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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市右京区

広隆寺
こうりゅうじ
京都府京都市右京区太秦蜂岡32
Tel 075-861-1461


 広隆寺は、真言宗の寺院です。推古天皇11年(603)建立の京都最古の寺で、「日本書紀」によれば、渡来氏族の秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子から与えられた仏像を本尊にして創建したといわれています。
 国宝の弥勒菩薩像は国宝第1号に指定された弥勒菩薩半跏思惟像の仏像です。永遠の微笑をたたえて霊宝殿に安置されている。高さ124cm赤松の一本造りで新羅より聖徳太子へ贈られたものだそうです。
 広隆寺には、仏像だけでも国宝が17体、重要文化財が31体もあります。この寺は818年と1150年に火災にあって創建時の諸堂はことごとく失われました。それにもかかわらず、これだけ多くの仏像が残っているのです。
 南大門を入ると石畳が続いていて、その右手には赤堂と通称される講堂が、左手には薬師堂、能楽堂、地蔵堂が甍を並べています。石畳の正面には本堂の上宮王院(じょうぐうおういん)太子殿が建っています。
 重要文化財の広隆寺の講堂です。講堂内には国宝の講堂の本尊である阿弥陀如来座像(平安時代)、重要文化財の虚空蔵菩薩座像(平安時代)、地蔵菩薩座像などが安置されています。
 講堂の北には秦河勝を祀る太秦殿(太子堂)があり、その隣りに本堂の上宮王院太子殿があります。
 広隆寺には塔というものがありません。それぞれの堂宇も古代の寺院にありがちな肩苦しい様式で配置されていません。
 603年(推古11)11月聖徳太子は群臣を前にして、「私は尊い仏像を持っている。だれかこの仏を祀るものはいないか」と尋ねられました。
 そのとき秦河勝が「私が祀りましょう」と名乗り出で、仏像を拝領したそうです。そして、その仏像を祀るために建てた寺が、今の広隆寺の前身である蜂岡寺であったと日本書紀には載っています。
 「広隆寺縁起」には聖徳太子が秦河勝に次のような話をしたそうです。「私は昨夜、不思議な夢をみた。香ばしい香りに満ちた桂の林の中に大きな枯れ木があり、五百羅漢がその下に集まってお経を読んでいる。」
 「枯れ木からは大光明が放ち、羅漢の読経が微妙な声で仏法を説いているように聞こえ、まことに格別な霊地に思えた」と語ったのです。
 河勝は「その場所は我々が住む葛野(かどの)です」と答え、その場所へ聖徳太子を案内しました。そこでは、大きな桂の枯れ木の周りを無数の蜂が飛んでいて、その蜂の群は羅漢が説法しているように見えたのでした。
 そこで、仮の宮殿を造って楓野(かえでの)別宮となずけ、河勝に命じて蜂岡寺を建立させたというのです。楓野別宮は現在の桂宮院の当るということです。



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