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奈良の旅と歴史
奈良の旅    大和郡山市

矢田坐久志玉比古神社
やたにいますくしたまひこじんじゃ
奈良県大和郡山市矢田町東良965


 矢田寺(金剛山寺)の東1kmの山裾に矢田坐久志玉比古神社が建てられています。櫛玉饒速日命(にぎはやひのみこと)と、妻の御炊屋姫命(みかしきやひめのみこと)を祀っています。物部氏の祖先神であり、矢田部氏の部族神ともいわれています。
 当社は貞観元年(869)に従五位上を授けられ、延喜式大社で、月次・新嘗の幣帛を預る矢田地方隋一の名社です。古くは矢落大明神又は矢田の大宮と呼ばれました。天孫降臨に先立って櫛玉饒速日命が天磐船に乗って降臨した際、上空から3本の矢を射て、その2本目が落ちた場所とされ、「矢田」という地名の元になっています。
 矢田坐久志玉比古神社の本殿と、末社の八幡神社の社殿は国の重要文化財に指定されています。天磐船に乗りて大空を翔行(とびゆけ)り」という古事から、「航空祖神(航空の神)」として、空の旅の安全祈願をする参拝者が多いそうです。


矢田坐久志玉比古神社神門
 櫛玉饒速日命が天磐船に乗って大空を駆けたという故事により、神門には、プロペラが奉納されています。このプロペラは中島飛行機製の陸軍九一式戦闘機のものです。昭和18年(1943)に大日本飛行協会大阪支部が奉納したものだそうです。
神門

矢田坐久志玉比古神社本殿(国重文)
 矢田坐久志玉比古神社の本殿は室町時代前期の建武から明徳年間(1333-1392)に建てられたものと考えられています。檜皮葺きの一間社春日造りの社殿です。明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。
矢田坐久志玉比古神社本殿

矢田坐久志玉比古神社・末社八幡神社社殿(国重文)
 矢田坐久志玉比古神社の末社である八幡神社の社殿も本殿同様に明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。本殿より少し小さめで、檜皮葺きの一間社春日造りの社殿です。室町時代中期の明徳から文正年間(1393-1466)に建てられたものと考えられています。
末社八幡神社


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