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奈良の旅と歴史
三重の旅    多気郡多気町

丹生大師(神宮寺)
にうだいし(じんぐうじ)
三重県多気郡多気町丹生3997
Tel 0598-49-3001


 丹生大師は宝亀5年(774)弘法大師(空海)の師である勤操大徳が開山したそうです。女人禁制の高野山に対しこちらは女性に開放されていたことから女人高野(にょにんこうや)と呼ばれたそうです。
 丹生大師は正式には丹生山神宮寺成就院といい、「お大師さん」の愛称で親しまれています。真言宗山階派の1等格寺院です。丹生山「近長谷寺」とは姉妹寺院になるそうです。
 高い構造の仁王門は左右に金剛力士、持国天、多聞天を祀った雄大な山門です。享保元年(1716)に建てられたそうです。
 この堂々とした山門をくぐり抜けると、自然の地形を生かした広大な境内と老樹、大樹、池の美しい風景が広がります。
 光仁年中(810〜824)、唐から帰国した空海は諸国を巡拝し、ここにも立ち寄ったそうです。その時本堂の梁に勤操大徳創立とあるのを見て不思議な縁と感激したのでした。
 「すでに高野山に伽藍建立を考えているが、まずこの地に仏閣を建立し衆生をすくわん」と発願し弘仁6年(815)七堂伽藍を完成させたということです。
 一の鳥居を入って左手神宮寺側奥に丹生神社・拝殿が建っています。この拝殿は昭和5年(1930)の伊勢神宮の式年遷宮の時、外宮の御正殿の傍らにたつ東宝殿の建物を移築したものだということです。
 丹生神社には水銀の採堀用具が、神宮寺には水銀蒸留のためのかまが残されているそうです。ここ丹生は、奈良時代の和銅年間(708〜714)に、水銀が発見されてから次第に繁栄し賑やかになったところだそうです。
 「丹生」という地名も、丹砂を生む所という意味で朱砂・辰砂ともいわれる硫化水銀の原鉱石からきているそうです。
 神宮寺本堂は丹生神社の神宮寺として建立されました。境内は神社と寺院が混然一体となっています。現在でも丹生大師さんとして寺院の方が参拝者も多いそうです。
 文殊堂は元禄14年(1701)に建立され昭和61年(1986)に再建されています。本尊は文殊菩薩、脇仏に普賢菩薩が祀られています。学問の仏として厚く信仰されています。
 
 大師堂の本尊である弘法大師像は、大師42歳の自画像で、衆生の厄除と未来結縁のために、自ら刻んで安置したといわれています。
 古代日本で使われていた水銀のほとんどが、ここ「丹生」で採掘されたものと考えられています。有名な奈良東大寺の大仏にも、丹生水銀が使われたそうです。
 中世には全国唯一の同業者の組合のような「水銀座」ができ、全国から商人や鉱夫が集まり、「丹生千軒」と呼ばれるほどの繁栄をみせたそうです。
 水銀は、仏像や調度品の金具などのメッキ、白粉に代表される顔料の材料としてたいへん重宝されたそうです。しかし中世以降は次第に産出量も減ってゆき、衰退していったそうです。
 護摩堂は煩悩を表示する薪を焚いて修業するお堂です。東海36不動尊霊場の第24番札所になっています。
 七堂伽藍は度々兵火にかかり、天正12年(1584)三瀬左京の乱で殆んど焼失してしまいました。現在の20あまりの諸堂は観音堂の貞享元年(1684)を皮切りに、それ以降の江戸時代に再建されたそうです。


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