良源の月命日3日に護摩供法要が執り行われます。堂内には本尊の元三大師の画像が掲げられ、地蔵菩薩と不動明王像が安置されています。京都府の有形文化財に指定されています。
真如堂元三大師堂

真如堂新長谷寺
 真如堂の新長谷寺は「洛陽三十三所観音霊場巡礼」の第5番札所になっています。明治時代の神仏分離令により吉田山から移築されました。奈良県の長谷寺の御本尊十一面観音を模した観音像が祀られています。
真如堂新長谷寺

真如堂鐘楼堂
 真如堂の鐘楼堂は元禄年間(1688-1704)に建てられています。建立当時は極彩色で今も部分的に名残があります。梵鐘は宝暦9年(1759)に鋳造されたものです。第2次世界大戦中に供出されましたが、後に返還されています。鐘楼堂は京都府の有形文化財に指定されています。
真如堂鐘楼堂

真如堂薬師堂
 真如堂の薬師堂は病気平癒のご利益があるという薬師如来像を祀っています。平安遷都の頃、蓬華のつぼみのような大きな石の上に祠を建て、石の頭で彫った薬師如来を安置したそうです。元禄年間に現在の真如堂の境内に移されました。薬師堂は昭和41年(1966)に東山五条の金光院より寄進・移築された建物です。
真如堂薬師堂

真如堂鎌倉地蔵堂
 真如堂の鎌倉地蔵堂は元々鎌倉にあり、本尊は玄翁和尚(室町時代の僧)が自ら割った殺生石によって作ったといわれています。能の演目「殺生石」の物語に由来する地蔵尊で、江戸時代初期にこの地に遷座されました。家内安全、福寿、延命などの他、冤罪を晴らし心の病を治すご利益があるとされています。
真如堂鎌倉地蔵堂

真如堂萬霊堂
 真如堂の萬霊堂は宝蔵の横に建てられています。三井家によって建立され、地蔵菩薩を中心に有縁無縁の精霊を祀っています。真如堂は三井家の菩提寺で、墓所があります。
真如堂萬霊堂

真如堂京都映画誕生の碑
 真如堂の本堂の前に京都・映画誕生の碑が建てられています。京都で映画が創られて100年の記念すべき年に、牧野省三が本能寺合戦をこの真如堂境内で撮影しました。その足跡を刻み映画発展を願って平成20年(2008)にこの碑を建立したものです。
京都映画誕生の碑

真如堂斉藤利三墓
 真如堂の墓地には春日の局の父で明智光秀の家老、斉藤利三の墓があります。利三は山崎の合戦で奮戦しましたが敗れ、近江の堅田で打ち首となりました。その晒された利光の首を親友の海北友松が奪い取って京都真如堂に手厚く葬ったという逸話が残されています。墓地には海北友松や東陽坊長盛、俳人の向井去来などの墓もあります。
斉藤利三墓



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