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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市右京区

神護寺
じんごじ
京都府京都市右京区梅ヶ畑高雄町5
Tel 075-861-1769


 高雄山神護寺(じんごじ)は高野山真言宗遺跡(ゆいせき)(弘法大師が住んだ寺)の別格本山です。正式には「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」というそうです。神仏習合が許されていた江戸時代以前、神社に付属しこれを管理した寺のことを神護寺といいます。神宮寺または別当寺と同じです。
 この場所には和気清麻呂(わけのきよまろ)一族の氏寺と思われる高雄山寺というお寺があったそうです。延暦21年(802)、和気氏の当主・和気弘世は和気広虫(法均尼)の3周忌の際、最澄を高雄山寺に招請し、法華経の講義も行われたそうです。
 唐から帰朝した空海(弘法大師)は、大同4年(809)、高雄山寺に入寺し、14年間住持し、多くの弟子たちに灌頂(かんじょう)という儀式を行っています。そして天長元年(824)、8世紀末に和気清麻呂によって創建された神願寺がこの高雄山寺と一緒になり、神護国祚真言寺となりました。
 空海の後を継いだ十大弟子の一人真斉(しんぜい)が伽藍を整え、真言宗寺院としての基礎を固め、国家鎮護の道場となりました。しかし、久安5年(1149)の火災によって金堂など数多くの堂宇が焼失し、荒廃しました。
 平安末期、中興したのが文覚(もんがく)上人でした。後白河上皇から勅許を得、源頼朝の援助も得て、神護寺は再興されました。文覚の弟子の上覚(高山寺を中興した明恵の叔父)により、なお繁栄し、鎌倉時代には華厳宗のお寺となりました。
 応仁の乱の兵火で神護寺は再び焼失し、荒廃しました。その後、豊臣秀吉や徳川家康の寺領寄進や援助により、再建されました。納涼房と呼ばれた大師堂は国の重要文化財に指定され、鐘楼にかかる銅鐘は国宝です。本尊の薬師如来立像や多宝塔内の五大虚空蔵菩薩坐像も国宝です。


神護寺楼門
 神護寺の楼門は清滝川から350段の石段の参道を上りつめた先に建てられています。石段の両側は、もみじの林があり、数件の茶屋もあります。楼門は、毘沙門堂などと同様、元和9年(1623)の建立です。三間一戸楼門形式で、入母屋造り、本瓦葺きの建物です。
神護寺楼門

神護寺大師堂(国重文)
 神護寺の大師堂は毘沙門堂の西側に建つ住宅風の仏堂です。空海の住房であった「納涼房」を復興したもので、今ある堂宇は桃山時代に再建された建物です。堂内の厨子には、正安4年(1302)、性仁法親王が仏師貞喜に土佐国金剛頂寺の空海像を模刻させたという国指定重要文化財「板彫弘法大師像」が安置されています。
神護寺大師堂
 大師堂は間口左側面4間、右側面5間、奥行3間、単層、入母屋造り、こけら葺きで、質素ではありますが気品が感じられます。桃山時代の天正年間から慶長年間の間(1573-1614)に細川忠興により寄進され、再建されたと考えられています。明治35年(1902)に国の重要文化財に指定されています。
神護寺大師堂

神護寺毘沙門堂
 神護寺の毘沙門堂は金堂へ上る石段の下に五大堂と並んで建てられています。楼門などと同様、元和9年(1623)の建立で現在の金堂が出来るまでは本尊である薬師如来立像が祀られていました。間口5間、奥行5間、単層、入母屋造り、銅瓦葺きで、1間の向拝が付いています。内部の厨子には国指定重要文化財の毘沙門天立像が安置されています。
神護寺毘沙門堂

神護寺五大堂
 神護寺の五大堂は毘沙門堂と並んで建てられています。間口3間、奥行3間、単層、入母屋造り、銅板葺きで、楼門などと同様、元和9年(1623)の建立です。内部には、五大尊(不動・降三世(こうさんぜ)・軍荼利(ぐんだり)・大威徳(だいいとく)・金剛夜叉(こんごうやしゃ)の各明王)が安置されています。
神護寺五大堂

神護寺金堂
 神護寺の金堂は五大堂北側の130段の石段を登った先にあります。大阪の豪商・山口玄洞氏の寄進により、昭和10年(1935)に再建された建物です。間口7間、奥行6間 単層、入母屋造り 本瓦葺きで、正面中央3間は板扉 両脇2間ずつは連子窓です。昭和の仏堂建築の傑作といわれています。
神護寺金堂
 金堂の須弥壇中央の厨子には一木造りの本尊で国宝の薬師如来立像が安置されています。延暦年間(782-806)の造立とされ神護寺の前身であった神願寺の本尊であったと考えられています。左右に国指定重要文化財の日光・月光菩薩立像と、それらを守るように室町時代の四天王立像・十二神将立像などが並んでいます。

神護寺明王堂
 神護寺の明王堂は鐘楼の近くにあります。ここには平安時代後期に造られた不動明王像が祀られています。それ以前に神護寺に安置されていた不動明王は、、弘法大師が刻んだ由緒ある仏像で、成田山新勝寺の本尊になっています。
神護寺明王堂
 天慶2年(939)に平将門の乱が起き、将門軍鎮圧のために不動明王像が下総国へ運ばれ、京都広沢の遍照寺・寛朝僧正が祈祷したそうです。その後、乱が鎮まると寛朝を開山として成田山新勝寺が建立され、不動明王像が本尊となったそうです。そのため、明王堂の扁額は新勝寺と関係が深い7代目市川團十郎の揮毫です。
神護寺明王堂

和気清麻呂霊廟
 神護寺の鐘楼の近くには和気清麻呂の霊廟が建てられています。この後ろの山の上に清麻呂の墓があり、ここは遙拝所として、昭和9年(1934)に建立されたようです。この場所に和気清麻呂を祀った護王神社があったそうですが、京都御所の近くに移築されたようです。
和気清麻呂霊廟

神護寺鐘楼
 神護寺の鐘楼は和気清麿霊廟の近くにあります。元和9年(1623)に京都所司代・板倉勝重により再建されたと考えられています。楼上にある梵鐘は、貞観17年(875)に鋳造されたもので国宝に指定されています。日本三名鐘の一つです。橘広相が序詩を、菅原是善が銘を、藤原敏行が書をという当代一流人の合作で、「三絶の鐘銘(さんぜつのしょうめい)」として有名です。
神護寺鐘楼

神護寺書院
 神護寺の書院は楼門を入って右側にあります。書院の唐門は「平唐門」とよばれる門で、田中亀太郎氏の寄進により昭和初期に建てられたそうです。毎年5月1日から5日に、この書院において虫払の行事が行われます。虫干しのことで、寺宝の虫干しを兼ねて特別展観が行われます。
神護寺書院



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