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奈良の旅と歴史
奈良の旅    奈良市

新薬師寺
しんやくしじ
奈良県奈良市高畑町1352
Tel 0742-22-3736


 日輪山新薬師寺は華厳宗のお寺で、香山薬師寺とか香薬寺とも呼ばれました。聖武天皇眼病平癒祈願のため、天平19年(747)、光明皇后が新薬師寺を創建し、9間の仏堂には浄土7躯(7仏薬師像)が祀られていたそうです。平城右京の薬師寺に対して新薬師寺と名付けられたようです。
 創建時には金堂、東西両塔などの七堂伽藍が建ち並び、住僧千人の大寺となり、東大寺とともに南都十大寺の一つに数えられました。天平勝宝元年(749)の諸大寺の墾田地限定めの時、法隆寺、弘福寺、四天王寺などとともに500町を認められています。
 宝亀11年(780)の西塔に落雷があって現本堂以外は焼失しました。応和2年(962)には台風で金堂など主要な堂宇が倒壊し、次第に衰退したようです。治承4年(1180)の平重衡の兵火では、東大寺、興福寺の主要伽藍は焼失しましたが、新薬師寺は焼け残りました。
 鎌倉時代には華厳宗中興の祖である明恵(みょうえ)上人が住して東門、南門、地蔵堂、鐘楼などを再建しました。江戸時代には護持院隆光が徳川綱吉の母桂昌院の意向を受けて再建に当たりました。幕府からは寺領100石の寄進を受けています。
 本堂は国宝、地蔵堂、南門、東門、鐘楼は国指定重要文化財です。本尊の丈六薬師如来像、円形須弥壇上の十二神将立像は国宝、木造十一面観音立像、木造准胝(じゅんてい)観音像、絹本着色仏涅槃(ぶつねはん)図などが国指定重要文化財です。


新薬師寺本堂(国宝)
 新薬師寺の本堂は間口7間、奥行5間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、天平19年(747)に光明皇后が新藥師寺を創立された時の建物で、和同から延暦年間(710-793)頃の建築と考察されています。創建当初は本堂ではなく修行を行うためのお堂であったと思われます。
新薬師寺本堂
 本堂内には円形の土壇(高さ90cm、直径9m)が築かれ、本尊の丈六薬師如来像、十二神将立像が安置されています。太い柱は40本あり、すべて円柱です。堂は内部に天井を張らない化粧屋根裏です。合掌は簡素で力強く、我が国最大のものです。本堂は昭和27年(1952)に国宝に指定されています。
新薬師寺本堂

新薬師寺地蔵堂(国重文)
 新薬師寺の地蔵堂は間口1間、奥行1間、単層、入母屋造り、妻入、本瓦葺きの小さな仏堂です。鎌倉時代前期の文永3年(1266)の建築です。間斗束の位置にある蟇股(かえるまた)は、その線巧妙優美で鎌倉期の秀逸です。大正6年(1917)に国の重要文化財に指定されています。
新薬師寺地蔵堂

新薬師寺鐘楼(国重文)
 新薬師寺の鐘楼は間口3間、奥行2間、入母屋造り、本瓦葺きで、白漆喰塗りの袴腰(はかまごし)で造られています。鎌倉時代前期の弘安2年(1279)の棟札があるそうです。明治31年(1898)に国の重要文化財に指定されています。
新薬師寺鐘楼
 鐘楼の中に架かる梵鐘も国指定重要文化財です。天平時代の貴重な銅鐘で、口径104cmあります。元興寺の僧侶・道場法師が、鬼を退治したという道場法師鬼退治の釣鐘です。鎌倉時代、元興寺の釣鐘堂が焼けたため、残った釣鐘を新薬師寺に持ってきたと伝えられています。
新薬師寺鐘楼

新薬師寺東門(国重文)
 新薬師寺の東門は切妻造り、本瓦葺きの棟門です。鎌倉時代の元暦から文永年間(1185-1274)に再建された門で、南門より古いといわれます。本柱の上が二つに割れ板蟇股を挟んでいる様式は珍しく、鎌倉初期の手法です。今は四脚門ですが、昔は二脚の棟門だったようです。大正6年(1917)に国の重要文化財に指定されています。
新薬師寺東門

新薬師寺南門(国重文)
 新薬師寺の南門は境内正面にある表門で、切妻造り、本瓦葺きの四脚門です。鎌倉後期の建治から正慶年間(1275-1332)に再建された門です。基壇は乱石積みで、その上にしっかりと大きい面取りのある4本の柱が建てられています。明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。
新薬師寺南門


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