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奈良の旅と歴史
三重の旅    伊勢市

伊勢神宮
いせじんぐう
 お伊勢さんと呼ばれて親しまれている伊勢神宮は正式には単に「神宮」といいます。豊受大神宮(外宮)と皇大神宮(内宮)という二つの正宮からなっています。
 両社の間は約6km離れていて「外宮先祭」といって、外宮から参拝するのが習わしとなっているそうです。「神宮」にはそれぞれに別宮、摂社、末社、所管社があり大きな組織となっています。
 神宮は2千年前、皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神(あまてらすおおかみ)の御鎮座の地を求めて長旅に出て、伊勢に定めたのが始まりだといわれています。
 本来、皇室しか奉幣できませんでしたが、貴族や武士、さらには庶民も参拝できるようになりました。旅も自由にできなかった江戸時代に伊勢参宮は特別許可されたこともあり半年に500万人が訪れた事もあったそうです。


伊勢神宮内宮(皇大神宮)
いせじんぐうないくう(こうたいじんぐう)
三重県伊勢市宇治舘町1
Tel 0596-24-1111


 皇大神宮は一般には内宮と呼ばれ、日本国民の大御親神(おおみおやがみ)と崇められる皇祖・天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀っている最高最大の大神宮です。
 第11代垂仁天皇の26年(約2000年前)に伊勢の地に鎮座されたようです。大和朝廷の東国進出とも関係があるようです。
 幅の広い参道には玉砂利が敷きつめられ、樹齢数百年という杉がうっそうと繁っています。まさに神域といった感じです。神苑は外宮よりやや広くて約93万平方mあり神路山の麓、五十鈴川の右岸に位置しています。
 崇神天皇のとき、それまで皇居の中に祀られていた三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)をその神威を恐れて大和の笠縫邑に移すことにしたそうです。
五十鈴川
 八咫鏡とは天照大神が天の岩戸に隠れたとき、石凝姥命が作ったという鏡です。天照大神が岩戸を細めに開けた時、この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて外に引き出したといわれています。のちに鏡は天照大神が瓊瓊杵尊に授けたといわれています。
手水舎
 崇神天皇の次の第11代垂仁天皇の代に皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)を大神につけ鎮座にふさわしい土地を求めさせたのです。
神楽殿
 倭姫命は近江、美濃などを巡歴した後、伊勢の国に至り、そこに宮を建てたのが内宮のおこりです。宮津市大垣にある籠神社は伊勢神宮の元になったとされています。伊勢神宮はここから伊勢へ移されたので元伊勢籠神社といわれています。
正殿
 宮域内には神楽殿、東宝殿、 西宝殿、五丈殿、忌火屋殿(いんびやでん)、御酒(みさか)殿、内宮正殿、外幣(げへい)殿、風日祈宮などがあります。
 御手洗場(みたらし)、手水舎(てみずしゃ)、祓所(はらえど)、内御厩(うちのみうまや)、由貴御倉(ゆきのみくら)、御贄調舎、御稲御倉などもあります。広く美しい内宮神苑には季節の花が咲いています。


大鳥居
 宇治橋の外側と内側には高さ7.44mの大鳥居が立っています。外宮旧御正殿の棟持柱が用いられ、20年後には桑名の「七里の渡し」の神宮遥拝の鳥居となるのだそうです。


宇治橋
うじばし
 宇治橋は長さ101.8m、巾8.42mあります。五十鈴川にかかり、俗界と聖界との掛け橋といわれ檜で造られています。内宮側の鳥居は、内宮旧御正殿の棟持柱が使われ更に20年後は鈴鹿峠の「関の追分け」の神宮遥拝の鳥居に使われるそうです。


第一鳥居
だいいちのとりい
 手水舎で清めて、表参道を進むと正面に第一鳥居があります。鳥居をすぎると右側には御手洗場があり、五十鈴川の清流が流れています。この石畳は元禄5年(1692)徳川綱吉の母、桂昌院が寄進したものだそうです。


正殿
しょうでん
 
 杉の大木に囲まれた参道の一番奥には広い30余段の石段があります。この上に正殿があります。板垣南御門に進むと、生絹の御幌(みとばり)がかけられている外玉垣南御門前で参拝できます。。
 正殿の後ろには東宝殿、 西宝殿があり、 この3つの殿舎を囲んで内側から端垣、 内玉垣、 外玉垣、 板垣が巡らされています。天照大御神が祀られいて、御神体は、三種の神器の一つ八咫鏡(やたのかがみ)です。
 正殿は外宮と同じく唯一神明造りと呼ばれる建築様式で南に面して建てられています。屋根は切り妻造りの平入で萱(かや)で葺いています。柱は堀立式の丸柱で地中に埋め建ててあり、素木造りで造られています。
 棟には鰹木が10本列び、その東西両端、破風板の先端が屋根を貫いて、千木(ちぎ)になっています。棟上に堅魚木(かつおぎ)をおき、妻の上にはV字型に千木を出しています。千木の先端は水平の内削ぎになっています。
 伊勢神宮では、20年に一度、正殿を引越しして建て替えます。これを式年遷宮といい神宮最大の神事になっています。現在の正殿の西隣に同じ広さの宮地があり、ここは式年遷宮御敷地と呼ばれ、平成25年に正殿が建て替えられる予定地です。


神楽殿
かぐらでん
 
 第二の鳥居を過ぎ、内御厩(うちのみうまや)を過ぎると左手に入母屋造の神楽殿が見えます。「神楽殿」、「御饌(みけ)殿」、「御神札授与所」が並んで建っています。
 内宮・荒祭宮・風日祈宮の御札やお守り、神宮暦の授与、また、献金の申し込みや御神楽の奉奏・御饌の奉奠(ほうてん)や参拝記念の御朱印もこちらで扱っています。


五丈殿
ごじょうでん
 
 神楽殿を過ぎ御正宮に向かうとすぐ左にあります。名前の由来は正面の長さからきています。雨天の時にここで御祓い(修祓)・大祓・遙拝など諸祭が行われます。


御稲御倉
みしねのみくら
 御稲御倉は、御正宮より規模は小さいですが、唯一神明造りになっています。皇大神宮所管社で、 神宮新田から収穫した抜穂 (ぬいぼ) が納められ、 祭典の際はこの稲から大御饌が調進されます。
 御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)を祀っています。高床式建築で棟の両端を支える棟持柱があり、屋根は茅葺きで、千木がつけられています。棟の上には鰹木(かつおぎ)が並んでいます。


外幣殿
げへいでん
 正宮の西側の式年遷宮御敷地の手前左側に、御稲御倉があり、その奥に外幣殿があります。忌火屋殿の裏手にあたります。
 ここ外幣殿には、古神宝類がお納めしてあります。ここも高床式の建物です。規模は小さいのですが、左右一対の棟持柱、屋根の上の千木・鰹木など見ることができます。


荒祭宮
あらまつりのみや
  荒祭宮は、天照大御神の荒御魂(あらみたま)を祀っていて、伊勢神宮の14の別宮の中でも第一に位置づけられています。
 荒御魂というのは、事にあたって動きを示す荒く猛々しい時の御魂をいうそうです。普通の時の御魂は和御魂(にぎみたま)というそうです。
  「荒祭宮」の前の石段には「踏まぬ石」といわれる石があります。石の割れ目が天の字に見えることから、天から降ってきた石といわれ、踏んではいけないということです。


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