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奈良の旅と歴史
奈良の旅    桜井市

長谷寺
はせでら
奈良県桜井市初瀬731−1
Tel 0744-47-7001


 長谷寺(はせでら)は、山号を豊山神楽院と称し、真言宗豊山派(ぶざんは)の総本山です。西国三十三箇所観音霊場の第8番札所で、日本でも有数の観音霊場として知られています。檀信徒は200万人といわれ、「花の御寺」として有名です。
 寺伝によれば、天武朝の朱鳥元年(686)、道明上人が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺と呼ばれている場所)に三重塔を建立、続いて神亀4年(727)、徳道上人が東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀って開山したといわれています。
 長谷寺は平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集めました。万寿元年(1024)には藤原道長が参詣しています。また「枕草子」、「源氏物語」、「更級日記」など多くの古典文学にも登場しています。
 長谷寺は東大寺(華厳宗)の末寺でしたが、正暦元年(990)頃に興福寺(法相宗)の末寺となりました。天正15年(1587)、豊臣秀長が特別の配慮を寄せ、空賢専誉(くうけんせんよ)を迎えました。
 その事により、興教大師覚鑁(かくばん)によって興され頼瑜僧正により成道した新義真言宗の寺院となりました。明治33年(1900)真言宗豊山派として独立し、総本山となっています。
 本堂以外の建物のほとんどは明治44年(1911)の大火災で焼失し、大正年間(1913-1926)に再建されました。寺宝類はきわめて多く、国宝、重要文化財を含め千点近くを所蔵しています。千仏多宝仏塔とも称する国宝の銅板法華説相図は法華経の見宝塔品(けんほうとうほん)で、釈迦が説法していたところ、地中から巨大な宝塔が出現した場面を表現したものです。法華経28巻、観普賢経1巻、無量義経3巻、阿弥陀経1巻、般若心経1巻の計34巻も国宝です。
 建物では国宝の本堂のほか、仁王門、下登廊、繋屋、中登廊、蔵王堂、上登廊、三百余社、鐘楼、繋廊が国の重要文化財に指定されています。また長谷寺本坊では大講堂、大玄関及び庫裏、奥書院、小書院、護摩堂、唐門及び回廊、中雀門、土蔵など8件が国の重要文化財に指定されています。


長谷寺本堂(国宝)
 長谷寺本堂は奈良時代の創建後、室町時代の天文5年(1536)までに7回も焼失したそうです。豊臣秀長の援助で天正16年(1588)に新しい堂が竣工しました。現存する本堂は徳川家光の寄進を得て、正保2年(1645)から工事に取り掛かり、5年後の慶安3年(1650)に落慶したものです。
長谷寺本堂
 本堂には、本尊十一面観世音菩薩が祀られています。正堂(しょうどう)と礼堂(らいどう)からなる双堂(ならびどう)といわれる形式で(相の間を挟んでいます)、本堂は間口7間25.9m、奥行4間27.1mと大きな建物です。単層、入母屋造りで本瓦葺き、正堂は一重裳階(もこし)が付いています。
長谷寺本堂
 相の間と礼堂は 清水寺本堂と同じ懸造(かけづくり)で、間口4間、奥行9間、単層、入母屋造り、妻入、本瓦葺きです。背面は正堂につながっていて、両側面には千鳥破風があり、正面は舞台になっています。平成16年(2004)に国宝に指定されています。
長谷寺本堂

長谷寺繋廊(国重文)
 長谷寺の繋廊(つなぎろう)は江戸時代前期の慶安3年(1650)に建てられています。間口3間、奥行1間、単層、切妻造り、本瓦葺きで、東側が鐘楼につながっています。昭和61年(1986)に国の重要文化財に指定されています。
長谷寺繋廊

長谷寺鐘楼(国重文)
 長谷寺の鐘楼は高所に梵鐘があることから「尾上(おのえ)の鐘」とも称されます。その梵鐘には「文亀元年(1501)」の銘が刻まれています。鐘楼は江戸時代前期の慶安3年(1650)に建てられています。間口1間、奥行1間、楼造り、屋根は入母屋造り、本瓦葺きです。昭和61年(1986)に国の重要文化財に指定されています。
長谷寺鐘楼

長谷寺三百餘社(国重文)
 長谷寺の三百餘社(さんびゃくよしゃ)は一間社春日造り、銅板葺きの社殿です。江戸時代前期の慶安3年(1650)の建築です。昭和61年(1986)に国の重要文化財に指定されています。
長谷寺三百餘社

長谷寺登廊 (上登廊)(国重文)
 長谷寺登廊 の上登廊は鐘楼と蔵王堂の間の登廊です。間口18間、奥行1間、単層、両下造り、本瓦葺きで、江戸時代前期の慶安3年(1650)の建築です。昭和61年(1986)に国の重要文化財に指定されています。
長谷寺登廊(上登廊)

長谷寺登廊 (蔵王堂)(国重文)
 長谷寺登廊 (蔵王堂)は間口3間、奥行1間、単層、寄棟造り、本瓦葺きです。蔵王堂に祀られている蔵王権現は吉野の金峯山寺の本尊で、吉野からこの地まで渡ってきたとの話が残されています。長谷寺登廊 (蔵王堂)は昭和61年(1986)に国の重要文化財に指定されています。
長谷寺登廊 (蔵王堂)

長谷寺登廊 (中登廊)(国重文)
 長谷寺登廊 (中登廊)は蔵王堂と繋屋の間の登廊です。間口16間、奥行1間、単層、切妻造、本瓦葺きで、明治22年(1889)に再建された建物です。昭和61年(1986)に国の重要文化財に指定されています。
長谷寺登廊 (中登廊)

長谷寺登廊 (繋屋)(国重文)
 長谷寺登廊 (繋屋)は間口1間、奥行1間、単層、切妻造り、桟瓦葺きの明治22年(1889)に再建された建物です。昭和61年(1986)に国の重要文化財に指定されています。
長谷寺登廊 (繋屋)

長谷寺登廊 (下登廊)(国重文)
 長谷寺登廊 (下登廊)は間口41間、奥行1間、単層、切妻造り、本瓦葺きの建物で、北端は繋屋につながっています。南端は唐破風造りです。明治22年(1889)に再建された建物です。昭和61年(1986)に国の重要文化財に指定されています。
長谷寺登廊 (下登廊)

長谷寺仁王門(国重文)
 長谷寺仁王門は長谷寺の入口です。両脇には仁王像(金剛力士像)が安置されています。平安時代の一条院(在位986-1011年)の頃に建立されました。その後、度々火災に遭い、現在の門は明治18年(1885)に再建された建物です。しかし古来そのままの様式美と堂々たる構えを備えています。
長谷寺仁王門
 上部に掲げられた「長谷寺」の額字は後陽成天皇(在位1586-1611年)の筆です。三間一戸の楼門で、入母屋造り、本瓦葺きです。2階には、釈迦三尊十六羅漢が祀られています。昭和61年(1986)に国の重要文化財に指定されています。平成29年(2017)3月に1年半の保存修理工事を終えています。
長谷寺仁王門

長谷寺本坊・大講堂(国重文)
 長谷寺本坊は事相、教相の根本道場です。寛文7年(1667)に徳川家の寄進で建てられましたが、明治44年(1911)の大火災で焼失しました。大講堂は大正8年(1919)に再建された建物です。木造、本瓦葺き、建築面積は590.05平方mです。西面に渡廊下があり、南面には板塀が附属しています。平成26年(2014)に国の重要文化財に指定されています。
長谷寺本坊・大講堂

長谷寺本坊・大玄関・庫裏(国重文)
 長谷寺本坊の大玄関と庫裏は平成26年(2014)に国の重要文化財に指定されています。木造、本瓦葺きで、建築面積は529.66平方mです。北面には唐破風造りの玄関と切妻造り玄関があります。東面には北渡廊下と中央渡廊下が附属しています。南面にも渡廊下が附属しています。
長谷寺本坊・大玄関・庫裏

長谷寺本坊・中雀門(国重文)
 長谷寺本坊にある中雀門は江戸時代後期の明和3年(1766)の建築です。切妻造り、本瓦葺き、一間薬医門です。左右に袖塀が附属しています。平成26年(2014)に国の重要文化財に指定されています。
長谷寺本坊・中雀門

長谷寺五重塔
 長谷寺の五重塔は昭和29年(1954)、戦後日本に初めて建てられた五重塔で「昭和の名塔」と呼ばれています。純和様式の整った形の塔で、塔身の丹色と相輪の金色、軽快な檜皮葺屋根の褐色は、背景とよく調和し、光彩を放っています。
長谷寺五重塔

長谷寺本長谷寺
 長谷寺にある本長谷寺は天武天皇の勅願により、道明上人がここに精舎を造営しました。今の本堂(今長谷寺)に対し本長谷寺と呼ばれています。朱鳥元年(686)、道明上人は天武天皇の病気平癒のため「銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)」を鋳造し、本尊として祀られました。
長谷寺本長谷寺

長谷寺宗宝蔵
 長谷寺にある宗宝蔵(しゅうほうぞう)は長谷寺六坊の一つで、清浄院跡地に建てられています。春と秋に開扉して長谷寺に伝わる国宝・重要文化財などの宝物公開を行っています。
長谷寺宗宝蔵


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