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京都の旅と歴史
京都の旅    宇治市

萬福寺
まんぷくじ
京都府宇治市五ヶ庄三番割34
Tel 0774−32−3900


 黄檗山萬福寺はJR黄檗駅の東にあります。日本三禅宗の一つ黄檗宗の大本山で、開山はいんげん豆でよく知られる中国、明の高僧・隠元隆g(いんげんりゅうき)禅師です。黄檗宗は日本の仏教各派の中では最も遅く開宗した会派です。
 隠元禅師は中国の高僧で、承応3年(1654)招聘され、30名の弟子とともに63歳で来日しました。後水尾法皇や徳川家綱の尊崇を得て、寛文元年(1661)幕府から9万坪もの広大な寺地を与えられ、中国の明朝様式を取り入れた伽藍を造営しました。
 中国風の仏像、天王殿に座す太鼓腹の布袋さん、斎堂前の開版、卍くずしの勾欄など、至るところに異国っぽさが感じられます。創建以来、一度の火災にも遭わなかったため、伽藍の配置は、その後の変遷にも変わることなく、創建当初の姿をそのまま伝える日本唯一の遺構です。
 伽藍は西を正面とし、左右相称に整然と配置されています。総門をくぐると右手に放生池、その先に三門があり、三門の正面には天王殿、その奥に大雄宝殿、さらに奥に法堂が西から東へ一直線に並んでいます。そして諸堂の間は回廊で結ばれています。
 天王殿と大雄宝殿の間をロの字状に結ぶ回廊に沿って右側(南側)には鐘楼、伽藍堂、斎堂があり、左側(北側)には対称的な位置に鼓楼、祖師堂、禅堂が建てられています。主要な建物23棟、回廊、額などが国の重要文化財に指定されています。


萬福寺総門(国重文)
 萬福寺の総門は寛文元年(1661)に建てられ、元禄6年(1693)に再建されています。間口3間、奥行2間、単層、切妻造り、本瓦葺きで、高さは6.7mです。中央部の屋根を高くし、左右を一段低くした中国門、牌楼式(ぱいろう)で、「漢門」とも呼ばれます。
萬福寺総門
 総門の正面には、5代住持・高泉和尚の筆になる「第一義」の横額が掲げられています。屋根の上の左右には鯱ではなく、摩伽羅(まから)という架空の生物を載せています。正面左右には「聯(れん)」と呼ばれる細長い木板が掲げられています。総門は大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
萬福寺総門

萬福寺放生池
 萬福寺の放生池は総門を入った右側に広がっています。放生とは、捕まえた生き物を放すことで功徳を積むことです。旧暦の8月15日、秋の彼岸などにこの池で放生会が行われます。風水から池の形は半月型で、大きな蓮が一面に咲きます。
萬福寺放生池

 萬福寺三門(国重文)
 萬福寺の三門は延宝6年(1678)に建てられた三間三戸の二重門です。入母屋造り、本瓦葺きで、左右に裳階(もこし)と、階段を覆う切妻造りの山廊を付随しています。三門とは涅槃(ねはん)に達するために通らなければならない空門(くうもん)、無相門(むそうもん)、無作門(むさもん)の境地を表す3門を意味しています。三解脱(さんげだつ)門の略です。 
萬福寺三門
 大屋根の中央に中国風の火焔付き宝珠を載せています。柱は円柱を使い、太鼓形の石の盤の上に立っています。屋根の下の正面には「黄檗山」、下の正面通路の上には「萬福寺」という隠元禅師の揮毫の額が掲げられています。萬福寺の三門は大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
萬福寺三門

中和門院御宮跡
 萬福寺の通玄門の前に中和門院御宮跡の石碑があります。この地、宇治の大和田は、第108代の後水尾天皇の生母・中和門院の別邸「大和田(おわだ)殿」でした。通玄門の中は松隠堂という隠元禅師の隠居所になりました。禅師の死後は開山塔院(墓所)となり、昭和34年(1959)までは萬福寺と別の宗教法人でした。
中和門院御宮跡

萬福寺松隠堂・通玄門(国重文)
 萬福寺松隠堂の通玄門(つうげんもん)は山門を入った左側にあります。これより中に隠元禅師と関係が深い客殿、開山堂、舎利殿などが建てられています。朱色の通玄門は切妻造り、本瓦葺きの四脚門で寛文5年 (1665)に建てられています。昭和40年(1965)に国の重要文化財に指定されています。
萬福寺通玄門

萬福寺松隠堂・客殿(国重文)
 萬福寺松隠堂の客殿は通玄門を入った左側に建てられています。隠元禅師が居住していた建物で、移築されて、客殿として使われていました。元禄7年(1694)に建てられた書院造りの和様、単層、入母屋造りの建物です。平成元年(1989)に国の重要文化財に指定されています。
萬福寺松隠堂

萬福寺松隠堂・開山堂(国重文)
 萬福寺松隠堂の開山堂は通玄門の正面にあり、ここに隠元禅師が祀られています。一重裳階付き、入母屋造り、本瓦葺きの建物で、延宝3年 (1675)に建てられています。毎年4月3日には他山の僧も迎え、開山忌が営まれ、毎月3日に月例忌が営まれています。開山堂は昭和40年(1965)に国の重要文化財に指定されています。
萬福寺開山堂

萬福寺寿塔(国重文)
 萬福寺の寿塔(寿蔵・真空塔)は、寛文3年(1663)に建立された本瓦葺きの六角堂です。屋根は宝形造りで、頂には露盤・宝珠を載せています。寿堂は隠元禅師の生前に築造された墓であり、木庵禅師を中心に、法子・法孫らが尽力しています。寿塔は昭和40年(1965)に国の重要文化財に指定されています。
萬福寺寿塔

萬福寺石碑亭(国重文)
 萬福寺の石碑亭は鼓楼の近くにあります。甲羅から顔を出した亀の石像の上に石碑が建てられています。延宝元年(1673)に後水尾天皇から隠元禅師に贈られた「特賜大光普照國師塔銘」という文字が刻まれています。石碑亭は開山堂の附指定で昭和40年(1965)に国の重要文化財に指定されています。
萬福寺石碑亭

萬福寺合山鐘
 萬福寺の合山鐘(がっさんしょう)は鼓楼近くの回廊の中にあります。6代・千呆により元禄9年(1696)に鋳造されています。開山堂、寿蔵、舎利殿で行われる儀式の出頭時にのみ鳴らされるそうです。
萬福寺合山鐘

萬福寺・香椿
 萬福寺の鼓楼下に香椿(チャンチン)という木があります。隠元禅師が明から伝えたといわれる木です。センダン科落葉樹で、高いものは10mにもなるそうです。若葉は食用となり、天ぷら、炒め物で食するそうです。
萬福・寺香椿

萬福寺八幡宮祠堂(国重文)
 萬福寺の八幡宮祠堂(しどう)は寛文7年(1667)に建立されています。萬福寺の鎮守社で、一間社流造り、本瓦葺きです。大雄宝殿の附指定で大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
萬福寺八幡宮祠堂

萬福寺・菩提樹
 八幡宮祠堂の横に菩提樹(ぼだいじゅ)の木があります。隠元禅師が明から伝えたといわれています。釈迦が、菩提樹の下で悟りを開いたといわれ、憂樹(むゆうじゅ)、沙羅双樹(さらそうじゅ)とともに、仏教の三大聖木とされています。
萬福寺・菩提樹

怨親平等塔
 萬福寺境内に怨親平等塔という宝篋印塔が建てられています。昭和12年(1937)に当時の住職山田玉田和尚が日本と中国との戦争に心を痛め、両国の将兵と国民の精霊を慰め、両国が友好の関係に戻れるよう祈願して建立したそうです。宝篋印塔の中に妙法蓮華経が納められているそうです。
怨親平等塔

萬福寺天王殿(国重文)
 萬福寺の天王殿は間口5間、奥行3間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、寛文8年(1668)に徳川家綱の寄進によって建てられています。中国のお寺では玄関にあたるお堂で、弥勒菩薩の化身とされる布袋像を安置しています。堂内左右の四天王像、布袋像の背後の韋駄天像も安置しています。これらの像は明の仏師・范道生の作です。
萬福寺天王殿
 天王殿の正面一間通りは吹き放しになっています。堂内には2本の円柱がありますが、方柱は日本ではめずらしいチーク材を使っています。天王殿は黄檗宗のお寺にしかみられません。チベット仏教寺院(ラマ教寺院)からもたらされたといわれています。 大正2年(1913)に天王殿は国の重要文化財に指定されています。
萬福寺天王殿

萬福寺鐘楼(国重文)
 萬福寺の鐘楼はつり鐘堂とも呼ばれ、寛文8年(1668)に建てられています。長崎の元奉行・黒川与兵衛が寄進しています。間口1間、奥行1間、入母屋造り、本瓦葺きで、一重もこし付きです。反対側の鼓楼と同じ大きさになっていて、朝4時半と夜9時に階上の梵鐘が撞かれます。大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
萬福寺鐘楼

萬福寺伽藍堂(国重文)
 萬福寺の伽藍堂は寛文9年(1669)に古川堅物の寄進によって建てられています。間口3間、奥行3間、単層、入母屋造り、本瓦葺きの建物で、伽藍を守護する伽藍神を祀っています。伽藍堂は大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
萬福寺伽藍堂

萬福寺斎堂(国重文)
 萬福寺の斎堂は寛文8年(1668)に建てられています。間口5間、奥行6間、単層、入母屋造り、本瓦葺きです。僧の食堂であり、緊那羅王像を安置しています。斎堂は浴場、禅堂とともに三黙道場の一つになっています。斎堂は大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
萬福寺斎堂

開版
 斎堂前には開版(かいぱん、「ぱん」は木へんに邦)が吊り下げられています。時を知らせる木でできた法具で、巨大な魚の形をしています。木魚の原型といわれています。
開版

萬福寺大雄寶殿(国重文)
 萬福寺の本堂にあたる大雄寶殿(だいおうほうでん)は寛文8年(1668)年に建てられています。萬福寺で最も大きな建物で、間口3間22m、奥行3間22m、一重裳階(もこし)がある山重檐式(二重重ね入母屋屋根)、本瓦葺きで、建物の前には白砂を敷いた月台があります。
萬福寺大雄寶殿
 大雄とは釈迦如来を意味していて、本尊の釈迦三尊像を安置しています。豪商・勝性印居士、徳川幕府の寄進によって、すべてチーク材で建てられています。大雄宝殿は廊8棟、廊棟札1枚、鎮守社1棟、伽藍絵図5点、作事関係文書7冊を附指定で含め、大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
萬福寺大雄寶殿

萬福寺法堂(国重文)
 萬福寺の法堂(はっとう)は寛文2年(1662)の建築です。間口5間、奥行6間、単層、入母屋造り、桟瓦葺きです。内部には須弥壇のみが置かれ、仏像は安置されていません。上堂や住持の晋山式などに用いられています。前にある「卍くずし」の勾欄が中国風です。
萬福寺法堂
 法堂は寛文2年(1662)に円通殿として建てられ、寛文4年(1664)に法堂となりました。酒井忠勝が寄進しています。須弥壇上の額「法堂」は隠元禅師の書で、黄檗山では唯一の楷書で書かれています。昆尼垣の額は4代・独湛の書で、「聯(れん)」とともに国指定重文です。法堂は大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
萬福寺法堂

萬福寺東方丈(国重文)
 萬福寺の東方丈は寛文3年(1663)の建築です。間口21m、奥行14.9m、単層、入母屋造り、こけら葺き、式台、中門、廊があります。中央に寿位の間があり、1日、15日の朝礼、式礼の時使用されます。襖、壁には池大雅の「五百羅漢の図」「虎渓三笑の図」「西湖の図」が描かれました。大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
萬福寺東方丈

萬福寺西方丈(国重文)
 萬福寺の西方丈は寛文元年(1661)に建てられています。間口17.8m、奥行11.9m、単層、切妻造り、こけら葺きです。東面、西面、北面に庇が付き、廊があります。総門とともに最初に建てられた建物です。西方丈は大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
萬福寺西方丈

萬福寺禅堂(国重文)
 萬福寺禅堂は選佛場とも呼ばれます。斎堂と対称位置にあり、前大老・酒井忠勝の寄金により、寛文3年(1663)に建てられています。座禅が行われるところで、両側に畳敷きの単があります。間口5間、奥行6間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、背面に庇が付いています。大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
萬福寺禅堂

萬福寺祖師堂(国重文)
 萬福寺の祖師堂は伽藍堂と対称位置にあります。寛文9年(1669)に今津浄水居士の寄進によって建てられています。間口3間、奥行3間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、中国禅宗の祖である達磨の像と歴代住職の位牌を安置しています。大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
萬福寺祖師堂

萬福寺鼓楼(国重文)
 萬福寺鼓楼は鐘楼と対称の位置にあります。寛文8年(1668)に建てられています。間口1間、奥行1間、入母屋造り、本瓦葺きで、一重もこし付きです。階上に梵鐘と太鼓があり、賓客が来山した時など撞いたり、叩いたりするそうです。大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。
萬福寺鼓楼

萬福寺威徳殿(国重文)
 萬福寺の威徳殿は法堂の裏の一段高いところに建てられています。 間口3間、奥行3間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、正面に1間の向拝が付いています。 元禄14年(1701)の建築で歴代将軍を祀っています。平成元年(1989)に国の重要文化財に指定されています。
萬福寺威徳殿



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