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奈良の旅と歴史
奈良の旅    奈良市

不退寺
ふたいじ
奈良県奈良市法蓮(ほうれん)東垣内町517
Tel 0742-22-5278


 金竜山不退寺は正しくは不退転法輪寺(ふたいてんぽうりんじ)といい、真言律宗のお寺です。平城天皇は大同4年(809)、弟の嵯峨天皇に天皇の位を譲りました。のちに上皇として都を再び平城京に戻すことを画策しましたが実現せず、平城京の北東のこの地に「萱(かや)の御所」と呼ばれる萱葺きの御殿を造営しました。
 平城天皇の皇子の阿保親王とその第5子在原業平朝臣はともに居住し、業平は自作の聖観音像を安置し、承和14年(847)にお寺にしたといわれています。そのため寺というよりは平安朝の貴族住宅のような造りで、王朝風の優美さを漂わせています。
 業平は六歌仙・三十六歌仙の一人で和歌の名手といわれています。祖父の平城天皇と父阿保親王の菩提を弔うと共に、衆生済度の為に「法輪を転じて退かず」と発願し、不退転法輪寺と名付けたそうです。「業平寺」とも呼ばれ、仁明天皇の勅願所となりました。
 平安時代末期の養和元年(1181)、平重衡による南都焼討のために諸堂が炎上、焼失しました。鎌倉時代、西大寺、海竜王寺などを中興した叡尊(えいぞん)により再興されました。中世には南都15大寺の一つとなり、繁栄しました。中世から近世にかけて西大寺と興福寺一乗院の末寺になっています。
 江戸時代初頭の慶長7年(1602)には徳川幕府より御朱印50石が安堵され、元和3年(1683)には二町四方七堂伽藍になりました。寛政3年(1791)の境内図には本堂、多宝塔、南大門、鐘楼、鎮守社、庫裏が描かれています。後、衰退し、幕末には無住になり、西大寺三光院が管理しました。


不退寺本堂(国重文)
 不退寺の本堂は室町時代前期の建武から明徳年間(1333-1392)頃に建てられたと考えられています。間口5間、奥行4間、単層、寄棟造り、本瓦葺きの大仏様式の最後の形を保っています。内部は内陣と外陣に分かれ、その境に吹寄菱欄間(業平格子)と木連格子を入れています。
不退寺本堂
 斗拱(ときょう)は三斗の枠組で、中備(なかぞなえ)に間斗束(けんとづか)を配しています。軸部は円柱で正面の頭貫を虹梁(こうりょう)の様態に扱っています。これは正面中央に虹梁を架けた初期の形式です。内部の柱頭部に三斗を組み、木鼻をつけている特異な構造です。
不退寺本堂
 中央に二条の大虹梁を架け、梁の上に太瓶束を立てて折上組入天井の廻縁を支えています。須弥壇上中央には厨子に納められた本尊聖観音菩薩像が安置され、その周囲に五大明王像、地蔵菩薩像を配置しています。本堂は南門とともに、明治37年(1904)に国の重要文化財に指定されています。
不退寺本堂

不退寺多宝塔(国重文)
 不退寺の多宝塔は鎌倉時代後期の建治から元弘年間(1275-1332)頃に建てられています。間口3間、奥行3間、単層、宝形造り、桟瓦葺きです。不退寺伽藍図などから建立当初は檜皮葺きの二層構造の塔であったようです。現在は初層のみで、上層と相輪を欠いています。
不退寺多宝塔
 柱は方柱大面取、中央の間に板扉を開き、左右に青鎖窓をはめています。斗拱は三斗出組とし、斗拱間には鎌倉時代特有の美しい蟇股を配し、柱頭部には頭貫を通じ、貫端に天竺様の木鼻を付けています。不退寺塔婆として明治41年(1908)に国の重要文化財に指定され、5月28日の業平忌の時だけ開扉されます。
不退寺多宝塔

不退寺南門(国重文)
 不退寺の南門は切妻造り、本瓦葺きの四脚門で、昭和9年(1934)の解体修理時に発見された棟札から鎌倉時代後期の正和6年(1317)の建築と判明しました。左右に御所塀が付き、身柱の上に豪壮な板蟇股を載せ、中央冠木の上に束を中心にして笈形風にいろいろと飾っているのが特徴です。明治37年(1904)に国の重要文化財に指定されています。
不退寺南門

不退寺立石
 不退寺には立石(たていし)と呼ばれている笠塔婆が本堂の前に建っています。四方に梵字が薬研彫りで、刻まれています。上段に宇宙を表すという五大の真言、中段に金剛界四仏の種子、下段の南面に光明真言、北面に大随求小咒、東面に十三仏、西面に三帰依真言と大日真言が刻まれています。
不退寺立石

不退寺石棺
 不退寺の石棺は庫裏の中庭に置かれています。5世紀のもので、ウワナベ古墳南側の平塚古墳で発掘されたそうです。石材は春日砥(砂岩の一種)で、草刈の人がこれで鎌を研いだ痕が沢山残されています。長さは2.71mで舟型割竹くり貫き石棺ともいわれています。
不退寺石棺

不退寺伊勢物語石碑
 不退寺には伊勢物語の石碑があります。「おほかたは月をもめでじこれぞこの つもれば人の老いとなるもの」という伊勢物語 八十八段の和歌が刻まれています。「全くもって、月を誉めることは止めよう この月こそが、塵と積もれば、人の老いとなるものだから」という意味です。伊勢物語の主人公は在原業平だと古くから思われています。
伊勢物語石碑


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