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奈良の旅と歴史
奈良の旅    大和郡山市

矢田寺(金剛山寺)
やたでら(こんごうせんじ)
奈良県大和郡山市矢田町3549
Tel 0743-53-1445 (矢田寺大門坊)


 矢田山(やたさん)矢田寺は正式には金剛山寺という高野山真言宗別格本山で、矢田兵陵の中心矢田山の中腹にあります。寺伝によれば天武天皇の勅願により天武天皇8年(679)に智通(ちつう)が開いたそうです。
 弘仁年間(810-824)に満米(まんべい)上人によって中興されました。上人自ら刻んだ地蔵菩薩像を祀り、地蔵信仰の中心の寺として栄えました。平安時代初期に本尊となった地蔵菩薩は日本最古の延命地蔵菩薩で国の重要文化財に指定されています。
 「矢田のお地蔵さん」として広く知られるようになり、繁栄していきました。創建当初は七堂伽藍で48坊を持つ大寺でしたが、戦乱などにより多くは焼失し、現在は矢田寺北僧坊、矢田寺大門坊、矢田寺念仏院、矢田寺南僧坊の4つの塔頭を総称して「矢田寺」と呼んでいます。
 広い境内には本堂、講堂、閻魔堂、阿弥陀堂、開山堂、御影堂などが建ち並んでいます。本尊の木造地蔵菩薩立像、木造阿弥陀如来坐像、木造十一面観音立像をはじめ、奈良国立博物館寄託の仏像、僧坊所有の仏像など国の重要文化財に指定されています。
 矢田寺の鎮守社である春日神社本殿は室町時代の建立で、国の重要文化財に指定されています。矢田寺は「あじさい寺」とも呼ばれています。境内にあるあじさい園には約60種1万株のアジサイが植えられ、6月から7月には咲き乱れます。


春日神社本殿(国重文)
 矢田寺境内にある春日神社の本殿は檜皮葺きの一間社春日造りの建物です。室町時代後期の応仁から元亀年間(1467-1572)頃に建てられたと考えられています。矢田寺の鎮守社であった春日神社本殿は大正9年(1920)に国の重要文化財に指定されています。
春日神社本殿

矢田寺本堂
 矢田寺本堂は間口7間、奥行4間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、正面に向拝が付けられています。室町時代の末期に再建された建物で奈良県の有形文化財に指定されています。堂内には創建当初は本尊だったと伝えられる十一面観音立像や本尊の地蔵菩薩立像などが安置されています。
矢田寺本堂

矢田寺北僧坊
 矢田寺の塔頭・北僧坊は矢田寺開山の智通僧正の住坊だったところです。桃山時代、豊臣秀吉の異父弟の大和大納言豊臣秀長が、郡山城内より書院と茶室を移築し遊居したと伝えられています。所蔵する木造虚空蔵菩薩坐像は国の重要文化財で、奈良国立博物館に寄託しています。
矢田寺北僧坊

矢田寺大門坊
 矢田寺の塔頭・大門坊(だいもんぼう)は、容眞御流(ようしんごりゅう)華道の家元でもあり、弘法大師が「三大秘密教門院」と名付けたお寺です。持仏堂である千佛堂には、全国各地より奉納された一千体の地蔵尊を安置しています。
矢田寺大門坊

矢田聖天
 大門坊山門の左側に矢田聖天と呼ばれる聖天堂があります。 聖天はインドから伝来した善神で、仏法を擁護し、障難を除き、 衆生に利益を施すといわれています。江戸時代中期の高僧、慈雲尊者により、 宝暦年間(1751-1764)に勧請されたと伝えられる大聖歓喜天などが安置されています。
矢田聖天

矢田寺閻魔堂
 閻魔王は、死者の過去の罪を裁く十人の裁判官のひとりです。閻魔堂には、閻魔王とその眷属(けんぞく)が祀られています。矢田寺の満米上人は、小野篁(昼は嵯峨天皇に仕え、夜は閻魔大王に仕えたといわれます)とともに地獄で閻魔大王と会ったそうです。地獄の罪人を救う地蔵菩薩に出会い、地上に戻ってから4人の翁(春日4神)の協力でその姿を写して像を彫ったそうです。
矢田寺閻魔堂

矢田寺鐘楼
 鐘楼は本堂の正面にあり、梵鐘は寛元4年(1246)に鋳造された奈良県指定文化財です。京都に平安時代初期、この矢田寺の別院として創建された矢田寺(金剛山寺)があります。小野篁と関係が深い閻魔・篁堂がある京都の六堂珍皇寺では、お盆に先祖の霊を迎えるため鐘をつく「お迎え鐘」が行われます。京都の矢田寺では冥途に送るため「送り鐘」が撞かれるそうです。
矢田寺鐘楼

矢田寺八十八ケ所霊場
 矢田寺の本堂裏山には大正時代に開かれた矢田寺八十八ケ所霊場があります。1周約3kmで、1時間半もあれば廻ってこれるそうです。矢田丘陵の自然の中の山道に、 四国霊場の各お寺の本尊と弘法大師の石仏が置かれています。四国霊場を巡礼したのと同じ功徳が授かるとのことです。
矢田寺八十八ケ所霊場

みそなめ地蔵
 本堂手前の参道にみそなめ地蔵と呼ばれるお地蔵様が置かれています。昔ある農婦がみその味が悪くなり困っていました。ある夜、夢の中に石のお地蔵様が現われ「その味噌を食べさせてくれたら、良い味にしてやろう」と告げました。翌朝、矢田寺に夢に現れたお地蔵様を見つけ、味噌をその口許にぬったところ、家の味噌がよくなったそうです。以来、皆がお地蔵様の口許へ味噌をぬるようになり「みそなめ地蔵」と呼ばれるようになりました。 
みそなめ地蔵


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