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奈良の旅と歴史
三重の旅    亀山市

亀山城
かめやまじょう
三重県亀山市本丸町


 亀山は東海道鈴鹿峠を押さえる交通の要でした。文永元年(1264)、関実忠が亀山城を築城し、元亀4年(1573)に織田信長により関盛信が追放されるまで、関氏16代の居城でした。天正18年(1590)、岡本宗憲(そうけん)が2万2千石で入封しました。
 宗憲は東南の丘陵に新しい亀山城を築きました。城内には本丸、二之丸、東三之丸、西之丸、西出丸の曲輪があり、本丸には将軍家旅館として整備された本丸御殿、二之丸には城主居館と藩庁を兼ねた二之丸御殿が設けられました。
 亀山は東海道46番目の宿場町でもあり、亀山城は幕府の宿所としての役割も果たしていたのです。上洛する徳川家康、秀忠、家光などが本丸を休泊に利用しています。三宅康盛の代のとき、幕府から亀山城修築を命じられた堀尾忠晴は寛永9年(1633)に天守を解体しました。
 ところが修築するのは丹波の亀山城だったのです。それ以後、天守閣は再建されませんでした。寛永13年(1633)、本多俊次の時、天守台には多門櫓が建てられました。延享元年(1744)、石川総慶が備中松山より6万石で入封して以後、石川氏が11代続いて城主となり明治を迎えました。
 明治6年(1873)に廃城令が出され、亀山城内のほとんどの建造物は取り壊されてしまいました。現在は多門櫓と石垣、土塁、堀の一部が残されています。一帯は亀山公園として整備されています。


亀山城多聞櫓
 亀山城の多聞櫓は東西8間(15.8m)、南北6間(19.9m)、入母屋造り、L字形の平屋です。寛永10年(1633)前後に建てられたと考えられています。本丸東南隅の天守台と称される石垣と、この上に建てられた多聞櫓は三重県の有形文化財(史跡)に指定されています。
亀山城多門櫓

亀山神社
 亀山神社は源義家、源義時、石川義純を祭神として祀る神社で、本丸跡の一角に建てられています。境内には宝篋印塔の基礎部が残されています。取り壊された本丸の石垣の中から五輪塔などと共に見つけられたものです。
亀山神社

大久保神官家棟門
 大久保神官家の棟門は亀山神社の境内に建てられています。この地で神官を務めていた大久保家の門で、亀山西小学校の裏門として移築されていましたが、昭和30年(1955)に現在地に再移築されました。亀山市の有形文化財に指定されています。
大久保神官家棟門


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