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京都の旅と歴史
京都の旅    京都市山科区

勧修寺
かじゅうじ
京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町27−6
Tel 075-571-0048


   亀甲山(きっこうざん)勧修寺は真言宗山階(やましな)派の大本山です。昌泰3年(900)、醍醐天皇は生母・藤原胤子(いんし)の菩提を弔うため生母の実家である宮道(みやじ)家の邸宅を寺に改め、外祖父・藤原高藤の諡号をとって、勧修寺と名付け、のちに醍醐天皇の勅願寺となりました。
  天皇家、藤原家のもとで繁栄し、鎌倉時代に後伏見天皇の皇子・寛胤(かんいん)法親王(1309 - 1376)が15世長吏となって以来、勧修寺は宮門跡寺院となり、幕末まで法親王、入道親王が相次いで入寺されました。
   応仁の乱や文明2年(1470)の兵火で焼失し、豊臣秀吉によって境内地を削られ(伏見街道を造るため)、次第に衰退していきました。江戸時代には徳川家綱、綱吉の帰依を受け伽藍が整備され、再興されました。
  境内東側には手前から宸殿、書院、五大堂、本堂などが建てられています。境内西側は氷室(ひむろ)池を中心とした庭園になっています。寺宝であった国宝の刺繍釈迦如来説法図は奈良時代の貴重な文化財で奈良国立博物館に移されています。
  勧修寺の書院は江戸中期(17世紀末)に建てられた後西院(ごさいいん)御所の旧殿を貞享3年(1686)に下賜された建物だといわれています。間口正面6間、背面9間、奥行東側5間、西側4間、単層、入母屋造り、こけら葺きです。大正3年(1914)に国の重要文化財に指定されています。

勧修寺宸殿
  勧修寺の宸殿は元禄10年(1697)に明正天皇より旧御所御対面所を下賜された建物です。入母屋造り、桟瓦葺き、寝殿造り風の建物で、一の間、二の間、三の間があります。一の間には幅2間の床と1間の棚、そして付書院を備えた書院造りです。宸殿は本堂とともに昭和60年(1985)に京都市の有形文化財に指定されています。
勧修寺宸殿

勧修寺型灯篭
  京都市の名勝に指定されている勧修寺の庭園の中に大きな傘を持つ変わった形の灯篭があります。勧修寺型灯篭と呼ばれ、水戸光國の寄進と伝えられています。
勧修寺型灯篭



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