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奈良の旅と歴史
奈良の旅    吉野郡吉野町

如意輪寺
にょいりんじ
奈良県吉野郡吉野町吉野山1024
Tel 0746-32-3008


 如意輪寺は竹林院にいた日蔵道賢上人によって延喜年間(910-922)に創建されたそうです。元は金峯山寺の塔頭寺院の1つで、古くから吉野山の修行道場だったようです。
 如意輪寺は塔尾山椿花院ともい、南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に行宮を置いた時、勅願寺となりました。如意輪観音を本尊として、密教の名残りをとどめています。
 山門を入ると正面に寄棟造、檜皮葺きの如意輪堂(本堂)があり、左方に庫裏、宝物殿、一段高いところに多宝塔があります。本堂の背後には後醍醐天皇の陵・塔尾陵(とうのおのみささぎ)、世泰親王墓があります。
 慶安3年(1650)、鉄牛上人という僧によって再興され、浄土宗に改宗しました。寺宝には建武3年(1336)に造られた厨子入木造蔵王権現立像(重文)や楠木正行辞世の扉などがあります。
 正平2年(1346)楠木正成の長男・楠木正行が四条畷の戦いに出陣する際、一族郎党とともに後醍醐天皇陵に詣で、辞世の歌「かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」と詠んだそうです。正行はそれを本堂の扉に鏃(矢じり)で刻んでいったそうです。
 境内にある難切不動尊の不動明王石像は日本最大の石の不動尊です。如意輪寺本堂の右手にあり、もとは峰の薬師堂に祀られていたものです。
石の難切不動尊
 楠木正行の妻になるはずであった弁内侍が正行が討ち死にを遂げた後、髪を切り尼となりました。その黒髪の一部を埋めたのが、弁内侍至情塚です。
弁内侍至情塚


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