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奈良の旅と歴史
奈良の旅    室生寺

室生寺
奈良県宇陀市室生区室生78
Tel 0745-93-2003


 室生寺(むろうじ)は、奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派の大本山です。女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」の別名があります。
 続日本紀などによると、奈良時代末期の宝亀年間(770年−781年)、皇太子山部親王(のちの桓武天皇)の病気平癒のため、室生の地において延寿の法を行ないました。そして竜神の力でみごとに回復することができたので、興福寺の僧・賢環 (けんきょう)が朝廷の命でここに寺院を造ったということです。
 賢環没後は高弟の修円に引き継がれました。修円は最澄や空海と並んで当時の仏教界を指導する高名な学僧でした。
 以来、室生寺は山林修業の道場として、また法相、真言、天台などの各宗派兼学の寺院として独特の仏教文化を形成してきました。
 室生山の山麓から中腹にかけてが境内となっています。最初の急な石段(鎧坂)を上がると、正面に金堂、左に弥勒堂があります。さらに石段を上ると如意輪観音を本尊とする本堂(灌頂堂)、その上に五重塔があり、奥の院御影堂へと続いています。

 国宝の金堂は寺の創立より少し遅い平安初期に建てられたと思われます。桁行5間、梁間5間、寄棟造の柿葺きです。正面1間破風葺きになっています。天承元年(1131)頃に大修理が加えられ、多くの部材が取り替えられたようです。礼堂部分は寛文12年(1672)の建築です。
金堂
 内陣には本尊釈迦如来立像(国宝)を中心に祀り、向かって右に薬師如来立像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)、左には文殊菩薩立像(重文)、十一面観音立像(国宝)が安置され、これらの像の手前には十二神将立像(重文)が立っています。金堂本尊背後の壁に描かれた彩色画、板絵着色伝帝釈天曼荼羅はこの時代の壁画では唯一のもので国宝です。
金堂
 弥勒堂は鎌倉時代に建てられていますが、後世に大分改造されています。国の重要文化財に指定されています。
弥勒堂
 弥勒堂の堂内中央の厨子に本尊弥勒菩薩立像(重文)を安置しています。平安時代に造られたものです。向かって右に国宝の木造釈迦如来坐像があります。伝来や造像の由緒は一切不明ですが、作風から平安時代前期の作と思われます。
弥勒堂
 室生寺の本堂は国宝で、灌頂堂(かんじょうどう)とも称されています。灌頂という密教儀式を行なう堂でもあるのです。桁行5間、梁間5間、入母屋造の檜皮葺きです。延慶元年(1308)に建てられています。
本堂(灌頂堂)
 堂内中央の厨子に国の重要文化財に指定されている木造如意輪観音坐像を安置しています。その手前左右の壁に両界曼荼羅(金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅)が向かい合わせに掛けられています。
本堂(灌頂堂)
 室生寺の五重塔は創立当時800年頃の建立で、国宝に指定されています。屋外にある木造五重塔としては、法隆寺の塔に次いで日本で2番目に古く、現存する五重塔では最も小さい朱塗りの優雅な塔です。 
五重塔
 高さは約16m、初重は一辺の長さ2.5mで、高さは興福寺五重塔の3分の1ほどです。塔の最上部の九輪の上には通常「水煙(すいえん)」という飾りが付きますが、この塔では水煙の部分が宝瓶(ほうびょう)になっています。その上に宝鐸をつるした八角形の宝蓋がついています。この室生寺独自の意匠です。寺伝では、創建にかかわった僧・修円がこの宝瓶に室生の竜神を封じ込めたと伝えられています。
五重塔
 北畠親房の墓といわれる五輪塔と小さな五輪塔が2つあります。室町時代前期のもので国の重要文化財に指定されています。
五輪塔


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