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奈良の旅と歴史
奈良の旅    大和郡山市

額安寺
かくあんじ
奈良県大和郡山市額田部寺町36
Tel 0743-59-1128


 額安寺は真言律宗のお寺で、額田(ぬかた)寺ともいわれます。この地は飛鳥時代の推古天皇29年(621)に聖徳太子が熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)を置いた旧地で、寺は大安寺の前身といわれています。推古天皇の額に悪瘡ができ、薬師如来像を造って祈願したところ全快したため、額安寺と名付けられたそうです。
 この付近は古代水運の要所で外国使臣や文物の上陸場所で,賑わっていました。額安寺には金堂、三重塔、倉、食堂、僧房が建ち並び、壮大な七堂伽藍の大寺でした。しかし後に衰退し、鎌倉時代には僧・忍性らによって一時復興されましたが、のち兵火のため講堂一宇(今の本堂)を残すのみとなってしまいました。


額安寺石造五輪塔(国重文)
 額安寺の北西200mくらいの所に鎌倉墓とも呼ばれる額安寺の石造五輪塔があります。8基の五輪塔は、敷地の西側に東面して5基、北側に南面して3基が鍵形に並んでいて、すべてが昭和36年(1961)に国の重要文化財に指定されています。2基は永仁5年(1297)と刻まれ、他の6基は鎌倉末から室町時代(1185-1392)のものと考えられています。
額安寺石造五輪塔
 この五輪塔8基を解体修理した時、僧・忍性(良観上人)と順忍(善願上人)の舎利容器の銅製骨蔵器など7点と付属品4点の計11点が出土しました。嘉元から正中年間(1303-1326)の頃のもので、大和額安寺五輪塔納置品として昭和58年(1983)に国の重要文化財に指定されました。
額安寺石造五輪塔


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