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奈良の旅と歴史
奈良の旅    大和郡山市

慈光院
じこういん
奈良県大和郡山市小泉町865
電話: 0743-53-3004


 円通山(えんつうざん)慈光院は臨済宗大徳寺派のお寺です。通称「わびの寺」と呼ばれています。寛文3年(1663)、小泉城主・片桐貞昌(さだまさ)が父貞隆(さだたか)の菩提寺として、京都大徳寺の玉舟(ぎょくしゅう)を招いて開山として創建しました。
 貞昌は片桐且元の甥で、石州(せきしゅう)と号し、茶道石州流を開きました。寛文5年(1665)には4代将軍の徳川家綱の茶道師範となり、堯然法親王、水戸光圀はじめ多くの人に茶の湯を教えています。彼らが全国各地へ教えを広めたため多くの派に分かれました。
 慈光院は寺としてよりも境内全体が一つの茶席として造られています。露地を通って茶室に入り、わびさびの世界に入る独特の雰囲気を、表門や書院、茶室、庭園などに取り入れているのです。
 石州は寛文8年(1668)から延宝元年(1673)までこの慈光院に隠棲(いんせい)しました。剣は柳生、茶は石州と評されたそうです。 書院、茶室、手水鉢、蹲踞(つくばい)などは国の重要文化財に指定され、庭園は国史跡・国名勝に指定されています。


慈光院茨木門
 慈光院の山門である茨木門は、片桐石州の出生地でもある摂津茨木城の楼門です。徳川家康の発した一国一城令により取り壊された時、貰い受け、屋根を書院と合わせて茅葺きに葺き替えたものです。
慈光院茨木門

慈光院書院(国重文)
 慈光院の書院は江戸中期の寛文年間(1661-1672)頃に建てられています。慈光院の中心的な建物で、間口13.9m、奥行9.9m、単層、入母屋造り、茅葺きで、南面、東面、北面に桟瓦葺きの庇が付けられています。西面には間口4.0m、奥行4.0m、入母屋造り、茅葺きの茶室などが続いています。
慈光院書院
 上ノ間、中ノ間、下ノ間があり、上ノ間は大名、中ノ間は家老、住職らが席を占めるようになっていたそうです。下ノ間には水屋があります。座敷に座ったときに落ち着けるように、天井や鴨居の高さを低くしてあります。書院は昭和19年(1944)に国の重要文化財に指定されています。
慈光院書院

慈光院高林庵茶室(国重文)
 慈光院の高林庵茶室は書院の一角にあります。片桐石州は寛永15年(1638)に大徳寺に高林庵を建てており、この茶室の名にしています。二畳台目、お点前座の付近(横・後)に床の間がある亭主床です。単層、切妻造り、こけら葺きで、南側が書院続いています。寛文4年(1664)に建てられていて、昭和19年(1944)に国の重要文化財に指定されています。
慈光院高林庵茶室

慈光院閑茶室(国重文)
 慈光院の閑茶室です。逆勝手の三畳茶室です。逆勝手とは本勝手と反対で、亭主の左側にお客様が座ります。亭主の左側に炉を切ることになります。「高林庵茶室」よりも薄暗く造られていて、その二つが対になって陰陽を表しているそうです。昭和19年(1944)に国の重要文化財に指定されています。
慈光院閑茶室

慈光院手水鉢(国重文)
 慈光院には「独坐(どくざ)」、「角バラズ(かどばらず)」、「女ノ字(めのじ)」などの手水鉢や、蹲踞(つくばい)が配置されていて、これらすべてが書院・茶室の附指定で国の重要文化財に指定されています。素材・形状・配置全てに石州のこだわりや演出をうかがうことができます。
慈光院手水鉢

慈光院庭園(国史跡・国名勝)
 慈光院の庭園は石組を用いずに、色々な種類の木々と調和させています。白砂に大刈り込みの向こうには大和平野を一望できる雄大な借景を臨めます。慈光院庭園として昭和9年(1934)に国の名勝・史跡に指定されています。
慈光院庭園


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