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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市右京区

仁和寺
にんなじ
京都府京都市右京区御室大内33
Tel 075-461-1155


 仁和寺は竜安寺の南西800mほどのところにある真言宗御室派の総本山です。仁和2年(886)、第58代光孝天皇の勅願によって建設に着手されました。先帝の菩提を弔い、仏法の興隆を図るため「西山御願寺」(にしやまごがんじ)と称する一寺の建立を発願されたことが始まりです。
 しかし、天皇はその工事なかばにして崩御し、次の宇多天皇によって仁和寺は仁和4年(888)、年号を寺号として創建されました。宇多天皇は寛平9年(897)に譲位し、法皇となって仁和寺に御室を構えて入山しました。寛仁2年(1018)には三条天皇の皇子師明(もろあきら)親王が入りました。
 その後白河天皇の皇子・第3世の覚行が跡をつぎ中御室と呼ばれました。これが最初の法親王となり、以後門跡寺院の第一として隆盛を極めていきます。法親王入寺ごとに御堂が新設されて堂舎僧坊は増加し、寺域も拡大して東は紙屋川辺から西は広沢池にまで及んだそうです。
 一時の仁和寺は子院も含めて64を数えるという大伽藍になり壮観を極めました。しかし、元永2年(1119)と仁平3年(1153)の大火で大打撃を受けました。鎌倉時代後半には、貴族に替わって武家が台頭し、仏教も禅宗の方が盛んになり、真言宗はかつての栄光を失っていきました。
 そして、応仁元年(1467)に始まった応仁の乱によって、仁和寺は一山ことごとく焼失するという悲運に見舞われたのです。応仁の乱が始まった翌年、当時仁和寺は西軍の一拠点となっており、東軍の焼き討ちに遭い、わずか一夜にしてことごとく焼失したということです。
 以後150年間は双ヶ丘(ならびがおか)西麓に移っていました。その後、21世の覚深法親王が再興に乗り出し、徳川3代将軍家光の援助を仰ぎ、20余万両の寄進と、京都御所の紫宸殿、清涼殿などが下賜され再建されました。当時御所に存在しなかった二王門や五重塔は、その当時新築されたものだそうです。
 明治維新まで30代、約1000年にわたり皇子皇孫が仁和寺の門跡(住職)に就任し、御室御所(おむろごしょ)と称されました。明治維新後は、門跡に皇族が就かなくなったことから、旧御室御所と呼んでいます。明治20年(1887)の火災で本坊の多くを焼失し、大正2年(1913)現在の姿になりました。
 仁和寺の広大な境内は御室御所跡として史跡に指定され、御室桜は国の名勝に指定されています。金堂は国宝に指定され、二王門、本坊表門、中門、観音堂、五重塔、経蔵、鐘楼、御影堂、御影堂中門、九所明神本殿、遼廓亭、飛濤亭などは国の重要文化財です。平成6年(1994)にはユネスコの世界文化遺産に登録されています。


仁和寺二王門(国重文)
 仁和寺の二王門は徳川家光の寄進により寛永18年(1641)から正保元年(1644)頃に建立されたと考えられています。5間3戸の2階二重門で、入母屋造り、本瓦葺きの建物で、知恩院三門・南禅寺三門とともに京都3大門の一つに数え上げられています。
仁和寺二王門
 重厚感のある純和様の大きな門で、高さは20mもあるそうです。仁王像は運節という仏師の作で、両脇に一対の金剛力士像が安置されています。二王門は昭和6年(1931)に国の重要文化財に指定されています。
仁和寺二王門

仁和寺本坊表門(国重文)
 仁和寺にある本坊の表門は寛永時に再建する時に、御所の御台所門を移築しものです。本瓦葺きの一間薬医門で、慶長時代(1596-1615)頃のものです。この門の中は御殿といわれる「旧御室御所」があります。そして尾形光琳の屋敷を移築した遼廊亭と飛涛亭の二つの茶室(国重文)があります。本坊表門は昭和48年(1973)に国の重要文化財に指定されています。
仁和寺本坊表門

旧御室御所大玄関
 本坊の表門の中に旧御室御所(御殿)の大玄関があります。木造平屋建て、間口12m、奥行7m、入母屋造り、桟瓦葺きで、東正面に間口6mの大きな唐破風造り、檜皮葺きの車寄を構えています。明治20年(1887)の火災で焼失し、明治23年(1890)に再建された建物です。平成23年(2011)に国の登録文化財になっています。
旧御室御所大玄関

仁和寺皇族門
 仁和寺の皇族門は大玄関から東にのびる塀の中程にあります。木造、檜皮葺き、間口2.7mの四脚平唐門です。御殿の前庭と内庭を仕切る、木割の細い、繊細な門で大正3年(1914)に建てられています。平成23年(2011)に国の文化財に登録されています。
仁和寺皇族門

仁和寺勅使門
 仁和寺の勅使門は本坊表門の北隣にあり、「陽明門」とも呼ばれ、大正3年(1914)に建てられています。木造、唐破風造り、側面は入母屋造り、檜皮葺き、間口5.2m、左右に袖塀がある四脚門です。壁面や桟唐戸などに流麗な透彫りが施されています。本願寺唐門のような大きな門で、勅使のための門です。普段は「開かずの門」になっています。平成23年(2011)に国の文化財に登録されています。
仁和寺勅使門

仁和寺中門(国重文)
 仁和寺の中門は二王門の北の正面の石段の上に建てられています。高さ8.1m、三間一戸の八脚門で、切妻造り、本瓦葺きの朱塗りの門です。寛永18年(1641)から正保元年(1644)に再建されたと考えられています。中門は昭和48年(1973)に国の重要文化財に指定されています。
仁和寺中門

御室桜(国名勝)
 御室桜(おむろざくら)は中門を入って左手(西側)にあります。御室桜は樹高が2、3mと低く根元から枝を張り、開花の時期が他所の桜に比べて遅いことで知られています。地を這う様に咲き乱れ、花弁は大ぶりで厚く、色も濃いのが特長です。「わたしゃお多福 御室の桜 はなは低とも人は好く」と詠われました。御室桜は国の名勝に指定されています。
御室桜

仁和寺観音堂(国重文)
 仁和寺の観音堂は御室桜の北にあります。間口5間、奥行5間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、1間の向拝が付けられています。内部に本尊の千手観音像と脇侍二十八部衆、風神雷神像を安置しています。寛永18年(1641)から正保元年(1644)に再建されたと考えられています。観音堂は昭和48年(1973)に国の重要文化財に指定されています。
仁和寺観音堂

仁和寺五重塔(国重文)
 観音堂の東側に仁和寺の五重塔が建てられています。高さは約36mで、寛永21年(1644)に造営されたものです。本瓦葺きの三間五重塔婆で、明治33年(1900)に国の重要文化財に指定されています。五重塔は一般的に上層にいくほど屋根が小さく造られますが、仁和寺の五重塔は各層ともほぼ同じ大きさで、江戸時代の特徴を示しています。
仁和寺五重塔

仁和寺金堂(国宝)
 仁和寺の金堂は二王門、中門の北の正面奥に建てられています。慶長18年(1613)に建てられた御所の紫宸殿を寛永19年(1642)に移築した建物です。移築に際し、檜皮葺きの屋根を本瓦葺きに変え、西にあった庇を取り去っています。間口7間、奥行5間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、1間の向拝が付けられています。
仁和寺金堂
 外回りに蔀戸(しとみど)と板扉を用い、南の階の上に向拝をかけ、妻にある二重虹梁(こうりょう)などは紫宸殿そのままの姿です。内部は母屋回りを改め、北側の柱間にあった賢聖(けんじょう)障子をはずして板壁とし、南側の柱間に板扉を入れて、仏殿としての形式を整えています。金堂は近世における紫宸殿唯一の遺構として昭和28年(1953)に国宝に指定されました。
仁和寺金堂

仁和寺経蔵(国重文)
 仁和寺の経蔵は金堂の東側に建てられています。単層、本瓦葺き、間口3間、奥行3間の宝形造りです。内部中央に八角輪蔵があり、768の一切経が収められています。経蔵は寛永18年から正保元年(1641-1645)あたりに再建された建物で、昭和48年(1973)に国の重要文化財に指定されています。
仁和寺経蔵

仁和寺鐘楼(国重文)
 仁和寺の鐘楼は金堂の西側に建てられています。間口3間、奥行2間、入母屋造り、本瓦葺きで、袴腰が付けられています。朱塗りの鐘楼は、寛永21年(1644)に再建された建物で、昭和48年(1973)に国の重要文化財に指定されています。
仁和寺鐘楼

仁和寺御影堂中門(国重文)
 仁和寺にある御影堂(みえいどう)の中門は境内北の西門近くにあります。檜皮葺きの一間一戸の平唐門で、寛永18年から正保元年(1641-1645)あたりに再建されたと考えられています。昭和48年(1973)に国の重要文化財に指定されています。
仁和寺御影堂中門

仁和寺御影堂(国重文)
 仁和寺の御影堂(みえいどう)は境内の北西の隅にあります。寛永18年から正保元年(1641-1645)頃に、御所の清涼殿の古材を使って再建されたといわれています。間口5間、奥行5間の宝形造り、単層、檜皮葺きで、1間の向拝が付けられています。明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。
仁和寺御影堂

仁和寺九所明神本殿中殿(国重文)
 仁和寺の九所明神本殿は五重塔の北東にあります。仁和寺の初代別当、幽仙が勧請した伽藍鎮守で、寛永18年から正保元年(1641-1645)あたりに再建された建物です。左殿、中殿、右殿と分かれていて、中央にある中殿は、こけら葺きの一間社流造りで、八幡三所の神を祀る石清水八幡宮です。昭和48年(1973)に国の重要文化財に指定されています。
仁和寺九所明神本殿中殿

仁和寺九所明神本殿左殿(国重文)
 仁和寺の九所明神本殿の左殿、右殿は中殿と同時期の寛永18年から正保元年(1641-1645)頃、再建されました。東側の左殿は左から下鴨神社と上賀茂神社の賀茂下上を、日吉大社西本宮の日吉大明神を、八坂神社の牛頭天王、伏見稲荷大社の稲荷大明神を祀っています。四間社流見世棚造り、こけら葺きで、昭和48年(1973)に国の重要文化財に指定されています。
仁和寺九所明神本殿左殿

仁和寺九所明神本殿右殿(国重文)
 仁和寺の九所明神本殿の右殿は寛永18年から正保元年(1641-1645)頃、再建されました。西側(左側)の右殿は左から木嶋坐天照御魂神社の木野嶋(このしま)天神を、日吉大社東本宮の小日吉大明神を、平野神社の平野大明神を、松尾大社の松尾大明神を祀っています。四間社流見世棚造り、こけら葺きで、昭和48年(1973)に国の重要文化財に指定されています。
仁和寺九所明神本殿右殿



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