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京都の旅と歴史
京都の旅    相楽郡和束町

金胎寺
こんたいじ
京都府相楽郡和束町(わづかちょう)原山


 金胎寺は標高682mの鷲峰山(じゅぶせん、じゅうぶさん)の山頂近くにあります。天武天皇の白鳳4年(676)に役小角(えんのおづぬ)の開創といわれています。その後、聖武天皇の勅願寺となりました。吉野の大峰山に対して北ノ峰と呼ばれ修験の行場・道場として栄えました。
 永仁6年(1298)には伏見天皇が金胎寺に行幸され、勅願により多宝塔が建てられました。この多宝塔は戦乱をくぐる抜け、国の重要文化財に指定されています。元弘元年(1331)、笠置へ向かう後醍醐天皇が立ち寄り、そのために北条氏から焼き討ちされ、寺は衰退したそうです。
 最盛期には「東塔」「西塔」が建立した広大な山内に58もの塔頭がある大伽藍を誇りました。しかし戦乱や出火で荒廃しました。康安元年(1361)に再建されましたが、永正15年(1518)に再び焼失しています。現在の堂宇の多くは江戸時代に再建された建物です。
 金胎寺は寺全体が国の史跡に指定されています。永仁6年(1298)建立の多宝塔、正安2年(1300)の銘がある石造宝篋印塔、鎌倉時代の木造弥勒菩薩坐像、銭弘俶八万四千塔などが国の重要文化財に指定されています。


金胎寺本堂
 総門を入って突き当りに金胎寺の本堂が建てられています。江戸時代の建築で、弥勒菩薩を安置しているので弥勒殿とも呼ばれています。
金胎寺本堂

金胎寺多宝塔(国重文)
 金胎寺の多宝塔はこけら葺きの、三間多宝塔です。永仁6年(1298)、伏見天皇が金胎寺に行幸された時、勅願により建てられています。この多宝塔は奇跡的に戦乱や出火を免れ、境内で唯一被害に遭わずに現存しています。明治32年(1899)に国の重要文化財に指定されています。
金胎寺多宝塔

金胎寺行者堂
 金胎寺の行者堂は江戸時代の再建された建物です。間口3間、奥行3間の宝形造り、銅板葺きの建物です。
金胎寺行者堂



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