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京都の旅と歴史
京都の旅    宮津市

智恩寺
ちおんじ
京都府宮津市字文珠466
0772-22-2553


 日本三文殊のひとつで通称切戸(又は久世戸)の文殊堂として知られている文殊菩薩の霊場です。天橋立と陸地は「切戸(きれど)」によって分断されているのです。智恵を授かる文殊さんとして有名で「知恵の文殊」とも呼ばれています。
 茶屋通りに面する智恩寺山門は黄金閣とも呼ばれています。朝廷より黄金を下賜されたことからこの名がついたそうです。宮津市の指定文化財です。
 山門の楼上には釈迦如来を中央に両脇士・十六羅漢を安置しています。禅宗様式・三間三戸二重門の丹後地方最大の山門です。
 重要文化財に指定されている智恩寺の多宝塔です。室町時代の明応9年(1500)丹後守護の一色氏の武将延永修理之進春信(のぶながしゅりのじょうはるのぶ)が寄進したそうです。
 春信は病気全快を感謝して、一宮別当大聖院の僧、智海(ちかい)に建てさせたそうです。2万2000uの広い境内にマッチしています。
 文殊堂内にある本尊は善財童子(ぜんざいどうじ)、うてん王を従えた文殊騎獅像です。亀岡文殊(山形県高畠町の大聖寺)、安倍文殊(奈良県桜井市の崇敬寺)とともに日本3文殊に数えられています。
 鎌倉時代の鉄湯船です。国の重要文化財に指定されています。現在は手水鉢として使われていますが昔は寺院の大湯屋において寺僧の施浴に用いられたそうです。
 鎌倉時代の石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)です。宝篋印陀羅尼を納める塔です。後に供養塔、墓碑塔として建てられました。呉越王の銭弘俶の八万四千塔が原型になっているそうです。ここ石塔は和泉式部の歌塚と伝えられているそうです。丹後守藤原公基が日置金剛心院で式部が書き捨てた和歌を持ち帰り、なみだの磯(涙が磯)に埋めて鶏塚としたそうです。
 その反古の一首が
「いつしかと待ちける人に一声も
   聞せる鶏のうき別れかな」
 その後、明応(1492-1501)の頃、砂に埋まった塚を掘り出して文殊堂の傍らに建てたのが今の歌塚だそうです。



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