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奈良の旅と歴史
奈良の旅    葛城市

當麻寺(当麻寺)
たいまでら
奈良県葛城市当麻1263
Tel 0745-48-2008


 當麻寺は高野山真言宗および浄土宗兼宗の古刹です。612年に用明天皇の第三皇子麻呂子王(まろこのきみ)が河内国に建立した万法蔵院に始まります。
 その後、麻呂古親王の孫にあたる当麻真人国見(まひとくにみ)が霊夢にしたがって、役行者練行のこの地に移したそうです。685年頃、金堂の他、講堂、東塔、西塔といった伽藍堂塔が建立され、當麻寺となったようです。
 当初は三論学を中心とする奈良仏教の学問寺院でしたが、弘仁14年(823)に弘法大師が参籠してから、真言密教が伝えられ、真言宗となりました。
 のちに浄土宗が興ると当麻曼荼羅を中心とする浄土信仰の霊場として栄えました。現在、真言宗、浄土宗の両宗併立となっています。
 當麻寺には、南を正面とする金堂・講堂と、東を正面とする本堂が相接して建っています。これらの南方には東西2つの三重塔が建ち、金堂と東西両塔の間には中之坊などの子院が建てられています。
 国宝の本堂は當麻寺で一番大きな建物です。當麻曼荼羅が置かれていることから曼荼羅堂ともよばれています。金堂や講堂が南面しているのに対し、曼荼羅堂は西方極楽浄土を象徴して、寺の西方に東面して建っています。
當麻寺本堂
 正面7間、側面6間、寄棟造の本瓦葺きで、背面に3間1間の閼伽棚(あかだな)が付いています。内部は内陣、外陣、外々陣に分けられています。内陣は天平様式を伝え、桁行7間、梁間4間であり、この部分が当初の千手堂だったようです。永暦2年(1161)に外陣部分を拡張して再建されました。
當麻寺本堂
 本堂の内陣に安置されている高さ約5mの巨大な厨子は曼荼羅を掛けるための厨子で国宝です。奈良時代末期から平安時代初期の作とみられます。中将姫が百駄の蓮茎を集めて蓮糸を繰り、井戸に浸して五色に染め、一夜にして織り上げた一丈五尺(約4m四方)の「綴織當麻曼陀羅」(国宝)が本尊です。
當麻寺本堂
 国の重要文化財に指定されている金堂は入母屋造、本瓦葺きの建物です。内陣の柱に文永5年(1268)の田地寄進銘があり、これ以前の鎌倉時代前期の再建と思われます。
當麻寺金堂
 金堂は曼陀羅堂が本堂になる以前の本堂です。 本尊は白鳳時代に造られた国宝の塑像の弥勒菩薩です。當麻寺創建時よりの本尊で、顔の金箔もかなりはげています。本尊のまわりに乾漆の四天王像が立っています。
當麻寺金堂
 国の重要文化財に指定されている講堂は金堂の背後、真北にあります。正面7間、側面4間の寄棟造、本瓦葺きの建物です。棟木の墨書により鎌倉時代末期の乾元2年(1303年)に再建されたものです。
當麻寺講堂
 堂内の須弥壇中央に本尊の寄木造「阿弥陀如来坐像」が安置されています。12世紀末に造られたもので、国の重要文化財に指定されています。他にも多くの仏像を安置しています。
當麻寺講堂
 国宝の當麻寺東塔です。中の坊の裏に建っています。創建当時の東西両塔がそろって残っているのは當麻寺だけだそうです。本瓦葺きの3間三重塔で高さは約23mです。古式にのっとり基壇上に建てられています。
當麻寺東塔
 天平時代の飛鳥様式を多く残し、荒削りな力強さを感じさせます。後世の和様三重塔婆の基本形といわれています。天を突く青銅製の相輪は普通9輪ですが1つ少ない8輪と珍しいもので、水煙(すいえん)も二等辺三角形のような独特な形をしています。
當麻寺東塔
 国宝の當麻寺西塔です。金堂の南に東塔と相対して建っています。治承4年(1180)平重衡の南都攻略によって焼失した後、鎌倉時代に源頼朝によって再建されました。
當麻寺西塔
 本瓦葺きの3間三重塔で高さは約25mで東塔より少し高くなっています。西塔の初重には窓がなく壁になっています。相輪はこちらも8輪です。水煙は唐草模様で構成された方形の先端に宝珠状の火焔(かえん)を配しています。
當麻寺西塔
 国宝の梵鐘は無銘ながら日本最古の白鳳時代のものだそうです。當麻寺創建当時の遺物と推定されています。総高150.5cm、口径は大きな裂傷のため不整で82.1から86.7cmの縦長の鐘です。
當麻寺梵鐘
 當麻寺にある日本最古の石灯籠です。白鳳時代に松香石(しょうこうせき・凝灰岩)で造られました。国の重要文化財に指定されています。
石灯籠
 當麻寺の塔頭である西南院は、用明天皇の皇子麻呂子親王の発願によって創建されたそうです。本尊の木造十一面観音立像、木造聖観音立像、木造千手観音立像はいずれも平安初期の造立で国の重要文化財に指定されています。
當麻寺西南院
 西南院の庭園は池泉回遊式庭園です。江戸初期に造られ、中期ごろ一音法印によって改造された庭園です。天平建築の粋たる西塔を借景とし、山すそより種々の樹木を植え、小丸・段刈り込みなどを用いて自然的な景観にしています。
當麻寺西南院
 當麻寺の塔頭である中之坊は役行者が開いた道場で、當麻寺では最古の塔頭です。740年頃(天平時代)11世実雅上人が女人禁制を解き中将姫を迎え入れました。中将姫はここで出家、剃髪したそうです。中将姫は一夜にして「綴織當麻曼陀羅」織り上げた伝説の女性です。
當麻寺中之坊
 中之坊書院は国の重要文化財に指定されています。江戸初期の住宅建築で、東側は切妻造、西側は入母屋造で曾我二庵筆の花鳥山水画の襖で飾られています。また中之坊庭園は、古くから大和三名園(竹林院・慈光院)と賞される池泉回遊式兼観賞式庭園で国の名勝です。
當麻寺中之坊
 當麻寺の塔頭である奥院は、浄土宗総本山知恩院の「奥之院」として建立された寺です。最初は往生院と呼ばれていました。知恩院第12代誓阿普観上人が知恩院のご本尊として安置されていた法然上人像を(重文)を後光厳天皇の勅許を得て応安3年(1370)ここに建立しました。
當麻寺奥院
 本堂は桁行7間、梁間5間の1重、寄棟造で本瓦葺きです。3間の向拝が付いています。大方丈、楼門とともに国の重要文化財に指定されています。
當麻寺奥院本堂


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