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京都の旅と歴史
京都の旅    宇治市

平等院 鳳凰堂
びょうどういん ほうおうどう
京都府宇治市宇治蓮華116
Tel 0774-21-2861


 平等院は宇治川を挟んで宇治神社の対岸にあります。平安時代後期の天喜元年(1053)、関白藤原頼通によって建てられました。この付近は平安時代の初めに貴族の別荘が多くあったところです。現在の平等院の地は、光源氏のモデルともいわれる左大臣・源融(とおる)の別荘でした。
 その後、宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て、長徳4年(998)に摂政・藤原道長の別荘「宇治殿」となりました。万寿4年(1027)に道長が亡くなると、その子・頼通の所有となり、宇治殿はお寺に変えられました。その時、三井寺にあった平等院という寺名を使ったということです。
 極楽浄土を再現し多くの堂舎が整備された平等院ですが、治承4年(1180)、以仁王を奉じた源頼政と平家との合戦、建武2年(1335)の楠正成と足利尊氏との合戦で兵火に遭い、阿弥陀堂(鳳凰堂)を除きほとんどが焼失し、応仁の乱で衰亡しました。
 本堂、懴法堂、小御所、法華堂、多宝塔、五大堂、不動堂、経蔵は今はありませんが、阿弥陀堂であった鳳凰堂は、奇跡的に戦災を免れました。平安時代の貴族が建立したお寺で建物、仏像、壁画、庭園まで残存しているのはここ平等院だけです。
 鳳凰堂は国宝に指定され、観音堂は国の重要文化財に指定されています。本尊の阿弥陀如来像、雲中供養菩薩52体、木造天蓋、鳳凰1対、梵鐘、壁扉画14面すべて国宝に指定されています。平成6年(1994)には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されました。


平等院鳳凰堂(国宝)
 平等院の鳳凰堂は中堂、両翼廊の北と南、尾廊の4棟に分かれ、それぞれが昭和26年(1951)に国宝に指定されています。中堂は間口3間、奥行2間、一重裳階(もこし)付き、入母屋造り、本瓦葺きです。両翼堂の北と南は本瓦葺き、間口折曲り延長8間、奥行1間、宝形造りの二重三階の隅楼、切妻造りの一重二階の廊があります。尾廊は間口7間、奥行1間、一重、切妻造り、本瓦葺きです。
平等院鳳凰堂
 日本の一般的な仏堂は身舎の前後または四周に庇があり、裳階が付く場合は、庇のさらに外側に付けています。鳳凰堂の中堂では身舎と裳階のみで庇のない構造です。身舎には太い円柱が使われていますが、周囲に裳階があるため目立たず、建物全体を軽快に見せています。棟上にはレプリカの鳳凰が飾られています。
平等院鳳凰堂
 中堂には仏師・定朝の造った阿弥陀如来像が本尊として安置されています。1つの巨木を彫りあげた見事な仏像です。顔の真正面の部分の壁は格子状になっていますが、池を隔てて向こう側から顔を拝むことができます。そして壁面に施されている雲中供養菩薩(雲に乗った菩薩で、あるものは歌ったり踊っていたりしています)52体を含め、すべて国宝に指定されています。
平等院鳳凰堂

平等院観音堂(国重文)
 平等院の観音堂は、鎌倉時代前期(1185-1274)の建物と推察されています。間口7間、奥行4間、寄棟造り、本瓦葺きの比較的大きな建物です。観音堂は釣殿観音とか釣殿と呼ばれ、「都名所図会」に「釣殿観音堂」と記されています。明治35年(1902)に鳳凰堂とともに国の重要文化財に指定されました。
平等院観音堂

平等院庭園(国指定名勝)
 平等院庭園は平安時代中期の阿弥陀堂と一体になった最古の池泉舟遊式(浄土式)の庭園です。阿字池は極楽の宝池に見立て、借景として宇治川や対岸の山々を取り込んでいます。平成2年(1990)からの発掘調査で平安時代築造の州浜が発見され、創建当初の姿に復元整備されています。大正11年(1922)に国の史跡および名勝に指定されています。
平等院庭園

平等院鐘楼
 平等院鐘楼にある梵鐘は複製品です。実物の「日本三名鐘」の1つの梵鐘は鳳翔館に収蔵されています。銘文はありませんが鳳凰堂と同じ時に鋳造されたと推定され、国宝に指定されています。高さ199cm、口径123cm、重さは約2トンもあるそうです。天人、獅子、唐草文様などの繊細な浮き彫りを施されています。
平等院鐘楼

扇之芝
 平等院にある扇之芝は源頼政が自害した芝生を指します。治承4年(1180)頼政は以仁王を奉じて平家打倒に立ち上がり、平知盛の大軍を宇治川に迎え撃ちました。しかし敗れた頼政は軍扇を開き  「埋もれ木の 花咲くことも なかりしに 身のなる果てぞ 哀れなりける」  と辞世の一首を残し自刃したそうです。
扇之芝

最勝院
 鳳凰堂の北側に平等院の塔頭・最勝院があります。天台宗聖護院派のお寺で、江戸時代から浄土宗の浄土院とともに平等院を管理していました(現在は平等院は特定の宗派に属さないお寺となっています)。
 最勝院の不動堂近くには源頼政のお墓があります。
最勝院

源頼政墓石
 源頼政のお墓は最勝院にあります。頼政は平安時代末期の武将・歌人です。保元の乱、平治の乱で勝ち残り、平清盛からも信頼され、晩年には武士としては破格の従三位に叙せられたことから源三位(げんざんみ)と称されました。晩年、以仁王を奉じ諸国の源氏に平氏打倒の令旨を伝えました。平氏の追討を受け宇治平等院の戦いで敗れ自害しました。享年76歳でした。
源頼政墓石



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