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奈良の旅と歴史
奈良の旅    大和郡山市

筒井順慶歴史公園
つついじゅんけいれきしこうえん
奈良県大和郡山市長安寺町463


 平端駅の東に長安寺墓地付近を整備した筒井順慶歴史公園があります。この中に筒井順慶の墓所があります。五輪塔覆堂があり、中に墓である五輪塔には「順慶陽舜房法印三六歳 干時入滅天正十二季甲申八月十一日」と刻まれているそうです。
 筒井順慶は郡山城を築城した武将です。天文19年(1550)、興福寺官符衆徒(興福寺の有力僧)・大和守護代であった父・順昭の死により,家督を継ぎました。永禄2年(1559)、松永久秀が侵入し大和(奈良県)筒井城を追われ、久秀と攻防を繰り返しました。永禄9年(1566)興福寺成身院において出家得度して陽舜房順慶と名乗りました。
 元亀2年(1571)、織田信長に背いた久秀の討伐に出陣し、明智光秀の与力となりました。天正4年(1576)には大和守護となり、天正8年(1580)、郡山城を築城しています。天正10年(1582)の山崎の戦では光秀に従わず,郡山城を動かず、豊臣秀吉から大和国を安堵されました。


筒井順慶五輪塔覆堂(国重文)
 筒井順慶の墓といわれる五輪塔の覆堂は、間口1間、奥行1間、単層、宝形造り、本瓦葺きの建物で、天正12・13年(1584-1585)頃に建てられています。昭和19年(1944)に国の重要文化財に指定されています。
筒井順慶墓


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