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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市左京区

吉田神社
よしだじんじゃ
京都府京都市左京区吉田神楽岡町30
Tel 075―771―3788


 吉田神社は京の都から鬼門の方角にある吉田山に建てられています。周囲は古くから霊域として崇められた神楽岡に囲まれています。吉田神社には日本全国の神様を祀る大元宮(重要文化財)や料理やお菓子の神様などが鎮座しています。また、節分祭の追儀式・鬼やらいは有名です。
 貞観元年(859年)、藤原山蔭(やまかげ)が一門の氏神として奈良の春日大社の四柱神「建御賀豆知命(たけみかづちのみこと)、伊波比主命(いはいぬしのみこと)、天之子八根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)」を勧請したのが始まりです。
 後に、平安京における藤原氏全体の氏神として崇敬を受けるようになりました。永延元年(987)より朝廷の公祭を預かるようになり、正暦2年(991)には22社の前身である19社奉幣に加えられました。鎌倉時代以降は卜部(うらべ)氏(後に吉田に改名)が神職を代々務めるようになります。
 文明年間(1469-1487)には吉田兼倶(かねとも)が吉田神道を創始しました。神・儒・仏・道四教および陰陽道の関係を説き、神道を万法の根本とし、神主仏従の立場から反本地垂迹説を主張しました。唯一神道、唯一宗源神道、卜部神道とも呼ばれます。その拠点として文明16年(1484)、境内に末社の斎場所大元宮を建立しました。
 その後も吉田兼右・兼見らの活躍により吉田神道は発展しました。寛永5年(1665)、徳川幕府が発布した諸社禰宜神主法度により、吉田家は全国の神社の神職の任免権(神道裁許状)などを与えられ、神祇界の長となりました。明治時代に神社が国の管理下におかれるようになるまで栄光の歴史は続きました。
 吉田神社の境内には摂社、末社合わせて11もの社があります。斎場所大元宮は国の重要文化財に指定され、本殿4棟、中門、東御廊、西御廊、摂社若宮社本殿、末社斎場所中門は京都府の有形文化財に指定されています。


吉田神社本宮
 吉田神社の本宮は向かって右より、第一殿(建御賀豆知命)、第二殿(伊波比主命)、第三殿(天之子八根命)、第四殿(比売神)を祀っています。建御賀豆知命、伊波比主命は災難より逃れ幸福を勝ち取る厄除・開運の神、天之子八根命は神祇の祖神であり思慮深き学問の神、比売神は女神で女性に徳を授ける神です。平成24年(2012)京都府の有形文化財に指定されました。

吉田神社斎場所大元宮(国重文)
 吉田山の南方に吉田神社の末社である斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう)が建てられています。「天神地祇八百萬神(あまつかみくにつかみやおよろづのかみ)」という、全国の延喜式内社3132座の全てを祀るという吉田神道の根本殿堂です。吉田兼倶が、文明16年(1484)に吉田家の邸内にあったものを移築したのが始まりです。
斎場所大元宮
 現在の社殿は慶長6年(1601)に再建されたの建物で、明治35年(1902)に国の重要文化財に指定されています。単層、入母屋造り、茅葺きの八角殿で、背後に六角形の祈祷所が付いています。棟には千木をあげ、中央に露盤宝珠を置き、前後に勝男木をおく特殊な構造です。神仏習合、陰陽、五行などの諸説を総合しようとした吉田神道の理想をこの形で表現しているそうです。
斎場所大元宮

吉田神社摂社若宮社
 吉田神社の摂社である若宮社は天忍雲根命(あめのおしくもねのみこと)を祀っています。天之子八根命と比売神の御子で、水徳の神といわれています。当初は本宮の第二殿と第三殿の間にあった無社殿で祀られていましたが、慶安元年(1648)に現地に造営され、明治10年(1877)に吉田神社の摂社に定められました。若宮社は平成24年(2012)京都府の有形文化財に指定されています。
吉田神社摂社若宮社

吉田神社末社今宮社
 吉田神社の末社・今宮社は古くから木瓜大明神と称された吉田町の産土神でした。建保3年(1215)には吉田小社駐進状の中に記述があり、文化13年(1816)に現地に造営されました。蒼龍(そうりゅう)、白虎(びゃっこ)、朱雀(すざく)、玄武(げんぶ)という四つの方角を守る聖獣の石が「今宮社四神石」として置かれています。
吉田神社末社今宮社

吉田神社末社山蔭神社
 吉田神社の末社・山蔭神社は、吉田神社創建した藤原山蔭を祀っています。日本で初めてあらゆる食物の調理や調味の始祖とされていることから、包丁の神・料理飲食の祖神とされています。昭和32年(1957)の吉田神社御鎮座1100年大祭を機に、全国料理関係者が創建に協賛し、昭和34年(1959)に鎮祭された社です。
吉田神社末社山蔭神社

吉田神社末社菓祖神社
 吉田神社の末社である菓祖(かそ)神社は昭和32年(1957)に創建され、田道間守命と林浄因命を祀っています。垂仁天皇に不老不死の霊菓、非時香菓(ときじのかぐのみ)を探すように命ぜられた田道間守は中国にわたり、当時の菓子にあたる果物の橘(みかん)を持ち帰った人物です。林浄因は日本で初めて饅頭をつくった人物だといわれています。
吉田神社末社菓祖神社

吉田神社末社稲荷社(竹中稲荷社)
 吉田神社の末社である末社・稲荷社は明治5年(1872)に吉田神社に組み入れられた社で、それまでは竹中稲荷神社といわれていました。天長年間(824-834)には記述が見え、天保年間(1830-1844)、境内の賑わう様子が記されています。現在のところに天保11年(1840)に造営されています。
竹中稲荷社

吉田神社末社天満宮社
 吉田神社の末社・天満宮社は地福院にあったものを、嘉永5年(1852)現在地に遷座されています。明治5年(1872)、竹中稲荷神社とともに、吉田神社の末社に加えられています。隠れた桜の名所となっています。
吉田神社末社天満宮社

さざれ石
 「若宮社」に登る階段の横には、「さざれ石」があります。石灰石が溶けて周りにあった石を凝結して大きくなったもので、繁栄を象徴する石なのです。この石は岐阜県春日村の山中にあったもので、岐阜県の天然記念物に指定されているそうです。
さざれ石

神鹿像
 さざれ石の横には「神鹿」の像があります。神鹿(しんろく)とは、神の使いとして、神社で飼っておく鹿のことで奈良の春日大社と関係があるようです。吉田神社は藤原氏の氏神「春日神」を春日大社から勧請している深い関係があります。
神鹿像



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