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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市下京区

西本願寺
にしほんがんじ
京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル
Tel 075-371-5181


 大伽藍を誇る西本願寺は、全国に末寺1万あまりを擁する浄土宗本願寺派の本山です。文永9年(1272)宗祖親鸞聖人の娘の覚信尼(かくしんに)が、京都東山に廟堂を創建したのが始まりです。3世の覚如(かくにょ)、8世の蓮如(れんにょ)が寺勢を盛り上げました。
 あいつぐ戦乱や、比叡山宗徒などの反目で寺は破壊されました。山科、大阪石山、紀伊鷺森、和泉貝塚、大阪天満などを転々とし、天正19年(1591)豊臣秀吉により七条堀川に寺地寄進を受け、顕如の子准如が造営にあたりました。慶長7年(1602)、徳川家康は、顕如の子教如(准如の兄)に寺地を与えたため東西に分けられました。東本願寺ができたため、西本願寺と呼ばれるようになりました。
 寛永19年(1633)頃に、寺観はほぼ現存の姿になったようです。広大な境内には、御影堂を中心に多数の伽藍が建ち並び、広々として壮観です。国宝の唐門や書院は伏見城の遺構で、飛雲閣や能舞台は聚楽第の遺構といわれ、桃山建築の美を堪能できます。
 御影堂、阿弥陀堂、唐門、黒書院及び伝廊、飛雲閣、北能舞台も国宝に指定され、御影堂門、阿弥陀堂門、経蔵、太鼓楼、鐘楼、手水所、鼓楼、総門、浴室、手水所などは国の重要文化財に指定されています。境内は国の史跡に指定され、世界文化遺産に登録されています。


西本願寺総門(国重文)
 西本願寺の総門は南北に袖塀がついた一間高麗門です。切妻造り、本瓦葺きで、 江戸末期に建てられた門です。御影堂門の真東側に堀川通を隔てて昭和34年(1959)に移されています。平成23年(2011)に修復され、 平成26年(2014)に国の重要文化財に指定されています。
西本願寺総門

西本願寺御影堂門(国重文)
 西本願寺の御影堂門は御影堂の正面東側にあり、その中間には大銀杏が植えられています。江戸前期の正保2年(1645)に再建された建物で、 入母屋造り、本瓦葺きの四脚門です。平成26年(2014)に国の重要文化財に指定されています。
西本願寺御影堂門

西本願寺御影堂(国宝)
 西本願寺の御影堂(ごえいどう)は大師堂とも呼ばれ、親鸞上人像が安置されています。元和3年(1617)の火災で焼失したため、寛永13年(1636)に再建された建物です。宗祖親鸞の廟堂として建てられ、本願寺では本堂の阿弥陀堂よりも大きな建物で、江戸初期の木造建物では日本最大です。
西本願寺御影堂
 御影堂では重要な行事が行われています。高さ29m、間口62.1m、奥行53.8m、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、3間の向拝を付けています。内部は外陣と内陣に分かれていて、外陣は畳441畳敷、千人以上の多くの門信徒が参拝できるように、特に広く作られています。
西本願寺御影堂
 正面に掲げられている「見真」の額は、明治9年(1876)に明治天皇より贈られたものです。寛政12年(1800)に「寛政の大修復」があり、平成11年(1999)から平成20年(2008)にかけ「平成大修復」を行いました。御影堂は平成26年(2014)に国宝に指定されています。
西本願寺御影堂

西本願寺阿弥陀堂門(国重文)
 西本願寺の阿弥陀堂門は江戸後期の享和2年(1802)に再建された門で、御影堂門の北側にあります。大阪別院から移築されたといわれています。切妻造り、檜皮(ひわだ)葺きの大規模な四脚門で、前後に軒唐破風が付けられ、煌びやかで豪華です。平成26年(2014)に国の重要文化財に指定されています。
西本願寺阿弥陀堂門

西本願寺阿弥陀堂(国宝)
 西本願寺の本堂にあたる阿弥陀堂は宝暦10年(1760)に12年かけて再建された建物です。 本尊の阿弥陀如来像を安置し、御影堂の北に建てられています。御影堂とともに江戸時代の真宗伽藍の典型といわれています。平成26年(2014)に国宝に指定されています。
西本願寺阿弥陀堂
 阿弥陀堂は。間口45.2m、奥行42.1m、高さ25m、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、背面は縋(すがる)破風の葺きおろしで、3間の向拝が付けられています。阿弥陀堂の内部は外陣と内陣に分かれていて、外陣は畳285畳敷で、800人収容できるそうです。
西本願寺阿弥陀堂
 阿弥陀堂と御影堂とは、 「渡り廊下」および「喚鐘廊下」で接続されています。これらの廊下も、阿弥陀堂と附属建造物として国宝に指定されています。廊下には動物や植物などを型どった木によって、節穴や亀裂が埋められています。大工の粋な気遣いを感じることができます。
西本願寺阿弥陀堂

西本願寺唐門(国宝)
 西本願寺の唐門は境内の南側、北小路通に南面して建てられています。唐門は書院(対面所)への正門で、「日ぐらしの門」ともいわれています。4本の控え柱をもつ四脚門形式で、前後に雄大な唐破風を付け、側面は入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きです。
西本願寺唐門
 唐門は寺院の門としては華麗過ぎるところから伏見城の遺構と伝えられ、桃山時代の天正、文禄、慶長年間(573-1614)に建立され、寛永年間(1624-1643)に移築されたと思われています。唐門は昭和28年(1953)に国宝に指定されています。
西本願寺唐門

西本願寺書院(国宝)
 西本願寺の書院(対面所及び白書院)は御影堂の南隣りの「龍虎殿」の西側に建てられています。江戸前期の元和4年(1618)に建てられた建物で、間口18間、38.5m、奥行14間、29.5m、単層、入母屋造り、妻入、本瓦葺きで、庇と濡縁が付けられています。近世書院造りを代表する建築で、現存する書院では最大の建物です。
西本願寺書院
 書院には南側の対面所と北側の白書院があります。対面所の主室は欄間に雲と鴻(コウノトリ)を透彫りにするところから、鴻の間と呼ばれています。西側には控えの間である雀の間、雁の間、菊の間があります。北側の白書院には西から東へ三の間、二の間、一の間(紫明の間)があります。昭和27年(1952)に国宝に指定されています。
西本願寺書院

西本願寺大玄関門
 大玄関の前にある大玄関門は、唐門の西隣りに建てられています。弘化4年(1847)に新築された門で、左右に門番屋があります。江戸幕府の十万石以上の大名家の格式に準じたという重厚な門です。馬繋ぎの建物もあり、寺院でありながら武家時代の遺風を伝えています。
西本願寺大玄関門

西本願寺大玄関(国重文)
 西本願寺の大玄関は公式の行事の時に来客を迎えたりする際に使われます。宝暦10年(1760)の親鸞聖人500回忌の時には建立されていたようです。本瓦葺き、入母屋造り、妻入りに唐破風を付けています。浪之間、虎之間、太鼓之間も含め、明治37年(1904)に国の重要文化財に指定されています。
西本願寺大玄関

飛雲閣(国宝)
 西本願寺の飛雲閣(ひうんかく)は境内の東南隅に建てられています。豊臣秀吉が建てた聚楽第の遺構といわれ、文禄4年(1595)に取り壊されたのち、寛永年間(1624-1643)に移築されたといわれています。3階建てで、1階は入母屋造り、2階は寄棟造り、3階は宝形造りと変化に富んだ建築です。昭和26年(1951)に国宝に指定されています。
西本願寺飛雲閣

西本願寺経蔵(国重文)
 西本願寺の経蔵は延宝5年(1677)に建てられています。巨大な回転式の八角転輪蔵があり、6千巻以上の一切経が納められています。転輪蔵を1回転させると一切経をすべて読んだことになるそうです。宝形造り、本瓦葺きで、平成26年(2014)に国の重要文化財に指定されています。
西本願寺経蔵

西本願寺鐘楼(国重文)
 西本願寺の鐘楼は飛雲閣の近くにあり、明治43年(1910)に国の重要文化財に指定されています。元和4年(1618)に再建された建物で、間口1間、奥行1間、単層、切妻造り、本瓦葺きです。 初代の鐘は久安、仁平年間(1150年頃)に鋳造された太秦広隆寺から譲られた鐘だったそうです。除夜の鐘は教義に合わないため鳴らさないそうです。
西本願寺鐘楼

西本願寺手水所(国重文)
 西本願寺の手水所(ちょうずしょ)は 宝暦8年(1758)に造られています。間口2間、奥行1間、単層、入母屋造り、本瓦葺きの建物で、中央には石製の井戸と石水盤があります。平成26年(2014)に国の重要文化財に指定されています。
西本願寺手水所

西本願寺旧仏飯所
 西本願寺の旧仏飯所は、滴翠園(てきすいえん)の西北部にあります。昭和36年(1961)に膳所(ぜんしょ)が建てられるまで、日々のお供えのお仏飯を炊事していた建物です。間口4間、7m、奥行3間、6m、単層、寄棟造り、本瓦葺きで、内部は板間、台所からなり、その南面西寄りに渡り廊下が接続していました。
西本願寺旧仏飯所

西本願寺大銀杏
 西本願寺の御影堂の前に大銀杏があります。樹齢約400年という古木で、天明8年(1788)や元治元年(1864)の大火にも耐えてきたといわれています。根を天に向かって広げているような姿のため「逆さ銀杏」と呼ばれており、京都市の天然記念物に指定されています。
西本願寺大銀杏



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